平成13年5月14日放送胎児外科最前線
国立小児病院小児医療研究センター 千葉 敏雄
胎児治療とは、胎児が何らかの疾患を有すると診断され、しかもその病態の性格上、分娩時まで治療開始を待てない場合に、子宮内にてなされる治療です。
ヒト胎児疾患に対する最初の子宮内治療は、母体のRh感作に随伴する胎児水腫に対し1963年に行われた胎児腹腔内輸血であったと思われます。この報告の意義は、単に溶血性疾患の治療に輸血が奏功したということに止まるものではなく、胎児がまだ生まれていない一人の患者として、治療の対象になったことにあります。胎児において治療の対象となる疾患は、大きくは内科的なものと外科的なものとに分けられます。現在行われている胎児の内科的治療とは、薬物の母体ないし羊水腔への投与、あるいは、胎児に直接輸血を行うことで、胎児病態を改善したり、奇形を予防したり、あるいは、疾患の新生児期発症を抑えることを、主な目的としています。そういった治療法は、日本でも既に行われてきておりますが、本日のテーマとしてお話する“胎児外科”とは、こういった内科的治療のみでは救命できないような場合、特に、何らかの形態的解剖学的異常を有する胎児を、外科的に救命しようとするもので、主にアメリカを中心として発展してきた医療技術です。従来は出生後に治療されていたこのような外科的疾患は、実際には出生前より既に存在しているのですが、病態、予後などの点で、同じ疾患であっても、出生の前と後では大きく異なっていることが、近年出生前診断の進歩とともに明らかになってきました。この点は、胎児外科手術を考える上で、大変重要なことです。
さて、外科的な治療と申しましても、超音波ガイド下の穿刺により、胎児胸水や尿道閉塞による拡張膀胱を減圧することなどは、我が国におきましても既に行われておりますので、ここではより限定された意味での胎児外科、すなわち、妊娠子宮を開いて直視下に、あるいは子宮を開かずに内視鏡的に胎児に手術を行い、術後は分娩までの一定期間、子宮内での児の成長発達を待つという手技で、いままで日本では行われてきていなかったものにつきお話させて頂きます。
まずその対象疾患および胎児期手術が必要となる理由を述べさせて頂きます。
代表的な疾患は、先天性横隔膜ヘルニアです。この疾患は、出生前診断の普及で発見の頻度が高まったこともあり、近年では約3000例の出生に1例と、決して頻度の低いものではないことが明らかとなってきました。その病態は、先天的な横隔膜欠損のために胸腔に脱出した腹腔臓器の圧迫により、心機能が障害されたり、高度の肺低形成をきたすことにあります。近年、病態生理の解明、各種治療手段の進歩とともに、小児外科領域では、大部分の疾患で治療成績が飛躍的に向上しております。しかし、横隔膜ヘルニアでは例外的に、治療成績の明らかな向上は認められておりません。これは、本疾患の最大の問題が、子宮内での肺低形成にあり、どんなに進んだ治療を施しても、出生後であっては、根本的な治療とはなりえないためと思われます。ですから、子宮内で肺の成長発達を促す胎児外科手技、この場合には、肺胞水が肺から羊水腔に流れるのを遮断する気管閉塞術が受け入れられるようになってきたと考えられます。横隔膜ヘルニア以外の疾患では、先天性嚢胞性腺腫様奇形のような巨大肺腫瘍による縦隔への圧迫が、心不全、胎児水腫を引き起こし、子宮内での生存を危うくする場合、また、仙尾部にできた巨大な奇形腫で、胎児心臓への循環負荷の急激な増加が、心不全、胎児水腫を来す場合、その他、双胎間輸血症候群で中枢神経や心筋傷害のリスクが高い場合などがあります。一方、脊髄髄膜瘤患児は、通常は子宮内で死亡する訳ではありませんが、水頭症や下肢運動ないし膀胱機能障害から、生涯にわたりQOL(Quality Of Life)が大きく障害されますので、やはり胎児期の外科的治療に大きな期待が寄せられています。
