平成13年12月17日放送平成13年度日本医師会家族計画母体保護法指導者講習会より
日本産婦人科医会副幹事長 宮崎 亮一郎
本日、お話させて頂くのは、平成13年12月8日、土曜日午後2時から日本医師会館で開催された、家族計画・母体保護法指導者講習会の講習内容の一部です。
今年のテーマは、「産婦人科における患者の安全について」、でした。
特別講演として、弁護士であり、医師でもある児玉安司先生から、「患者の安全をめざして」と題して、日米の医療訴訟の現状とこれからの日本における安全対策について講演がありました。その後、母体・新生児の緊急搬送体制について、搬送する側の立場から、日本産婦人科医会常務理事で同愛記念病院産婦人科部長の川端正清先生が、搬送を受け入れる産婦人科医の立場から、総合母子保健センター愛育病院副院長の中林正雄先生が、小児科医の立場から、都立八王子小児病院小児科部長の西田 朗(あきら)先生が、さらに行政の立場から、厚生労働省雇用均等・児童家庭局母子保健課長の谷口 隆先生の4名の先生方が、それぞれの立場で、「産婦人科における患者の安全について」のシンポジュウムが行われました。
特別講演では、
医療事故や医事紛争をLAW & ECONOMICSという考え方、患者安全のための諸対策を中心に、近年のアメリカの事情と日本の現状について解説的に講演されました。
その中で、1970年代後半からユ80年代のアメリカでは、賠償責任保険料の暴騰、保険引受拒否(特に、麻酔医・産婦人科医・脳外科医に対して保険会社が支払いを行わなくなった)こと、価格転嫁の限界を超えた損害賠償負担となり、それまでの医師を守る立場の保険基金が、病院を守るものへ、さらに患者個人の健康を守るものへと変化してきたこと。日本の場合、年間死亡者数のうち医療機関における医療過誤が1%であった場合、年間死亡者数を72万人として、平均損害賠償支払い額が5,000万円とすると3,500億円となること。また、脳性麻痺の結果を医療機関が責任を負うとすると、年間発生率を0.2%とした場合、100万人出生数で、最高額2億円の支払いでは4,000億円となり、産科だけで年間医療過誤に匹敵するあるいはそれ以上の額になってしまうこと。また、医療訴訟第一審新規及び既済件数をみると、昭和45年が年間100件程度であったものが、平成12年度でのそれは700件程度と約7倍に上昇してきていること。この間の一般の訴訟件数は1.5倍の増加率であり、いかに医療訴訟の増加率が高いかということがうかがわれる。さらに、日本医師会の基金は200〜300億円であり、訴訟件数の増加、価格転嫁の限界を超えた損害賠償負担とも、アメリカの20年前と同じ状況になっていること。1990年代になってアメリカでは、「患者の権利 対 医師の裁量権」から、患者の権利の主張のみで判断するのは間違いであると判定されるようになったこと。
ACOGでは、1.代謝性アシドーシス、2.APGAR 0〜3、3.神経学的後遺症、4.多臓器機能障害、の4項全てを満たしたときにのみ、胎児・新生児仮死が脳性麻痺の原因としていること。日本の場合、産科関係の過失・医療ミスを大きく分類すると、1.陣痛促進剤、2.分娩監視装置、3.帝王切開までの時間的問題の3種類が論争の中心となっているが、例えば、陣痛促進剤使用方法の標準化もなく、分娩監視装置の読み方についても意見が分かれている。基準が明確になっていいない。
一方で、法制度の問題もあること。例えば、自動車事故では加害者になる可能性のあるものが保険に加入しているし、火災類焼の場合には被害者になる可能性のあるものが保険に加入している。医療事故の場合には、どちらに属するのか明確にされていない。訴訟上の問題は過失責任主義であるが、実務的な問題として過失の有無は明瞭に判断できないグレーゾーンが医療事故の場合にあることから、この時期に再度、医療側、保険側、患者側のそれぞれのリスクについて十分に検討して考えていかなければならない。と述べられた。
一方、患者安全のための対策としては、例えば、安全対策にかかわる費用はというと、インシデント・レポートの作成には、1枚3,000円以上の必要経費がかかるとされている。その対策にかかわる費用はばかにならないものであること。本来このインシデント・レポートの意味は、事故になる以前の情報を収集し、日常業務の中の危険をいかに認識するか、個人の反省から全員参加の質的向上を目指すものであること。また、昨今の事例をみてみると不十分な連携が医療事故の原因となっていること。特に医療従事者と患者・家族との連携、コミュニケーションの不足が最も訴訟の理由になっていること。このような中、リスクマネジメントの方向性としては、医療の質を改善し、安全管理の手法を導入、院内のコミュニケーションの活性化をはかることであり、患者の満足度の向上には、これらの状況の上に患者とのコミュニケーションを活性化することで、訴訟を回避することが可能になると考えられる。と述べられた。
シンポジュウムでは
(1)搬送する側から、
わが国の平成12年度周産期死亡率は、出生1,000対4.1と世界最高水準にある。妊産婦死亡率は年々低下しており、平成11年には出生10万対6.1となったこと。この数値は欧米先進諸国と比較しても決して引け目のないものであり、評価されるべきものである。しかし、さらなる母児死亡率の低下を目指すためには、分娩を扱っている診療所が多いというわが国特有の現状から、特に地域周産期システムの整備が求められる。日本産婦人科医会では、妊産婦死亡登録集計を行ない、平成10年3月に「日母妊産婦死亡登録調査集計報告」を、また「これからの産婦人科医療事故防止のために〔2〕―母体搬送のタイミング」などを作成し、周産期医療の向上、妊産婦死亡の減少に努めてきている。
