平成10年10月19日放送

脳性麻痺の発生要因

関西医科大学附属男山病院小児科助教授 杉本 健郎

 はじめに脳性麻痺という言葉の定義から話します。小児科の有名なネルソンの教科書によりますと、脳性麻痺という言葉は、いまから150年前の当時の整形外科医である、リットルによって記述されたものです。彼は「人生の初期に大脳の非進行性病変によって生じる永続的な、しかし、変化しうる運動及び、ポスチャー・姿勢の異常」と定義しています。その発生原因は、未熟性と同様に、分娩時の外傷と仮死であろうと推測しています。そして、産科的なケアによってこれらは、改善され、脳性麻痺の頻度は減少するとも述べています。

 さあ、リットルの予言したとおり産科的管理と新生児ケアが格段の進歩をした150年後の現在、脳性麻痺の発生頻度は果たして減少したでしょうか?

 答はノーです。脳性麻痺の発生頻度は、昔も今も、日本でも、欧米でも1,000の出生に対して平均2件の脳性麻痺が発生しており、、かわりがありません。いえ、それ以上に、成熟児の脳性麻痺の頻度は変わらない上に、超未熟児の脳性麻痺児が激増してきて、全体数としては増加傾向にすらあると云われています。

 さて、次にわが国での現在の脳性麻痺の定義を紹介しましょう。

 1968年の厚生省脳性麻痺研究班のものが今も用いられています。それは次の通りです。

 「受胎から生後4週以内の新生児までの間に生じた、脳の非進行性病変に基づく、永続的な、しかし変化しうる運動および姿勢の異常である。その症状は満2歳までに発現する。進行性疾患や一過性運動障害、または将来正常化するであろうと思われる運動発達遅延は除外する。」というものです。

 この定義のキーワードは、脳性麻痺という概念は、第一に、受胎から生後約1か月迄に発生した脳障害であること、第二は、病変が進行性でないこと、第三に症状は、運動障害のみをさすことです。決して知的障害やてんかん等の合併の有無は問いません。脳性麻痺という病名は、固定化した脳障害から発生する四肢の運動障害を示す「症候群」病名なのです。この定義はおおむね、欧米のものと同様です。

 そこで次に原因すなわち発生要因が問題になってきます。

 現在、わが国でよく利用されている小児科の教科書の記述を以下に紹介します。ここにはわが国の間違った認識が記載されています。

 発生時期を3つに分けて考えています。まず第一に、出生前の障害として、胎内感染、母体の栄養障害、そして放射線障害などによる脳髄の発達障害があると記載されています。この脳髄の発達障害とは、脳奇形、神経細胞の遊走障害などが含まれます。第二として、出生時の異常として、仮死による無酸素性脳症、分娩時の脳出血や脳外傷が含まれ、第三に出生後の障害として、脳外傷、脳血栓、中枢神経感染症、そして重症黄疸による核黄疸があると。これら多くの原因のうち、出生時におこる脳障害が最大の要因となる。以前は頭蓋内出血が重要視されていたが、現在では無酸素性脳障害が最も重要な原因と考えられている。と記載されています。

 さあ、この記述は正しいでしょうか?

教科書にのる以上は、現在の医学生の講義の骨子がこの考えにあり、産科医師を除いた多くの医師、ひいては市民の「常識」として、出生時におこる仮死が脳性麻痺の最も重要な原因であると今もなお誤って認識されていると考えて、大きな間違いはないと思います。

 最近のアメリカ、オーストラリアの脳性麻痺についての疫学的研究結果を引用します。

 1986年アメリカNIHのネルソンとエレンバーグによる調査では、1959年から8年間に生まれて、7歳まで経過が追えた約45,500人の子どもを対象としています。このうち脳性麻痺児が189人でした。この脳性麻痺児のうち、分娩時仮死を疑わせる3つの情報、即ち、一つに、一番少ない胎児心拍数が1分間60以下、二つ目に、5分アプガースコアが3以下、三つ目に分娩後の啼泣までの時間が5分以上かかったもの。これらのうち、1つ以上が陽性であった脳性麻痺児は、全体の21%にあたる40例と報告しています。しかし、この40例をさらに検討して、先天性奇形や小頭症など明らかに運動障害の原因になると思われる項目を持つものを除くと、結局、17例の9%に過ぎなかった。という報告です。

 また、1988年に報告されたオーストラリアのブレイアとスタンレイによる、1975年からの5年間の西部オーストラリアの疫学的調査で、脳性麻痺の脳障害の原因としての分娩時仮死はたった8%にすぎなかった。とアメリカのネルソンとほぼ同様の報告をしています。

 これらに代表される欧米、オーストラリアの疫学的調査結果とわが国の認識の差は顕著であるにも関わらず、我が国では発生要因と仮死の関連についての充分な検討はありませんでした。

 そこで、わたくしは、1991年から神経外来に通院中の脳性麻痺児を対象にして、分娩時仮死との関連についての後方視的研究を始めました。その方法は、詳細な分娩前後の病歴の検討とともに、主に頭部MRI撮影の所見から脳障害内容や障害発生時期を考察するものです。

 御存知の通り、頭部MRIは、脳白質や灰白質を見事に見分けられます。多くの脳性麻痺児で、脳構造の変化をみることで、あたかも考古学での化石や遺跡から生活年代を推測するがごとく、いつ脳内で病変が発生したかを推測することができるのです。

 この研究で、これまでに脳性麻痺児・者110例の脳障害発生時期についての検討結果を報告しました。我々の研究の特徴は、小児神経外来の脳性麻痺児を対象としています。そのため110例のうち、脳性麻痺に知的障害の合併が90%、てんかんの合併が60%と他の疫学的研究よりも重度の脳性麻痺児を多く含んだ結果となっています。

 次に、発生要因の検討結果を5群に分けて示します。

 第一群は遺伝的要因と胎生初期から中期までの脳内構造の形成異常です。形成異常の多くは、脳神経細胞の遊走障害によるものです。このグループが全体の34%ありました。そして、その7割が成熟児で出生していました。 第二群は全体の46%をしめる脳内の血管障害のグループです。この脳障害は、脳梗塞と低出生体重児の脳室周囲脳軟化症、そして頭蓋内出血を含みます。発生時期は胎生中期以降分娩直後までになります。なお、脳梗塞は全体の14%、脳室脳軟化症は20%、脳出血は13%でした。

 第三群は中枢神経感染症です。全体の6%で、すべて成熟児出産でした。多くが胎内のサイトメガロウイルス感染症で、新生児ヘルペス脳炎も1例ありました。細菌性髄膜炎はありませんでした。

そして第四群としての分娩時仮死が主因と思われる症例は、全体の12%でした。

 第五群としては、原因がどうしても決めきれない2例でした。

 1993年英国のバックスらは、脳性麻痺研究の国際的専門家によるワークショップ共同宣言として、以下の事を述べています。

 「充分な根拠がないのに、新生児期に脳症状が出たからといって、容易に低酸素性無酸素性脳症や分娩時仮死後脳症という診断をすべきではない。新生児期の脳症状は、あくまで新生児脳症という診断でフォローしていくべきである」。この宣言は、わが国こそ、広く普及徹底していかなくてはならないものであると思います。

 以上、小児神経専門医の立場から脳性麻痺の発生要因について文献紹介と私見をのべさせて頂きました。