平成11年1月4日放送
年頭所感
日母産婦人科医会会長 坂元 正一
明けましておめでとうございます。
去年今年を貫いて、それどころではないと言う方も、天変地異のような去年などを思い出したくない人もおられましょう。十一月のしし座の流れ星が少なくて願い事がかなわなかったとあきらめて、とにかく目覚めて自分の生の、そして会う人の生命の証に思いを込めて新春を寿ぎ、転換のよすがにしたいものです。天災、地災、戦災、人災こもごも到って地球上の皆が逼塞している今こそ、次の夢の計画を練ったものが次代の勝者になれる機会ではありませんか。
「初寝覚 今年なさねば なす時なし」中村草田男の句ですが、教えられるものがあります。
この一、二年私達の関係する学会で多田富雄名誉教授の「超(スーパー)システム」を学ぶ機会があり、生命の存在様式が、遺伝情報を担うDNAの決定以外の偶然と確率によって、あらゆる可能性を秘めた“なにものでもないもの”から完結したすべてを備えた自己を生成する可能性を考えさせられました。
イモリの胚では重力の関係で上と下が決まり、カエルの卵細胞では偶々精子の突入した側が一般にはおなかになります。こうして胚では上と下と前後が決まる頃から細胞の運命付けが行われ、サイトカインなどの誘導の情報が与えられて個体を作ってゆきます。
上下と聞けば1Gの重力下の現象だとすぐ気がつきます。0Gならイモリはどうなるんでしょう。海から陸に上がった生物が、進化した脊椎動物になったのは、水中では1/6Gの重力が地上では1Gへと見かけ上の作用が6倍になったからだそうです(西原克成氏)。
赤ちゃんが一人前の機能を持ち始めるのは1Gのこの世の中に出てからです。羊水の中の胎児は実は宇宙遊泳を楽しんでいるわけで、帝王切開などでいきなり1Gの中に出ては大ビックリでしょう。私は4Gも0Gも経験していますが、Gや遠心力で全く動けたものではありません。
赤ちゃんは、F15戦闘機の急旋回6Gに値する変化をうけると想像すると、すぐ順応するものの大したものです。
(無重力 何度もできる 宙返り)
グレンさんの「一番すごいのは無重力」という言葉は、Gの変化する状態下で起こる現象を考えると、言い得て妙であり、この世に生きていられるこの幸せと不思議さは、感謝しきれない程です。向井千秋さん提案の下の句に「初体験かと胎児聞き」とつけるのは易しいことですが、われわれも無意識のうちに大変な旅路の果てに生を享けていることを忘れてはなりません。生ける証があるならば、生き方をこそ考えたいものです。
少子化対策もその一つ。沢山の委員会ができて対策も出尽した感じがしますが実行はまだまだです。医学サイドからの提案も大切で、日本医師会の対策のまとめを依頼されています。最後の委員会提案になるかもしれませんが、むしろ問題は結集された知恵をどのように分類して実行するかにかかっています。労働関係からは妊娠分娩の現物給付化、医療費削減要望が出たり大変です。医療を受ける側の方々が多いだけに苦労しそうで、皆さまのお知恵を拝借したいものです。
模範的とされたスウェーデンも国の経済状態が悪化した途端、特殊出生率は1.5以下になってしまいました。如何にマクロ経済の悪化、不活性化の影響が大きいかが分かります。西欧諸国で結婚も同棲も、シングルマザーも同じように認め、援助をしても、やはり生まなくなってしまいました。日本では、国も政財界指導者も重い腰を上げて金融問題に鉈をふるった以上、次の財政にも強気でかかるはずで、国力を問われる少子高齢化への取組も医療提供側を引き締め、受益者側に体面上の手が打たれる可能性があります。
平成十二年に向けての医療制度改革の可能性は、医報にも書かれている通りです。日本医師会と協力して医療界全体で筋の通った解決点を早期に提案すべきで、各医会個々の要求は総枠の中で、地方分権化の問題とともに対策を立てるべきでしょう。医会独自で直ぐにできる問題は、医療の質の向上、情報公開、心を開くインフォームド・コンセントで、医療を受ける側から、医療にかかわる財務効率の乖離に好意的発言を得るところまで努力することです。
医療費には商品のように価格算定の基準がないので、生殖医療など先進医療の医療費にはすでに疑義が出ていることにも留意すべきです。指定医認可基準モデル改正、ほとんど全般に亘るわれわれの領域の生命倫理の検討、母体保護法に残された宿題の解決などわれわれ自身のインフラ・ストラクチャーは、日母、学会が全力をあげて改革構築の土台を築かねば、次の世代、医師の自由裁量権に影響が残るでしょう。有名なウィリアム・オスラーの信奉者である聖路加国際病院の日野原重明先生は、彼の思想が「理想と行動」にあることを、引用されたシェークスピアの言葉から学ばれたそうです。オスラーは言います。「若い人々よ、あなた方が生まれてきたのは、世の中から何かを得るためではなく、他人に幸福を与えるよう、最善の努力をするためである」。彼の引用したのは悲劇「マクベス」の第四幕第一場での主人公のモノローグです。「おれの思想に、行動で冠をかぶせるために、思いつたらすぐ実行だ。」日野原先生のような紳士にこそこの告白は生きてきます。
幸福を与えるには本気で理想と実行に移すべきだと言うことです。名鐘も撞かなければ鳴りません。吊っておくだけなら無いのも同じです。本気と言いましたが、本の字のつくものはいいことばかり、本心、本気、本腰、本当、本物、本流、本願、殊に次の世代を担う若い人々に申し上げておきたいと思います。偽はいけない。まがい、もどきでは絶望の淵が待っているだけです。つけ加えておきたいことは、時代が変わっても人間の尊厳(human dignity)が相互にたたえられている限り、生命倫理の本質は、意外なほど納得できる形で存続し、されるであろうということです。
悩める人を救うのは臨床医の義務ですが、相互に、善意であっても狭い倫理観でその場限りの自己満足やエゴの完結のみでは、真の倫理となり得ないことも、勇気がいるでしょうが知らねばなりません。その上で「己が己を制御し難きに、如何にして他人を制御できよう」という謙虚さも表裏一体として考えておきたいと思います。沈潜した時代、さらに高度の医療の質を求められるならば、われわれ自身が生涯研修に努め、自らを磨いて第一級の人にならなければなりません。
かつてザルツブルグでカラヤンの考えを入れて岩壁をくりぬいて造ったオペラハウスで、シカゴシンフォニーを聴いたことがあります。当時、世界一と言われた管楽器の音は、未だに忘れられません。芸術も学問も人も第一級ならば、自然に本物の風格、味が滲み出て、人であればその人が居るだけで自然の気品が素晴らしい雰囲気を醸し出して、大きな影響を人々に与えるものです。このことを宮崎医大を創設された勝木司馬之助先生は恩師に贈られた言葉を常に大切にされ、その境地になるべく努力する大切さを説いておられます。
「風の花辺より来るものは自ずから香しく、水の竹裏より来るものは自ずから涼し」墨して曰く、「花辺の風、竹裏の水」。混濁の世なればこそ、私はこの道を慕って歩きたいと思うものです。