平成13年5月28日放送
第53回日本産科婦人科学会学術講演会会長講演「AFPを見直そう」
第53回日本産科婦人科学会会長 藤本 征一郎Alpha-fetoprotein(以下、AFPと略させていただきます)、はご存じのように、α1-グロブリン領域に泳動される癌胎児性蛋白質です。その分子量は約7万で、590個のアミノ酸からなり、またN末端から232番目のアミノ酸に、アスパラギン結合型糖鎖を1本有しております。
AFPの発見は1963 年のTatarinov, Abelev によるものが世界最初ということになっておりますが、AFPの蛋白精製は1969年まではだれもが成功しておらず、同年の北海道大学における平井秀松先生らによるAFPの精製と、その化学的同定の報告が世界で最初ということになります。
1969年北海道大学においてAFPが精製された後は、AFPの化学的同定の詳細、産生部位あるいは機能について、多くの報告が国際的になされております。すなわち、AFPはヒト胎児の卵黄嚢および肝臓において生理的に産生されること、またAFPとアルブミンの構造の類似点やそれらのregulationの解明により、AFPが胎児においてはアルブミン様蛋白質として機能している可能性、さらにAFPが癌あるいは胎児の発生・発育に関して免疫抑制作用をもっている可能性などが示唆されました。しかし従来これらの系統的研究の結果によっても、胎児AFPと肝臓癌AFPとは化学的に区別し難いとされておりました。
一方、血清AFPの測定は1970年まではOuchterlony法やMancini法などの寒天ゲル内沈降反応によっておりましたが、1971年、2抗体法を用いるradioimmunoassayが北海道大学の西 信三先生により確立されるに及び、AFP測定は定性から定量へと飛躍的に代わり、AFPの臨床的意義が大きく変化することとなりました。その後、やはり西 信三先生らによりAFPのradioimmunoassayは初期の2抗体法から、ろ紙片を用いるサンドイッチ法に改良され、さらに感度を増して現在広く臨床応用されております。その応用範囲は胎芽性癌などの卵巣腫瘍における血清マーカーとしての意義をはじめ、前期破水や胎児神経管欠損症の診断など、われわれの産婦人科領域において広範囲にわたっておりますことは周知のとうりであります。
AFPの立体構造は今のところ解明されておりません。AFPは胎児期に大量に産生されますが、出生後にはその産生が急激に低下し、健常成人ではほとんど認められなくなります。一方アルブミンの産生は胎児の発達とともに、そして出生後も徐々に増加し、成人で一定値を保ちます。AFPとアルブミンの発現とは極めて対照的ですが、これらの二つの遺伝子は同一祖先遺伝子に由来すると考えられ、構造的にも多くの類似点が推測されています。アルブミンは糖鎖をもっておりませんが、AFPは232番目のアミノ酸に、アスパラギン結合型糖鎖を一本有しております。
まずわれわれの研究過程において糖鎖の重要性を感じさせましたのは、教室の山本 律らによるrecombinant AFPの産生実験でした。1983年に得られたヒトAFP cDNAはN末端にシグナルペプチド領域をもたず、酵母を用いた実験では蛋白質を得ることができませんでした。シグナルペプチドにRat由来のものを用いることにより、大腸菌ならびに酵母においてヒトrecombinant AFPの発現および、その蛋白質の精製に教室の山本 律らは成功しました。
精製したヒトrecombinant AFPとヒト肝細胞癌由来のAFPとを、SDS PAGEとOuchterlony二重免疫拡散法により、それらの分子量と抗原性とを比較しますと、抗原性に関しては二つのAFPは完全にfusionしており、これらが同一の抗原性を有していることが確認されました。しかし分子量においてヒトrecombinant AFPが若干小さいことが判明しました。分子量が若干小さいことの理由には、酵母はほ乳動物と異なったglycosylation processを持つことが知られており、このため肝細胞癌AFPとrecombinant AFPにおいては、前者の糖鎖がcomplex and branchedタイプ、後者の糖鎖がhigh-mannoseタイプであることに起因して、炭水化物成分の差が影響したのではないかと考えられました。
