平成12年1月3日放送

 年頭所感 2000年新年の賀詞

 日母産婦人科医会会長 坂元 正一

 

 あけましておめでとうございます。

 いよいよ新ミレニアムに踏み込んだと言っても、この放送録音はまだ2000年の元旦を迎えていない時なので期待のY2Kに何が起こったか、起こらなかったかに触れられないのが残念です。日本やイスラムなどの暦も西暦同様に組み込んであればY2Kなど起こることはなかった筈です。世界標準になっている西暦が、キリスト降誕紀元と呼ばれたのは西暦525年に神学者が唱えたからで、ゼロという概念が未だインドで“発明”されていなかったために、キリスト生誕年は紀元1年にされたわけです。これがゼロ年になっていたら、21世紀は紀元2000年からということでスッキリしていてコンピュータ設定も変わっていたかもしれません。

 しかし、ともかくも20世紀最後の年、顧みれば見事なまでの科学の進歩の跡を残しながら、“幸い”とは程遠い苦渋の跡の何と多いことでしょうか。人類の進歩とは、ジャングルの掟を引きずりながら、ただ向上なき前進をするだけなのでしょうか。

 自ら“戦いの世紀”―単にイデオロギーの戦から民族の戦いに変わっただけの過程に自ら目をつぶりながら― そう名付けて恥じない20世紀の定義づけ、すさまじい貧富の差、飢餓と死、経済の混乱、エイズなど新たな人類の敵を前にしての性の乱れ、天然痘株を生物化学兵器に応用を試みる無神経さ・・・。

 一つだけ具体的に取り上げるならば、「天然痘撲滅宣言」が出たのは、1979年、我々がFIGO世界大会を東京で開催していた最中でした。WHOは昨年の6月までにすべての天然痘ウイルスを破棄することに決めてあったのを、2002年までに延期することになったのです。宣言を出して以降、WHOは世界中の天然痘ウイルス株を集中管理するためにアメリカのCDC(Center for Disease Control)に集めようとしたところ、ソビエトも預かりたいというので半分を頼んだのです。CDCは日本の50株も含めてきちんと管理しています。ところがソビエトは、その株を利用して生物化学兵器にするという国家プロジェクトをスタートさせてしまったのです。各国はもうワクチン製造はやめています。そういうところに蔓延したら80%が罹患し、40%以上が死亡する、大変なことになると富山県衛生研究所所長の北村氏が警告を発せられましたが、日本では問題視されていません。ソビエトが崩壊してロシアになった時、研究所に混乱が生じて、この天然痘ウイルスをリビア、イラン、イラク、北朝鮮に売却してしまい、ロシア自身は生物化学兵器として開発する国家プロジェクトをゴルバチョフとエリツィンが承認していたことが90年代前半にアメリカに亡命した研究者の口から漏れました。そのためWHOは破棄計画を延ばし、対策も練っています。昨年10月ジュネーブでこのことを研究テーマにした総会を開こうとして何故か中止になりました。全く外国のことに関心を払わない日本人のどれだけが、この愚行を人類の危機と認めているでしょうか。

 人々はこの世紀に心を忘れたのでしょうか。難病の女性が死に対面して祈ったラインホルト・ニーバーの言葉を、今年ほど痛切に感じたのは初めてです。

「おお 神よ 我等に与え給え 変えるべきことについては、それを変える勇気を。変えることのできないものについては、それを受け入れる冷静さを。そして変えるべきことと、変えることのできないものを、はっきりと見分ける英知を」

 昨秋、日母産婦人科大会に掲げた“称えなん いざ 遥かなる“いのち”の創生を”の私たちの願いは、次のようなものでした。

 どのような形であろうとも、けなげに咲く生命−その幸せ、不幸を他人が規定できるわけはない。それはその生命そのものの特権である。虚飾のない小さな生命にさえも、等しく愛の会釈をおくろうではないか。その原則の上に、人の尊厳性にとって、より良いと思われる癒しを捧げることを私たちは誓いたい− そういうことだったのです。今、やっと賀詞の歌を捧げる心の昂ぶりを覚え、申し述べます。

