平成12年12月18日放送第11回日母全国支部医事紛争対策担当者連絡会より
「最近の裁判所の考え方〜迅速な審理を目指して〜」日母医事紛争対策委員会委員 足高善彦
毎年、最高裁判所と司法研修所が相談をして、民事と刑事の研究課題を1題ずつ設定し、司法研究員を指名して、2年間で纏めるという作業が行われて来ました。
平成10年度の民事研究テーマは「専門的な知見を必要とする民事訴訟の運営」でありました。司法研究員に指名された5名の裁判官達による研究報告書概要が本年3月1日号の「判例タイムス」に掲載されました。そして、この10月には司法研修所から報告書が出版されました。本日はそれらの内容の要点を紹介させて頂きます。
平成10年1月からの新民事訴訟法の施行以来、第1審訴訟事件は着実に平均審理期間が短縮されて来ていますが、医療過誤訴訟や建築関係訴訟は、公害訴訟と同様に依然として長時間を要しているのが現状であります。
本研究の目的は訴訟数の多い医療過誤訴訟と建築関係訴訟に焦点を絞り、裁判が長期化している現状の分析と、訴訟運営上の問題点を検討して、専門訴訟の有るべき運営について提言を行う事でありました。ここでは報告書の9割以上を占める医療訴訟部分につきまして説明をさせて頂きます。
裁判官に対するアンケート調査や、弁護士、あるいは鑑定経験を有する医師との意見交換に加えて、我が国の民事訴訟法の母体とも言われますドイツとフランスの鑑定制度につきましても、現地調査が行われました。
本研究の裁判官達は、あくまでも患者側は真理追求が第1で、例え時間がかかっても慎重な裁判を求めていると考えていましたが、訴訟追行の心理的負担の重さを、患者側と被告の医療者側の何れの弁護士からも指摘され、迅速な裁判の実現の重要性を再認識したと述べられています。
ドイツでは既に、1975年には医師会による調停所や、医師と弁護士で構成される鑑定委員会が発足していました。現在では、医療過誤事件の大半は訴訟前にこれらの調停所や鑑定委員会に申し立てられ、鑑定が行われることで殆どの訴訟が解決しています。それでも紛争が解決せずに訴訟になりましても、提起された時点では既に争点が整備されている事になります。裁判官が争点整理に苦労している日本の実情は、とてもドイツの裁判官には理解され難いと述べられています。さらに、ドイツでは弁護士間の競争が激しく、弁護士の専門分化が進んでいる点を指摘しています。また、大都市の裁判所には医療過誤事件の集中部が設けられており、医療過誤部独自で充実した鑑定人候補者名簿を作成している事に加えて、集中部では過去の事例を詳細に集積している事と、大学の医師との間で協議会をくり返している事や、そのような関係から大学病院からの鑑定人推薦も容易である事が解りました。しかしながら、このような好ましい状態がつくり出される迄には、やはり10年以上にも及ぶ時の経過が必要でありました。
1980年代まではスキャンダラスな医療過誤訴訟の発生で、医療界がマスコミや政治家から批判された事で、医師側に自覚が生まれた事と、裁判所側の働きで医学界との意見交換が行われる様になりました結果、お互いの不信感が無くなった事も大きく影響していると記されています。このような結果として、客観的な鑑定を行う事が医師の職務と理解されるようになりました。
フランスでの調査からは、起訴前鑑定の活用と、鑑定人主導の鑑定手続きが特徴的であることが解りました。フランスでは民事訴訟法の中で50条以上を割いて、鑑定人の義務や、権限の範囲、当事者の協力義務、不協力者への制裁措置等が詳細に規定されています。この鑑定人名簿に登録される事が、専門家としての一種のステイタスとされ、登録希望者も多いとの事であります。例えば、鑑定人は期日を指定して当事者双方を呼び出し、言い分を聴取し、関係資料を提出させ、関係者の事情聴取を行う等、主催者的な立場で双方の主張と証拠の整理作成を行います。このように鑑定人の公正中立な見解が、紛争の早期解決に役立っているとの事でありまます。更に、鑑定人研修制度があり、新規登録者に対しては、裁判官や鑑定人協会理事らによる詳細かつ実践的な名講議が行われています。
以上の意見聴取や、ドイツとフランスでの調査から、我が国における適格な専門訴訟の運営上の改善策が打ち出されました。
平成10年にスタートした新民事訴訟法の特徴は、迅速かつ適正な争点整理作業を行う事と、適切な審理計画に基づく集中証拠調べにあるとされています。この2点を踏まえての提言であります。