また、ラットAFPを大腸菌と酵母により産生する実験におきまして、それぞれのrecombinant AFPでestradiol-binding assay を行いますと、酵母recombinant AFPでは authentic AFP にみられるエストロゲン結合能が保たれておりましたが、大腸菌recombinant AFPではエストロゲンとの結合能が著明に低下しておりました。この理由の一つとして、大腸菌と酵母において発現するAFPの糖鎖の違いが、それぞれのAFPの機能の差となって現れた可能性が考えられました。
以上の教室の山本 律らの研究結果より、糖蛋白質における糖鎖の重要性が示唆されたわけですが、AFPの糖鎖構造には多くの種類の存在が推定されております。今回の研究でわれわれが特に注目した糖鎖構造は肝細胞癌、特に低分化な悪性度の高い肝細胞癌で高頻度に増加が認められるコアのN-アセチルグルコサミンにフコースがα1→6結合したものでした。
まず糖鎖の違いを検出する技術としてレンズ豆レクチン(LCA)などのレクチン親和性電気泳動法を採用しました。この方法の利点は複数のサンプルを同時に泳動し、それらの違いが視覚的にはっきりと確認できることでした。われわれはこの電気泳動法を岡山大学の武田和久先生の指導のもとに、1995年からいち早く取り入れ、産婦人科領域におけるAFPの臨床応用に関する研究を進めてまいりました。本法は簡単に申しますとゲルの中に含まれるレクチンとAFPの結合能の相違により生ずる泳動幅の差を比較するものです。
まず最初にいろいろな臓器に発症した肝様腺癌、すなわち胃・卵巣・子宮体部由来のAFPのレクチン結合性を、肝細胞癌のそれと比較しました。この検討ではそれぞれの臓器由来の細胞が肝細胞へ分化する過程において、糖鎖の合成に関しては肝細胞へ分化後も、それぞれの臓器に規定された分化前の細胞の持つ性格が反映された可能性が示唆されました。すなわち同一臓器由来のAFPのレクチン結合性は類似し、臓器が異なると、明らかな差異を認めました。
一方、異所性卵黄嚢腫瘍由来AFPを用いた検討では、腟に発症した卵黄嚢腫瘍由来AFPは卵巣由来のものと比較し、ほとんど変化はありませんでした。卵黄嚢腫瘍は肝細胞癌と異なり、腟あるいは卵巣と、発症した臓器は異なっても、同一種の同一細胞の癌化した細胞により産生されたAFPの糖鎖が、ほぼ同一のレクチン結合性を示しています。肝様腺癌の発生機構として 細胞のmetaplasiaあるいはtransdifferentiationなどが考えられているのに対し、異所性卵黄嚢腫瘍の発生機構として胚細胞の遊走異常が考えられていることに矛盾しないことが示されました。
卵黄嚢腫瘍以外のAFP産生腫瘍においては、 AFPの糖鎖における癌性変化が臓器特異的であるため、患者血清中のAFPを分析することにより原発臓器を同定、あるいは病巣の原発性・転移性の鑑別をすることが可能となることが分かりました 。
つぎに、染色体異常をもつ胎児の産生するAFPに関して、インフォームドコンセントを得た後、検討を加えてみました。たとえば、21 trisomyに関しては、AFP L3分画比は高値を示し、母体血清中のAFP L3分画比を測定することが胎児21 trisomyの検出において極めて有効であることがわかりました。
このAFP L3分画として得られるAFPは、糖鎖の構造ではフコシル化AFPに相当します。このタイプのAFPは妊娠初期の胎児肝臓で産生され、正常妊娠の経過とともに漸減することが知られております。また正常妊娠初期の羊水中にフコシル化AFPにbisecting N-acetylglucosamineをもつAFP、すなわちL2分画のAFPがみられることも知られております。
これらフコシル化AFP分画、すなわちAFP L2、L3分画を羊水および母体血清を用いて測定しますと、胎児21 trisomyでは両者の間に強い相関が存在することがわかりました。また羊水から母体血中への移行が、これらフコシル化AFPでは良好で、このタイプのAFPは卵膜の透過性が極めてよいこともわかりました。
母体血清のAFP L3分画比の測定が、胎児21trisomyの検出にどの程度の有用性をもつかを、他の母体血清マーカーすなわちAFP・hCG β・非結合型E3のMoM値とROC曲線を用いて比較しました。 これら4種の母体血清マーカーの中ではAFP L3分画比のAUCがもっとも大きく、胎児21trisomy症例22例、正常核型胎児227例での検討ですが、 他の3種の母体血清マーカーと比較し優れていることが明かとなりました。
つぎに21 trisomy以外の胎児染色体異常症におけるフコシル化AFPの変化をみてみました。母体血清AFP L2、L3分画比は正常妊娠婦人に比較し胎児18 trisomyでは、胎児21 trisomy同様有意に高値を示すことがわかりました。
