平成13年1月1日放送

 年頭所感

 日母産婦人科医会会長 坂元 正一

 

 いよいよ21世紀。あけましておめでとうございます。

 キリスト誕生をもとに西暦が作られ、西暦が決められた頃は、まだゼロの概念が生まれていなかった為に、1000年毎に世紀の変わる前の年はミレニアムと呼ばれることになり、世紀末と重なり、よくも悪くも大騒ぎすることになります。

 国の内外での政局の混迷で景気回復が減速され、世界中が重苦しい雰囲気につつまれています。こんなに時間の粒を重く感じる変わり目を迎えようとは想像もしませんでした。私達の日母医報に元気づけに強気の内容を考えていたので、書初を用意しましたが、広報委員から明るい赤ちゃんの素描を要求されたのも判らないではありません。

 従って、人類歴史はじまって以来の第2ミレニアムという千載一遇の機会に生き得た幸運にあやかって、この年私自身の印象深かった事どもの随想を拾ってみることに致します。

 『葉っぱのフレディ―いのちの旅』(レオ・F・バスカーリア教授の生涯でただ一冊書かれた絵本_教授は日本版の出た1998年の秋亡くなられました)のことです。朝晩ようやく秋らしい風が吹くようになった頃、東芝EMIの方から森繁久彌さん朗読のCDを戴きました。 この絵本を知った時より、さらに深く人生の四季を考えている自分に驚きました。不勉強の私は、1999年4月11日日曜日に、第51回日産婦学会総会会長講演で佐藤和雄教授から、「フレディのいのちの旅」を初めて教わり、あの薄い絵本に強く共感を覚えました。「私たちは、どこから来て、今どうあり、これからどうなるのか」は大変な人生の、年齢を問わない人間の命題です。結びつけられた一葉の枯葉を見て再生した病人を描いたO・ヘンリーの短編、倒れかけた朽木から春になると若い芽の出てくる森の物語など、他にないわけではありません。しかし、葉っぱ達の会話や状況描写は抜群に美しく、本書は社会現象の一つになるほどのミリオンセラーになりました。「命は循環するという―いのちの哲学―を私は葉っぱのフレディから学んだ」と謙虚に言われる日野原重明先生は、自ら脚色された音楽劇と哲学随想を「フレディから学んだこと」と題する本にまとめられ、童話屋から2000年10月4日出版されました。素晴らしい本であり、今、私はその本を横において放送原稿をまとめています。博士は人生を四季にわけ、フレディの旅によせて考察されています。それを抄録としてお話するわけには参りませんので、四季の中に引用された句のみを拾わせて戴きます。

 【春】 十分に終わりのことを考えよ まず最初に終わりを考慮せよ

       創造者としての レオナルド・ダ・ヴィンチ

 【夏】 幸せは結果にすぎない でも人生にYESと云う

       ナチスの死の強制収容所からかろうじて生還した

       ヴィクトル・フランクル

 私は、かつて収容所を訪れ、二人ずつ焼く丸い筒のある人間焼却場、それはレンガ作りの壁、その筒の上に鉄格子の窓が一つ、薄暗いその部屋でたたずみ涙ぐむ老婦人と眼があった。「米国からこれで三度目、もう二度と来ることはないでしょう。まだ6つになるかならないかの私は、母が焼かれている間、その窓の外にある庭で何も知らずに遊んでいたのです。」返事は声にもならず肩をさすってあげながら涙を共にしていた私。その夜ディナーで真向かいに座った暗い顔付きの老人も偶然の生還者。隣の娘さんは私の友人の教授秘書でした。めぐり合せの悲惨さは、若い秘書嬢の明るい笑顔が補ってくれました。

 もう一つ夏の句を

     人生は旅路である Life is not the goal , itユs the voyage

       フレディの著者 レオ・F・バスカーリア教授

 【秋】 私たち人間も人生の仕事を終え

     それぞれの勤めを果たした後には

     それぞれが身を染めて

     時が来れば美しく

     未練なく散りたい

       日野原重明

 原子力放射線被爆者の予後についての学会で訪れたキエフの大きな楓の美しく色づいたそれを押葉にしておられます。実は私も北米の Golden Leaves をそうしてアルバムに保存している想い出があります。