ただ、子宮内治療は、胎児にこういった疾患がみつかった場合に常に考慮される訳ではありません。また、妊娠期間中のいつ頃、こういった手術を行うべきかという問題もあります。色々な理由から、先天性横隔膜ヘルニアの場合は、在胎24週より前の早期診断例で、胸腔に肝臓の一部が脱出しており、超音波検査にて肺の発達成長が極めて不良と考えられる症例のみが適応となっております。そして、その実際の手術施行時期はおおよそ在胎25〜26週です。
一般に我々が胎児治療を勧める必須条件としては、以下のものが挙げられます。まず、正確な出生前診断がなされており、その病態生理が十分解明されていること、次に、もし子宮内で何ら治療を行わなければ、周産期ないし生後長期の予後が明らかに不良といえることです。またそれにもまして、胎児治療が母体の安全性と次回妊娠の可能性を損なわないということが不可欠な条件です。こういった胎児治療はいまだ発展途上にあるもので、やはり妊娠母体への侵襲や子宮収縮のような術後合併症を完全に避けることはできません。ですから、そういった現状やリスクも含めたすべての点が患児の家族に十分に理解された上で、同意していただくことが、本治療を行う上での大前提といえます。冒頭で述べましたように、狭義の胎児外科治療手技は大きく2つに分けられます。すなわち、子宮切開を伴う直視下の胎児手術および、子宮切開を伴わない内視鏡下手術です。どちらの手技を選択するべきかは、あくまで疾患とその病態によるのですが、近年はなるべく侵襲の小さい内視鏡術式がとられる傾向にあります。
ここで、胎児内視鏡手術がどういうものかについて少しお話し致します。
まず全身麻酔下で母体の下腹部を切開して妊娠子宮を露出致します。次に超音波装置により直接子宮表面から胎盤付着部の輪郭を確認致します。子宮に胎児鏡、あるいは手術用器機を留置する部位としては、この胎盤の辺縁から十分離れており、かつ手術を行う部位に最もアクセスしやすいところを選ばなければなりません。また、胎児は、混濁した羊水内で、固定されずに、しかも特有の頚部前屈姿勢をとっておりますので、この点でも一般の手術とは異なる多くの工夫が必要になります。一方、この手術は羊水の中で行う訳ですから、多くの手術器機の作動特性が通常の空気中とは異なることにも十分注意を要します。
次に胎児手術の成績について述べさせていただきます。たとえば、先天性横隔膜ヘルニアの早期診断例では、何ら子宮内治療を行わない場合、大雑把に申しまして約60%が、これまでの医療技術のみでは救命できません。これに対し、胎児手術、現在の内視鏡的気管閉塞術を行うことで、周産期死亡を約25%にまで低下せしめ得たという報告がございます。このように胎児手術の導入は、重篤な状態にある胎児の救命率を高めるものと期待されますが、そればかりではなく、従来の出生後治療における場合よりも、治療費を有意に低下せしめる可能性も指摘されております。しかし、胎児手術には術後の胎児モニター、あるいは長期的血管確保などの未解決の問題もあり、今後のさらなる研究開発が必要です。
最後にここで、これまでのお話をまとめてみたいと思います。胎児外科治療の進歩により、先天的異常を有していても健全に成育し得るこども達の、周産期死亡あるいは長期的QOLの低下を防ぐ可能性が、現実的なものとなっております。このことは、疾患を有する胎児への従来の対応すなわち妊娠継続の中止、および出生後の治療まで待つという二つのものに、新たな第三の選択肢、すなわち出生前の治療を、初めて加えることとなりました。当然ながら、敢えて出生前の治療が勧められる病態とは、同一疾患のなかでも極めて重篤なものに限られている訳ですが、胎児外科治療の更なる意義は、出生前に何ら治療行為を要しない軽症の胎児に対する不要あるいは過剰な対応を減ずることにもあると期待されます。新生児が、成人を単に生理的代謝的に小さくしただけの存在でない、ということはよく言われることですが、それと同様に、胎児もまた新生児のミニチュアではなく、そういった違いに対する十分な理解は今後ますます必要になります。我が国ではいまだ、“患者としての胎児”という概念が十分には定着しておらず、従って胎児保険も認められてはおりません。胎児治療については、その倫理的検討とともに、早期に法的整備が進むことを切に願うものです。