しかし羊水AFP L2、L3分画比は胎児18 trisomyでは有意な変化はみられず、興味深いことに、胎児47 XXYが正常妊娠婦人に比較し有意に低値を示しておりました。
さて、ここまでのお話で母体血清フコシル化AFP分画比の測定が、胎児21 trisomyなどの検出に有用であることが明らかとなってきましたが、ここで2つの問題点もでてきました。それは母体血清フコシル化AFP分画比が、AFP・hCGなどと同様に、妊娠の経過により変化すること、そして電気泳動の煩雑さにより、大量のサンプルの測定処理が困難であることでした。
そこで電気泳動法ではなく、抗体とレクチンとの競合反応を利用した、より簡便・迅速なLiquid-phase Binding Assayキットが新たに1999年に開発されました。すなわち、YS8抗体とレクチンの競合反応を利用して母体血清AFP L3分画を測定することで、一般臨床応用への解決を図りました。
このLiquid-phase Binding Assay法を用いて、胎児染色体核型の確認された正常妊娠婦人2054例の母体血清AFP L3分画比を各妊娠日毎にプロットし、妊娠日毎のMedianから回帰直線を求めました。これにより妊娠の経過により漸減するAFP L3分画比を、MoMをもちいて検討する事が可能となりました。
ここにその分析結果の一端をご紹介させていただきますが、胎児21 trisomyではAFP L3 分画比のMoMの中央値は1.7、範囲は1.1~2.1で、正常妊娠婦人のMoM値に比較し有意(p<0.00001)に高値を示しておりました。
以上、胎児染色体異常症におけるAFPの糖鎖を分析してまいりますと、胎児21あるいは18 trisomyおよび胎児47 XXYなどの血清または羊水から得られたAFPの糖鎖に、様々な特徴がみられることが明らかとなってまいりました。中でも我々産婦人科臨床医にとって最も重要なことは、胎児21 trisomyにおけるAFP L2とL3、すなわち母体血清フコシル化AFP分画比の異常高値でした。この理由として、 21 trisomy胎児の肝臓におけるフコシル化AFP産生の増加と、その卵膜透過性の亢進とが考えられます。Liquid-phase Binding Assay法によるAFP L3分画比の測定は、臨床応用を極めて容易なものとし、ColeらのhCG糖鎖variantの測定とともに、第二世代の母体血清マーカーとして今後意義を有するものと考えられます。
このように、30年も前に発見され、臨床応用の点では、 25年間余りほとんど進歩がないかのように考えられてきましたAFPという糖タンパク質も、もう一度真剣に取り組んでみますと様々な新しい臨床応用への可能性がみえてきました。近年、腟内のAFP濃度上昇をベッドサイドで簡便に知ることができる前期破水診断キットが一般臨床に用いられ、またAFP L3分画比の測定が肝細胞癌の腫瘍マーカーとして認められましたことはよくご存じと思います。AFPはまだまだ他にも多くの臨床応用の可能性を秘めた糖蛋白質であるといえます。わたくしたちは、今後もこの古くから身近にある、ともすれば忘れられがちなタンパク質の、新たなる臨床応用への可能性を信じ、今後更に追求していく所存でごさいます。
一人一人の患者さんの病態を固定観念にとらわれることなく、ありのままに正確に把握し、病因を自分自身の頭の中で素朴に考察するところから臨床医学の展開が始ります。患者さんとその御家族に対する誠意ある診療そのものが、臨床研究すなわち学問となるのです。その意味で、一人一人の患者さんはもっともすぐれた教科書であります。また、先達の歩んできた道程は決っして行き止まりの道ではなく、未踏の未来に連っており、後輩に魅力ある多くの贈り物を残してくれております。そして、症例を積み重ねてたゆまなく診療を継続することがわれわれに臨床研究推進のための力を与えてくれるのです。基礎医学から臨床応用へのTranslational Researchも必要ですが、臨床情報から基礎医学を展開する逆方向も、とくに前途ある若い方々が追求しなければならないHuman Medicineの大切な方向でしょう。
医学において、臨床医による臨床研究の発展なくして基礎医学の真の展開はないとも言えます。
古いことを調らべて、新しい考えを得ること、古きを温ねて新しきを知ること、すなわち「温故知新」はわれわれの研究姿勢としてこれからも永遠に生き続けるでありましょう。