 【冬】 苦痛のはげしい時こそ

     しなやかな心を失うまい

     やはらかにしなう心である

     ふりつむ雪の重さを静かに受取り軟らかく身を撓めつつ

     春を待つ細い竹のしなやかさを思い浮かべて

     じっと苦しみに耐えてみよう

       細川宏 残された詩集より

 細川宏 癌死 享年44歳。私が教授になった時の学部長中井準之助氏と同級。海軍の三種軍装の衣地の服の姿で、顕微鏡をのぞきながら私は組織学を教わりました。温厚な学者でした。

 【死後の世界について】

     つかの間

     自然の摂理に身を委ね

     静かに旅の終わりを迎えるがよい

     オリーブの実が熟して落ちる時

     支え続けた枝を祝し

     命を受けた幹に感謝するように

       ローマ皇帝マルクス・アウレリウスの「自省録」より

 日野原重明先生は私の小学校の先輩、先生の義弟にあたるF君は中学では同級生、戦後逝いて既に亡くなっています。先生には折にふれて声をかけて戴き常に感謝し、誇りに思っています。ここにあげた先生の著書、折あれば一読の上、若い人々に薦めていただきたいと切に思っています。

 9月初旬、第16回FIGO世界大会が約1万人に及ぶマンモス学会としてワシントンDCで開催されました。その前6月にはニューヨークの国連でWomenユs right 2000が、カイロ、北京に続いて行われたばかり、殊に1日1ドル以下で生活している40億の人々の中での女性の権利は、今日でさえ、その尊厳性も含めて不平等であり、各国は国として成果をあげるべしとの宣言の熱気はそのまま火のように燃え盛っていました。Hubert de Watteville Memorial Lecturer は、前会長のFathala教授、その言葉もまた印象的であり粛然と聞かせるものがありました。

“We are not here just for science ミ we are here for the sake of women at large”

 そして続けます。

“Safe mother-food should be considered a womenユs human right.

“Maternity is not a disease.”

 FIGOは今、科学の発展のみではなく、悲惨な女性を救うべく動き出したことをお伝えしておきます。

 夏のシドニーオリンピック。日本の女性陣の活躍に目を見張りましたが、ゴールドメダリストの監督さん達の言葉は味わい深いものでした。

 1 試練を乗り越えられない者に 神は試練を与えない

     アトランタ代表コーチ北田(旧姓持田)典子さんが

     柔(田村亮子)ちゃん金メダル受賞に際して

 2 練習は裏切らない

     女子ソフトボール監督宇津木妙子さんの言葉

 1998年夏以来、1時間ランニング、500本打撃練習、1000本ノック、1日6時間の訓練で遂に絶対と言える自信を持たせました。シンクロナイズドスイミング(銀メダル)の女性コーチ井村雅代監督は、1日10時間以上選手をプール漬けにして猛稽古で鍛えあげました。しかし合宿の冒頭に、必ずミーティングで各国レベルの情報を伝え、金メダル目標に向けての練習の仕方を納得させ続けたそうです。

 3 修業している者に自主性は必要ない

     女子マラソン高橋尚子選手の監督小出義雄さんの言葉

 女子マラソン初優勝の高橋尚子選手を育てオリンピック前の著書「君ならできる」の中での小出義雄監督の言葉です。事実は栄養、体力、筋肉等の実にきめ細かい管理をし、無理をさせず、そこへもってきて高橋尚子選手の素直さが結実し、あの結果を生んだのです。理論の裏付けと不屈の意志、納得のゆく管理と愛情が監督にあれば、選手との絆が選手自身をかえてしまい、そのいい所が伸びてくることを教えられました。

 どの世界でも共通する部分が多々あります。そのようにして、何時も“今時の若い者が新しい時代を作ってきた”のです。蔭には黄金時代を老いに至るまで持ち続けていた人々の老いたる魂と高い志があって、それを支えてきたことも忘れられません。

 年頭に思います。“未来に向かって何をなすべきか。Doしかない。”と。