平成13年4月23日放送
 会長就任挨拶
 日母産婦人科医会会長 坂元 正一

 

 「七転び八起の それも 花の春」
 
鳴雪氏の句を書き初めとし、日母産婦人科医報5月号の表紙に掲げました。代議員会で、国際母性新生児連合会長の役柄が2003年まで続くのに配慮されて「今ひとたびの会長」に任命されました。国内においても文字通り21世紀の日母事業の始、ということで日母事業の進め方は日母医報に掲げ、さらに代議員会で詳しく論じ採決されましたので、ここでは省略いたします。その代わりに親鸞に倣って「難しいことは易しく、易しいことは深く、深いことは面白く」と心に画きながら年頭の句に込めた思いを短くお話させていただきます。

 日母定款改正は年が明ければすぐにという詰めが、1月6日の官庁移転のどさくさで、官房の見本通りにせよとのお達示。13,000人の会員の2分の1の産婦人科医が持場を離れて総会のため東京に来ると、妊産婦の面倒は誰が見るのかという質問には検討中の由。新内閣の組閣まで延びそうです。

 日母事務局は前に借りていた会社が正式移転の届けを出したので、すべての準備が整ったところで10月に入って移転になります。

 日産婦学会が、従来年2回の日母との打合せ会を2月毎に1回位にしてよりよい職務分担を、という希望のあることが判りましたので、お互い何らかの変化が起こる可能性があるかもしれません。

 さて、今年の桜といえば狂い咲きもいいところで、少なくとも私の家の前の“そめいよしの”や近くの“八重桜”も満開になってからの冷え込みのおかげで、散りかかっては、迷ったように僅かに芽を出した若葉にこびりついて、急な花冷えに、まだ葉桜になるのをためらっています。政局を見る様です。
 8年前の4月半ば、満開のままきびしい花冷えに散りそびれていた並木道の“そめいよしの”が一夜明けての春風に見事にふぶき、私は母が花びら一片一片に別れの言葉を託して昇天するのを見送りまたした。メモを書いている背中が寒く、ふとそのことを思い出し、やがて私のこれから歩く道のことに心がむきました。

 「ひとひらの そつと散るよし 花ふぶき 乱れ散るよし さくら花」
 (がん研西満正氏より)

 私は吉野の桜を見たことはありませんが、西行の歌にはひかれます。
 「吉野山 さくらが枝に雪ちりて 花おそげなる年にもあるかな」
 長い冬の重荷に耐えてきた心が、春を待ちつつも、散りゆく花の姿を透視しています。西行の生命観がそこにあります。話がそれたように聞こえるかもしれません。表題に囲んで言おうとしていることが頭の中をかけめぐっているのでお許しください。

 医療事故の根を絶とう
 足かけ2年医療事故の報道が絶えません。誰もが罪を犯そうとして失敗しているのではなく、わずかなエラーの積重ねが事故になり、そうなれば最早立ち直れないのです。家族は最愛の一人を失った悲しみから真相を知ろうとするのは当然であり、報ぜられるところによれば真情こもった応対がされていないように見受けます。被害者グループは群としてマスコミに援助を頼み医療バッシングになり、正当な医療術式まで否定される側面があります。医療者同士の声の掛け合いがエラーを早期にとどめますし、優しい心の応対はヒトとして当然できるはずです。勉強して偉くなる人は沢山いますが人間的な価値を兼ね備える人は少ないものです。医療はゼロから始めねばならず、現場の上級者は誰しも師の立場、口では知識を、身体では人間にとって一番大切なことを教えてほしいと思います。

 患者、家族の一滴の涙を見逃してはならぬ
 その中につまっているのは、その人の、その家族の、その民族の歴史なのですから。

 曽野綾子さんの旅行記に、「他人に与える思いやりだけでも良いのです、与えるという行為が大人への道であることを若者に教えよ」 とありました。曽野さんは若い人を信じている人です。2000年、ガンジス河のほとりのバナランに旅し、その地のインド長屋に長逗留している日本の若者たちに会ったそうです。一日中何もせず、河を眺め、楽器をいじり、ぼんやり駄弁っている、一応バイトで金は持ってきていて、何しろ1泊100円なのでそのまま居座る人もいるそうです。曽野さんが同行のインドの神父さんに印象を聞きます。「彼等はそれなりの自由、健康、経済力などを持っているが、誰一人幸福そうに見えない。何故なら、彼等は自分がしたいことをしているだけで、人としてすべきことをしていないからです。」自分のしたいことだけをしているのは幼児でしかありません。つまり、彼等は幼児性をそのまま現しているにすぎないわけです。無形の奉仕は必ず感謝を生み、無形のお返しがあり、自分が必要とされていることが判り、その幸福感が満足と生き甲斐になる理です。活力になり、大人になる唯一の方法なのです・・・。

 now or never (フェリス女学院長小塩節さんの訳された言葉)
 ゲーテは「平和には二つの力がある それは正義と礼節である」と言っていますが、私は二代前、三代前の教授から、その礼節に就いて教わったことが一つあります。「恩を感じたり、教えられて有難いと思ったら、すぐ自筆で、葉書一枚でもいいから御礼を書いて出しなさい。無形の礼節は必ず何時か無形のお返しを生むだろう」。そして先生方は、その通り実行しておられました。私もそれに倣い、無形の大きな恩をどのくらいいただいたか知れません。何時の間にか「礼には礼を」が身にしみていたからかも知れません。今の若い人はお辞儀も声かけも、また便りも出さない傾向があり、それではいくらIT時代と言っても必要なコミュニケーションは患者達ととれないでしょう。小塩さんは、ドイツ人の先生からいただいた同じような意味のドイツ語の教えを英語に訳して発表しておられます。

 now or never いろいろに解釈して訳せると思います。良い言葉です。

 私は、今、生と死を同時に体験せざるを得ないことが起こる仕事にたずさわる産婦人科を天職とする、殊に若い方々に語りかけています。私達がどれだけ苦労して、常に救急救命の産科治療に全精力を傾けているかを考えながら、歯を食いしばっておられるのかが、手にとるように判ります。
 もし、そういう天職でない聴き手の方がおられたら判ってもらいたいことを一つだけ申し上げておきます。私達は法によって、正当な理由なしに医療は断れませんし、一担受け入れれば医療契約が成立し全責任を負います。私も若い頃、徹夜でお産を幾つも取り上げ、そのまま午前中の外来数十人をこなし、やっと食事を20分位で済ませ、4例の大手術を片づけた時、更衣室で立っていられなくて座り込んでしまいました。どんなに眠くても100%の能力を求められ、常に新しい知見を取り込み、論文を書かねばなりませんでした。若い人々の苦労をどうか判ってあげて下さいと申し上げているのは、彼等の為にexcuseを求めるというよりも、誰にも善意を超えた苦労のあることを知りあうことで、人と人の和の出来ることを申し上げたかったからです。

 日本の若い人々、本当は立派な人々の集まりでありましょう。“日母の各部、そして日母にフィロソフィーを”との言葉を若い人々から受けました。

 あえて抽象的な就任のご挨拶をいたしましたが、書き初めの句「七転び八起の それも 花の春」から何かを読み取っていただければ幸いです。