平成13年11月5日放送

 IAMANEH理事会を東京で開催して

 日本産婦人科医会副会長 高橋 克幸

 

平成13年10月18、19日の両日、国際母性新生児保健連合 The International Association for Maternal and Neonatal Health その頭文字を取ったIAMANEHの定例理事会が、IAMANEH会長、坂元正一先生の司会で、東京京王プラザで開催されました。

IAMANEHは1977年6月、世界産婦人科連合(FIGO)や国際不妊学会を創設しました、ジュネーブ大学教授のDr.H.de Wattvillが創りましたNGOで、スイスの法律に基づいて法人化され、約40カ国が世界中から参加しています。IAMANEHとは何をする組織なのでしょうか。それをお話する前に、IAMANEH設立の背景を簡単に述べてみましょう。

1930年代から50年間に先進国では、周産期医療や母子保健の目覚しい進歩によりまして、母体死亡はそれ以前の12分の1までになり、周産期死亡もそれに伴って著しく減少しました。しかし、発展途上国の殆どは、依然として母体死亡、周産期死亡率は高く、貧困に喘いでおります。この貧しい世界に取り残された母と子を救う目的で、Prof.Wattevilleが自ら財団を作られ、世界に呼びかけて作られたのが、国際母性新生児保健連合 IAMANEHです。母と子の幸せなくして真の平和はあり得ません。

IAMANEHは3年に一度発展途上国で世界大会を開き、参加国代表を集めた総会で事業計画、活動、運営が討議されます。しかし実際には、世界の5つの地域、即ち、アジア、アフリカ、ヨーロッパ、北・中米、南米から選挙で選ばれた代表とofficer(事務局員)から成る、9名の理事会が毎年開催され、そこで主な事業が企画、立案されて、世界各国の支部に記録を送り、承認の上事業が進められています。これまで、世界各地の低開発国、発展途上国の母子保健改善のため、資金援助を含めて活発な活動を行ってまいりました。

この援助資金は、母児死亡の98〜99%が発展途上国である関係上、最近ではバングラディッシュ、パキスタン、インドネシア、エジプト、ブラジルなど、いろいろの国のプライマリケアの向上のためのプロジェクトに使われました。特にコミュニティの教育に重点が置かれており目的とするところは、第1に妊娠中や分娩時の救急により良いケアをすること。第2に妊娠合併症の早期発見、早期治療。第3にハイリスク妊娠の教育や家族計画の指導。第四に分娩に立ち会う女性の中で助産婦の割合を増すことです。

活動資金は、各国からの会費でまかなわれておりますが、最大の資金據出国はWatteville財団のあるスイスで、その次が日本です。従いまして資金調整はスイスが責任を持ち、5-6人の運営委員が行っております。創立20周年記念事業として、坂元日母会長の提案でIAMANEH奨学金が創設され、219人の中から選ばれた60人の発展途上国の医師が母子保健の指導者になるトレーニングを6週間、ジュネーブ大学で行いました。WHOもその成果を重視して、講義や設備資本などで協力しています。

なぜ日本母性保護産婦人科医会がIAMANEHと深いかかわりがあるのでしょうか。

IAMANEHに国を代表してメンバーになるには、その目的に賛同し、実際に活動している事が認められているNGO或は産婦人科医会または周産期学会、家族計画協会などです。

一国一代表機関で、会員数に応じて定められた年会費を払うところが認められます。日本では日本母性産婦人科医会が1979年以来、IAMANEH national sectionの一国となり、理事国を努め、発展途上国の発展に多大の貢献をしております。

FIGO理事、WHO委員であった坂元日母会長は、ジュネーブでワッテビル教授に面会を求められ、当時最も悲惨な環境にあった中央アフリカの救援を中心に、IAMANEH創立の必要性を話し合いました。1979年東京FIGOの世界大会会長であった坂元会長は、当時の森山日母会長とワッテビル会長をお引きあわせられ、日母が日本支部になり、森山先生も昭和54年から3年間、会長をお努めになりました。

2000年3月30日、南アフリカ・ステレンボッシュの第7回世界大会で、坂元日母会長がIAMANEH会長に満場一致で選出されました。任期は3年です。

ところで今度東京で開催されたIAMANEH理事会では、どのようなことが審議されたのでしょうか。10月18日、午前9時、議長を努める坂元会長の司会で理事会が始まりました。坂元会長の挨拶の後、提案された議事次第が採択され、それに従って議事が進められました。2001年4月1日に南アフリカ、Stellenbosch大学で開かれた理事会議事録が承認され、次いでIAMANEHの2000年度の会計報告が財務担当のMr.Santchiによってなされました。彼はIAMANEHの収入は不安定で会費の納入も同様である。それはメンバーに発展途上国が多いためで、将来は個人参加も認める必要があるし、独自の活動をしているNGOの参加も考えたらどうかと述べていました。2日間にわたる理事会で審議され決定した第1は、constitution のrevision。すなわちIAMANEH定款の改訂です。これまでの定款は細部にわたり、種々の規定があり、手続きが面倒なところがあるため迅速な対応や変更は難しいところがあります。スイスの人達は“Too heavy”だと言っておりました。その一例として、東南アジアの或る途上国で、母子保健向上のプロジェクトを5年計画で実施し、資金援助も行ったが殆ど成果が上がらず、無駄な援助に終わった事がある。今後は、このような時は早くProjectを切り替えたり、打ち切ったりする事が出来るようにする。

援助資金にのみ頼りがちな発展途上国に、知的援助の方法を考えて協力するほか、資金作りのノウハウも教えて且つ援助を行う。要するに自立した状態で、自らの力で母子保健の改善を図る。

第2に、従来のVice-Presidentは必ずしも次期のPresidentになるとは限らないが、今度の改定案はPresident-electなので、次期Presidentにそのまま移行するようにする。

更に、Presidentを辞めた人はImmediate post-presidentとして、3年間後任の仕事を助ける。

第3に従来、Executive-Directorは実務を執行するが、職務内容がはっきりしていなかったのを明確にし、投票権を与えたこと。

第4に、これまで参加各国の善意による據出金に依存していたIAMANEHの収入を、発展途上国は100ドル以上、先進国は500ドル以上を毎年納入すること。

第5に、IAMANEHの目的とする活動をしない支部、年会費を納入しない国には、退会も含むペナルティーが検討されること。その他3年に1回開かれる学術集会のプログラムの作成の際はSecretary Generalの意見を聞くこと。などいろいろな点に改革が加えられた。

2003年に行われるIAMANEH大会は、インド、マレーシア、インドネシアの3ヶ国より開催立候補の届がありましたが、いろいろな角度から慎重に検討した結果2003年はマレーシアのクアラルンプールで2003年2月21日より3日間、開催されることになりました。なお、理事会はその前日に開くことに決まりました。

新しいIAMANEH加盟国として、アフリカのケニアから参加希望の届が出ているが、ケニアの組織に問題が多いという理由で否決されました。

IAMANEH Proceedingは1999年まで発行されておりますが、資金の関係でその後発行されていません。これをどうするかについてもいろいろな意見が出ました。2日日間にわたった理事会は、坂元会長の名議長のもと、多大の成果をあげ、無事終了しました。