平成10年6月22日放送

臍帯血移植の現況

東京女子医科大学母子総合医療センター教授 中林 正雄

本日は臍帯血移植と公的臍帯血バンクの現況についてお話しいたします。

臍帯血移植とは臍帯血に存在する造血幹細胞を、白血病などの重篤な血液疾患患者に移植して、骨髄機能を正常にする治療法です。従来はこの治療目的のためには骨髄移植がもっぱら行われてきましたが、最近は臍帯血を活用する方法が実用化されようとしています。

造血幹細胞とは各種の血液細胞、白血球、赤血球、血小板などを造る多分化能をもった細胞のことです。以前から臍帯血には造血幹細胞が多数含まれていることが知られていましたが、採取できる量が少ないのため、臨床応用することは困難であると思われていました。

ところが今から10年前の1988年に、フランスでGluckmanらが再生不良性貧血に臍帯血移植を行って成功しました。その後海外ではこれまでに700例以上が施行され、ニューヨーク血液センターでの臍帯血保存件数は6,000件以上といわれています。一方、国内では1994年に第1例の臍帯血移植が行われ、本年4月までに37例が施行されています。さらに各地域に臍帯血バンクが設立されてきています。

臍帯血移植は骨髄移植と比べて採取量は少ないものの、提供者に対する侵襲を伴わないこと、拒絶反応が少ないことなどの利点があるため、厚生省は本年1月から「臍帯血移植検討会」を設置し、臍帯血移植の技術面や、公的臍帯血バンクの設立、運営について検討を始め、これまで集中的に審議を重ねているところです。

臍帯血移植は骨髄移植と比較しますと次のような利点があります。

1.提供者への侵襲は臍帯血移植では原則的には全くありませんが、骨髄移植では骨髄採取の際に入院し、全身麻酔をかけて採取する必要があります。

2.臍帯血の造血幹細胞は成人の骨髄中のものに比べて増殖能力が高く、また拒絶反応を起こしにくいため、HLAの型が完全に一致していなくても移植が可能です。一方骨髄移植ではHLAの型を完全に一致させることが原則です。

3.移植までに必要な期間は臍帯血移植では臍帯血バンクが整備されれば、移植決定後すぐに実施することができますが、骨髄移植では提供者のスケジュール調整や同意を得るために数ヵ月を要します。

一方、臍帯血移植の問題点としては次のような点があげられます。

1.臍帯血は採取量が40〜150ml、平均80mlと少量であるため、体重の軽い小児が中心となり、成人の治療には血液量が十分でないことがあります。これまで本邦で臍帯血移植を施行した患者の平均体重は15kgです。

一方骨髄移植では必要量が採取できるため、患者の体重による制限はありません。

2.臍帯血移植のためには臍帯血を保存する施設と臍帯血の検査、保存に要する財源が必要です。ちなみに国内の需要に対応するためには、HLAの一致率を考えると約2万検体の臍帯血を保存する必要があります。臍帯血1検体に要する検査、保存の費用は約10万円といわれていますので、それだけでも20億円が必要となります。

一方骨髄移植では1件の移植に要する費用はドナー、レシピエント両者の入院費や手術料を含めると1千万円以上となりますが、健康保険が適用されること、および年間約6億円の国庫補助がありますので、恒常的運営が可能となっています。

3.骨髄移植は海外ではすでに数万件、国内でも過去6年間で1,500件以上が行われていますので、その効果、副作用等についても一定の成績が得られており、治療法の一つとして確立されています。一方臍帯血移植は国内における症例数は過去4年間で37件と少なく、治療法としては初期的段階にあるといえましよう。これまでの成績では骨髄移植と臍帯血移植では治療効果、副作用に大きな差はないといわれていますが、臍帯血移植に関しては今後ともに慎重に症例を積み重ねる必要があると思われます。

以上述べてきましたように、骨髄移植と臍帯血移植は造血幹細胞を移植するという目的は同じであり、その対象となる患者も同じですが、それぞれの利点と問題点がありますので、両者が相補う形で運営することが最善であろうと思われます。

さて、臍帯血移植はこれからの医療として極めて重要な事業ですが、この事業を成功させるためには、私達産婦人科医の理解と協力が絶対的に必要です。

臍帯血移植を実施するにあたっては、現在の医学水準に照らして安全性が高く、移植に適した臍帯血を、倫理面を考慮しつつ採取することが重要です。そこで臍帯血採取の実際について述べさせていただきます。

1.臍帯血提供者に対する説明と同意ですが、医師は妊婦とその配偶者に対して臍帯血採取の目的、方法、必要な検査、検査結果の告知に関して十分に説明し、書面による承諾を得なければなりません。

2.臍帯血の採取施設は分娩時に複数の産科医師の対応が可能であり、臍帯血への微生物およびウイルス等の混入を避けるため、一定の清浄度が保たれる適切な場所で行うことが必要です。

3.臍帯血採取の対象は正期産、正常妊婦を対象とします。

4.臍帯血移植による遺伝性疾患の伝播を回避するため、児の2親等または3親等までの家族歴を調査し、さらに児の生後6ヵ月以上経過した時点での健康調査を行います。

5.臍帯血移植による感染症の伝播を避けるため、PROMなどの分娩時の記録を作成し、妊婦の分娩時末梢血の検査を行います。

6.当該施設において臍帯血採取に関する倫理委員会の承認が必要です。

こうして採取された臍帯血は、24時間以内に一定の施設で造血幹細胞が分離され、凍結保存されます。保存の前に母体血の検査として少なくともHBs抗原、HBC抗体、HCV抗体、HIV抗体、梅毒、HLAタイピング、CMVのIgM抗体またはPCR等を含む項目について検査し、医学的に不適当と判断される母体血であった場合は、その臍帯血は保存しないことになっています。臍帯血の検査として、HBs抗原、ABO血液型・Rh型、HALとDNAタイピング、CMVのPCRおよび細胞分離後の血球数測定、造血幹細胞に関するコロニーアッセイなどの生物学的検査、そして無菌試験などの項目について検査し、医学的に不適切と判断されたものは保存しないことになっています。

最後に私達産科医が実際に施行する臍帯血の採取法について述べさせていただきます。臍帯血採取時期については胎盤娩出前に採取する方法と胎盤娩出後に採取する方法の2つがあります。

胎盤娩出前の採取の場合、産科医が対応可能であり、清潔に取りやすいという点があります。一方胎盤娩出後の採取の場合、産科スタッフ以外の人員、例えば臍帯血バンク担当者や助産婦、ナースなどの人員が必要となります。そしてクリーンな採取場所が必要であり、また採取までに時間がかかります。しかし両方法ともに習熟してくれば大きな差はないといわれています。産科医の役割はあくまで母児の安全を最優先するものですから、当面は両方法とも可とし、現場の産科医の裁量のもとで採取を行い、一定期間後再検討するのが実際的であろうと思われます。

今後は造血幹細胞移植体制の確立と運営方法、HLAなどの情報連携体制の在り方、骨髄バンク事業との関係、国庫補助金や健康保険適用など多くの検討すべき課題がありますが、国家的な重要な事業ですので、長期的展望を見据えつつ、早期実現にむけてスタートすることが望まれます。