平成11年5月24日
日産婦総会・会長講演より
第51回日産婦学会会長 佐藤 和雄
過日行われました第51回日本産科婦人科学会にご出席いただきましてありがとうございました。先生方のおかげで盛会裡に終わることができました。
本日は会長講演「生殖医療とプロメテウスの火」についてお話をしたいと思います。
ギリシア神話によればプロメテウスはゼウスに秘して門外不出の火をヒトに与え、そのためゼウスの怒りを買い、コーカサス山の岩に縛りつけられ鷲に肝臓を食われる責め苦にあったと語られています。このように火は神々の神聖な道具であり、火を使えるようになったことがヒトがサルから進化し、文明の世界へ漕ぎだす動力になったのです。火に代表される道具(技術)の改良、革新が文明の発展の推進力となり、新時代と呼ばれる大躍進の姿を産み出してきました。しかし道具が技術と呼ばれ、科学という方法によって研きあげられるようになるには19世紀を待たねばなりませんでした。
19世紀に入ると医師、聖職者、法律家とは違う科学者(scientist)という名の自然を探求する集団が生まれました。彼らの研究の対象は人間ではなく自然であり、自然という我々にとって第三者的なものを研究することから基本的には何に対しても責任を負う必要がないと考えられていました。そのような意味から19世紀から20世紀初頭にかけて科学者は自然について研究をすることに関して倫理性を持つ必要がありませんでした。自然探求は目的であってそれが社会に還元される、されないということは全く意味のないことと考えられていました。現在科学イコール技術と考えられていますが、技術は19世紀までは必ずしも科学と同一のものではありませんでした。それまで技術はギルド組織の従弟性によって保護され、そのためかえって進歩がなかったのです。しかし19世紀になるとフランス、ドイツ、アメリカなどで技術者養成の機関が作られ、技術の改良、革新のために科学的研究の方法論が用いられ、それが航空機やコンピューターの発明を促すことになってきたのです(村上陽一郎:科学者とは何か。新潮選書1994)。
20世紀に入ると第二次世界大戦を契機として第二の火といえる原子力の開発が行われ、戦争終結という大義のもとに原子力爆弾という人類にとって最も危険で取扱いにくい道具の製造が行われました。他方分子生物学の発展はDNAの組み変え技術を産み、生物の進化の基本を操作できるまでになりました。19世紀、科学という名の道具が錬金術のように原始的な技術を科学技術という全能的なものへと進化させ、その応用によって人類のすべての望みが叶えられるとの錯覚をもたらしました。しかし第二の火と呼ばれた原子力、科学技術の利用によって起った環境汚染など、科学は万能ではなく、むしろ人類にとって悪であるような事態を招くことを20世紀後半に到り自覚させられるようになりました。これらのことが科学と技術を交叉させ、さらに科学に倫理性を持たせる流れを社会の中に作りはじめたのです。まさにこのような時代に生殖医療という人類の生物としての将来を定めるような技術が不妊治療に応用されるようになりました。
不妊治療に革新をもたらし、不妊患者にとって大きな福音となった排卵誘発法が開発された時代は、ヒトの妊娠は全て女性の体内で起こる神の摂理のもとにある不可侵の自然現象と考えられていました。しかし1977年Edword、Steptoeによる体外授精児ルイーズの誕生は神の摂理をヒトが調節できる領域へと引き下ろしました。これは生殖医療という技術の異次元への門出であり、まさに第二の火とも呼べるような技術革新といえるものでありました。
ヒトは誰でも子をもちたいと願うのは自然の摂理です。しかしこれまでは必ずしもそれが全てのヒトに認められてきたわけではありませんでした。1994年カイロ人口会議で女性の子を持つ権利が reproductive rights , reproduction freedom として認められたものです。しかし権利を主張するからにはそれに伴う義務を忘れてはなりません。それが子の福祉の保障であると思います。子を持つ以上この義務は必ず満たされなければなりません。
しかしアメリカとイギリスでは考え方が異るようです。アメリカでは「ヒトの子供産む権利が何よりも優先する」としてますが、イギリスでは「不妊治療は親の産む権利よりも生まれくる子供と既に家庭に存在する子供の福祉を第一に考慮しなければならない」としています。これらを比較してイギリスの考え方が、きわめて理に適っており、これを基本的考え方にすべきと思います。