「新たしき年の始めの初春の けふ降る雪のいや重け吉言」(大伴家持の歌)です。

 寺山修司氏の歌にある「マッチする 束の間 海に霧深し 身捨つる程の祖国はありや」の最後にある“身捨つる程の祖国”を思う心を日本人は忘れたのかと私は問いかけたいと思います。我々は、この地球上で我々の権限を守ってくれるのは、二つとない祖国、国という単位であることを平和呆けのまま忘れてはいないのかと言いたいのです。おのれ自身の周辺のことのみに捕らわれすぎてはいないか、今こそ反省すべきであります。歴史は繰り返すと申します。

 第二次世界大戦後、復帰に10年はかかると言われた頃、5年にして農業から工業国への転換の機会をつかみ、所得倍増計画の池田内閣の施策にのれたのは、朝鮮動乱の余波によるものでした。しかし、その傲りは48年の石油ショックに潰え、企業を当てにした歳入の不足は、その補いとして50年政府の国債発行総額120兆円に及ぶ結果になりました。堺屋太一氏の「油断」という本が売れた頃の話です。

 かなしきは あくなき利己の一念を 持てあましたる男にありけり(啄木)

 やっと取り戻した景気回復は、やがてバブル崩壊につながり、我々の側も激しい医療改革の嵐に見舞われたことは記憶に新しいところです。経済構造の根本的改革が叫ばれ、行政や保険者の医療費抑制に対する改革や大幅な薬価切り下げが具体的に示されたのが昭和58年、当時のプロパーの動き、薬漬けの医療を思い出される方もありましょう。60年頃、薬価抑制の考え方として、4年間に46%の薬価切り下げは市場実務価格主義をみて決定したのであって、納入価格が維持できぬというのは買い叩かれる弱みを抱えるほうが悪いという厳しいものでした。医療費の高騰もまた世界の趨勢であり、要因は医学医療、薬学の進歩と人口の老齢化にあることは今と変わらず、先進国での改革はそのまま現在の医療改革につながっています。現在のマクロ経済の苦しみ、対応のずれが政財界を問わず、国民が最も信頼していた中枢部の失政、汚職の返しの波と知った国民は、年齢を問わず、確かにキレたと言えます。信頼を裏切られた人の心の荒廃の凄みは、多くのエピソードを知る臨床家も匙を投げるほどであり、少子化の原因の一つとも言えましょう。

 果たして1999年11月発表の年度末債務残高608兆円、戦後最高の借金漬け財政ではありませんか。合併につぐ合併によるグローバルな大資本力に頼って抜き出さざるを得ないほどの不況です。

 この不況の姿は“油断”時代とそっくり。インフレとデフレの違いくらいがある位でしょう。歴史は繰り返していることは明らかです。我々は初めて生き残ることは自分の責任であること、歴史から学ばねばならないことを悟ったのではないでしょうか。

 “一葉落ちて 天下の秋を知る”ことこそ、世のリーダーの資格であり、賢者であり、国を治す上医たるべき医師の義務ではありませんか。年のはじめにあたって、我々はまず、自らの知恵を絞ることを強調しておきたいと思います。

 それと共に我々が続けることの出来るのは自らに生涯教育を課し、秘やかに医の誇りを内に秘めることです。

 昭和59年来、日本医師会の「生涯教育推進会議」に参加した中で私が学んだ言葉をお伝えしておきましょう。「5年大昔 10年化石」、学ばざる研修者の行く末を例えたものです。もう一つ、サルトルの妻であったボーボアールの名著「老い」の中の言葉を差し上げてご挨拶の結びと致します。

「老いが、それまでの我々の人生の哀れなパロディでないようにするには、ただ一つの方法しかない。それは、我々の人生に意義を与えるような目的を追求し続けることである。」