第1に、裁判官には専門的な知識が無く、それを補充する有効な手段も無いために、争点整理を行なえないのでありますから、争点整理手続きを的確にするために、先ず被告に診療経過に関する主張の内容を時系列的に整理させ、その中に診療録等の書証との対応を明記した診療経過一覧表を作成してもらいます。これを基に原告側に認否や反論を求め、争いの無い事実と、有る事実を早期に確定しようというものであります。そうする事で、どの時点で、いかなる内容の過失や因果関係を主張するのかを原告側に整理させ、それに対する被告の反論を求める事で、法的主張が整理できる事になります。そこで、裁判所が争点の柱立てをして当事者に示し、各々の主張を書き込んだ争点整理表を作成してもらいます。争点整理票の作成と共に、当事者にその主張を裏付ける証拠の提出を求めます。争点整理終了までに弾劾証拠を除く総ての書証を提出させ、証拠等のチェックリストを作成してもらいます。この際の工夫として、例えば、医学的な評価に関する物には私的鑑定書や文献、論文などが有りますが、文献では特に立証しようとする部分にラインマーカーを引いて提出させるとしています。更に、提出された文献が当該専門分野でどのように位置付けされており、どの程度に定説として認められているか等につきましても、準備書面や証拠説明書で十分に意見を述べさせる必要があるとしています。なお、私的鑑定書につきましては、臨床経験に乏しい医師や、専門分野が異なる医師に依り作成されたもの等が見られますので、これらに対する慎重な配慮が必要である事を指摘しています。
次に、争点整理の段階にも、専門家に関与してもらう必要があります。新民事訴訟法と民事訴訟規則では鑑定人が審理に立ち会い、裁判官の許可を得て尋問する事ができるとされていますので、鑑定の早期採用が可能になります。例えば、全国の地裁や簡易裁判所には調停委員として医師も所属していますから、事件を調停に付して、専門調停委員の協力を得ながら、争点整理を行うのが最も現実的であるとしています。更に、人証調べが終了する迄に鑑定を採用する事の重要性を指摘しています。そこで、鑑定人選任システムが将来可動するようになれば、争点整理の鑑定、これを釈明処分の鑑定と呼ぶそうですが、このような釈明処分の鑑定と、証拠調べの鑑定に分けて実施できるとしています。鑑定人に裁判の早期の段階から参加してもらう方法として、法律に規定されている電話会議システムやテレビ会議システムの利用を挙げています。これらの方法に依り、多忙な中でも時間を割いてもらう事に配慮できるとしています。
次いで、専門訴訟では人証調べに多大の時間を要していますので、その改善策として、医師等の専門家証人への主尋問と反対尋問を、一期日で実施するべきであると指摘しています。それには、何が争点であるか明らかにされており、各争点と証拠との対比や対応が明確にされ、人証で何を立証するのかが明示されている必要があります。その為には人証調べ全体の審理計画が予め決定されている必要があります。従って、陳述書等の供述内容が事前に開示されている事や、書証の事前提出に加えて、争点整理段階で診療経過一覧表が作成されておれば、人証調べにおきましても活用できる事になる訳であります。
最後に鑑定のあり方として、2度と鑑定をしたく無いとの意見が、多くの鑑定経験者から寄せられた事に対する改善点が盛り込まれています。即ち、鑑定方法の工夫として、鑑定書の簡素化、口答鑑定の活用、鑑定委嘱の活用、鑑定書提出後の鑑定人尋問運用の見直し等を提言しています。
判決の言い渡しは口答弁論集結後2ヵ月以内とされていますが、専門訴訟ではこの期間内にされない例も少なくはありません。平成10年度における通常事件の平均審理期間が21.8ヵ月であったのに対して、医療過誤事件のそれは33.5ヵ月、更に損害賠償事件で鑑定を要したものでは46.3ヵ月もかかっていました。しかしながら、これからの専門訴訟では、訴訟受理から争点整理終了までに1年を、そして、人証調べと鑑定、及び、その後の審理に10ヵ月、更に、判決書作成に2ヵ月の合計2年間を目標とするべきであり、弁護士の専門化や訴訟提起前の事前準備の充実、鑑定人選任システムの整備が導入されれば、1年6ヵ月を目標にする事も可能になると締めくくっています。
このような報告を受けて、早くも最高裁判所に動きが見られます。例えば、本年11月14日付けの産経新聞に依りますと、最高裁判所は東京や大阪等の大都市に、ドイツで実施されているような医療訴訟の専門部の設置を、本格的に検討していると報じられています。また、11月15日のメディファックスは鑑定人選任システム制度の導入等の、大きな見直し作業が進められている事を報じています。
本日は、新民事訴訟法のもとで、医療過誤訴訟の審理が大きく変わろうとしている事につきまして、主として司法研究報告書概要を基にして、お話をさせて頂きました。