ヒトとしてのアイデンティティとは何でしょうか。ヒトとしてのアイデンティティとはヒト個体の存在即ち唯我独尊の保障と人類の遺伝的一体性の侵害の排除にあると思います。1998年ウイリアムートによって開発されたクローン技術のヒトへの応用は、この基本に反するものであり、またキメラ、ハイブリッドなどは禁止されるべきものです。
不妊治療の特性は不妊カップルに対するものと出生児に対するものとがあり、それ故通常の疾病に対する医療とは次元を異にします。通常の疾病は、ある一個体において発生し、それが治癒すれば終了するわけで個体の中で治療は完結します。しかし不妊治療は臓器移植と類似しており、第三者の肉体が関与します。それ故それぞれの治療には第三者の肉体の保善を常に考慮する必要があります。それが親子関係の発生であり、子の福祉の保障を意味することになるのです。
そのためには子の福祉を第一義的に考え、出生児が最も自然であると思う形を整えるべきであります。そのことは出生児の嫡出子としての法的地位の保障が確保されるべきで、換言すれば婚姻している夫婦、最大限譲歩したとして内縁関係の夫婦という男女カップルの子としての地位を保障すべきで、独身者、ホモ、レズのカップルはその対象になるべきではないでしょう。そのために父親の嫡出否認の禁止が法的に規制されるべきです。しかし出生児の将来における出自を知る権利の保障については各国で意見が別れるところでありますが、私見としては限定認可すべきと考えています。それによって遺伝的出自を知ることができるからです。
商業の介入は絶対に避けるべきことです。現在、精子ビジネス、卵子ビジネス、代理母などが特に米国で行われています。極めて高価で、ある意味では人身売買に抵触するのではないかと思われるほどです。我が国のエクセレンスという業者も高額を要求しているようであり、一日も早い法的規制が望まれます。
優生学的利用についてはこれを排除するようにすべきであります。
生殖医療の費用については現在は我が国では自費で行われているため各施設によって一定せず医療の内容を含め野放し状態であります。日産婦学会としてもこれから単に登録を行うだけでなく医療の内容を含めた peer review systeem を確立する方向で検討をはじめています。しかし費用の負担については一定の基準が設けられるべきでありますが、保険でのカヴァーという点を最も考えなければならない時期に来ています。幸い厚生省も少子化対策からもその方向で動き出していると仄聞していますが慶ばしいことであります。
医療として行われる限り生殖医療にも医師の裁量権が行使されうるので医師と患者の間での informed consent に則ってどのような医療行為も許されてよいでしょう。その典型が根津医師の例であります。しかし人類の種として将来を規定するような医療行為である生殖医療をマスコミの美談作りの種として野放しに行ってよいとは考えません。将来起こるであろう問題を考慮した議論の上で規制を設けるべきです。
我々科学者、科学を用いて技術を開発し使用している医師としての役目は、自分自身の仕事を常にチェックするチェックシステム(peer review system)、それらを十分に把握したうえでクライアントから informed consent を得られる機能を作ることが責務だと思います。しかし根本的には医療はヒポクラテスの誓いを基本にすべきであると思います。我々は神との約束で仕事をしているということを忘れてはなりません。医療は癒しの術であるのです。ここで我々が自覚しておきたいことは医者はしばしば欠陥商品を生み、利用し続けているということです。我々の医療は完璧ではないのです。常に進歩があり、以前より少しは良いものだという意識だけが自分の心の中にあるのです。しかし現時点の商品が本当に完成されたものであるかを考え、常に欠陥商品をクライアントに売っているという自覚を持つべきです。それが我々の回避できない義務であると考えています。
生殖医療という科学技術の将来が第二の火と呼ばれた原子力と同じ後悔の道を辿ってはならないのです。
21世紀に向かって考えておきたいことは、科学が全ての迷いを解いてくれるわけではないということも自覚しておく必要があると思います。科学によって人間の持つ理想像が何であるかを知るには科学はあまりにも単純すぎるということです。