妊産婦死亡については、分娩後が圧倒的に多くそれも1時間以内が最も多い。原因別では、直接産科的要因による死亡は75.0%で、産科的塞栓は18.1%、胎盤異常と分娩後の出血死は24.0%であったこと。死亡場所を見てみると病院が79.9%、診療所15.6%、自宅3.4%であるが、発症場所別にみると、病院42.7%、診療所44.5%、自宅11.9%である。自宅分娩の総数(0.2%)から考えると、施設分娩の約50倍のリスクが推定される。「妊産婦死亡の原因の研究に関する研究」(平成8年厚生省研究班)の解析結果から理由としてあげられるものとして、産科医が一人で産科的処置をしながら全身管理を行う困難さ、搬送のタイミングの遅れ等を指摘している。
一方で、患者が望んでいるものは、正常産はお願いするが、いざ危険なときには高次医療機関に送ってもらえる安産なお産であり、医療側は、自院で対応できないと判断した場合には、速やかに高次医療機関に搬送することについて、説明をしておくことが重要と考える。この場合、搬送元と搬送先の説明に整合性がなければならない。また、搬送先の医療を制限するような発言は慎み、患者・家族への説明内容も含め医療情報を可能な限り速やかに提供する。日頃から、スタッフの教育と連携スタッフとのコミュニケーションをはかることが重要である。
平成8年度から開始された周産期医療体制の整備事業は、徐々に成果を上げているが、総合周産期母子医療センターの充足、地域以外からの搬送を含めた能力以上の受け入れ、空床情報の公開、かかる医療従事者の人的確保と待遇の改善の問題等、行政のさらなる理解と実行を期待する。と述べられた。
(2)搬送を受ける産婦人科医の立場からでは、
母児にとって安全な周産期医療を行うためには、周産期医療システムの整備が必要であるが、整備だけでなくその運用についても十分検討される必要があること。母体搬送を受ける産婦人科医の立場から、東京都における周産期医療システムを紹介し、緊急母体搬送のタイミングについて述べられた。
東京都においては、総合周産期母子医療センター7施設、地域周産期母子医療センター13施設の計20施設があり、これらの施設には、産科・新生児の空床情報、ハイリスク患者の受け入れの可否、産科手術の可否などの項目を、コンピュータの画面上に表示し、朝・夕の状況を各施設が更新して情報の管理が行われている。この情報は東京消防庁にも送られており、各センターと消防が情報を共有している。一次医療施設から搬送の依頼があれば、自施設が満床の場合、この情報をもとに受け入れ可能な施設に紹介するシステムである。平成10年の1年間に母体搬送依頼件数は約800件あり、この数字は東京都の全分娩数の約1.2%に相当したこと。このうち約75%が周産期センターへ搬送されていた。
母体搬送のタイミングには、出生前の十分な評価が必要で、切迫早産の搬送の目安は、妊娠34週未満、推定2,000G未満、その他の項目に関しては日本産婦人科医会発行の研修ノート(NO.57)参照のこと。妊娠中毒症搬送の目安は、重症型、妊娠32週未満早発型、安静・食事療法に抵抗するもの、検査値が悪化する場合、IUGRを伴う場合などである。常位胎盤早期剥離の搬送の目安は、週数に関係なく、疑われたら早期に搬送すること。
搬送の際には、日母様式の母体搬送用紙をモデルにしたものを活用し、本人・家族に対する説明要旨なども記載することを勧めること。
東京都における母体・新生児搬送に関するアンケート調査結果から、母体搬送では、年間800件、一施設当たり平均4.5回、搬送時間が30分を越えるのが37.8%、やむなく自院で管理したもの8.3%あったこと。また、新生児搬送は、年間1,177件、周産期センターへの収容89.5%、搬送時間が30分を越えるものが27.7%であった。
これらの調査結果を基に、行政への要望事項としては、NICUのベッド数の増床、空床情報の一般産婦人科医療機関へのオープン化を期待する。と述べられた。
(3)小児科医の立場から
東京都周産期医療事業では、この事業に参加している施設のNICU病床を、多摩地域(東京都西部)を重点的に現在の186床から200床に増床するとともに、総合周産期母子医療センターを10施設に増設する予定になっている。しかし、出生1,000に対してNIUC病床は2床が理想とされるが、東京都でも都内と多摩地区では、都内2.2床、多摩0.7床と格差が生じていること。
参加している施設の年間入院数は、近年徐々に増加を認め(4,500→5,500名)、かつ院内出生児の割合が増える傾向にある(56.2→73.5%)。特に極低出生体重児ではその傾向が顕著である(60.1→82.5%)。このように、新生児搬送の重要性は減じているが、後遺症なき生存を強く求められている現在においては、整備された搬送体制のもとで確実な方法により搬送することが重要である。しかしながら、新生児搬送車は全国で約40台しかなく、東京においては、八王子小児病院に1台有るのみで、多くの医療機関は消防署の救急車を使用せざるをえない状況下にある。さらにこの救急車では行政区分の問題、装備上の制約、自作の救急カートでは約200Lと非常に重いなど、制度上および整備上の制限のもとに新生児搬送がなされている。
さらに、新生児の搬送に要する時間(消防署・出場→帰署)は1時間54分と、一般救急の1時間に比べ約2倍、三角搬送においては3時間34分と約3.5倍の時間を要している。小児科医の立会い分娩の場合には、特殊な三角搬送を余儀なくされる。新生児の入院依頼は、原則として、産科と小児科との信頼関係にもとづいた1対1の対応で行われるが、自院に空床がない場合には、様々なシステムを駆使しなければならない。それでも年間900件の受け入れ不可能件数が存在する。
大阪では、1977年に新生児診療相互援助システムが組織され、31施設が参加しており、このうち6施設が基幹病院、25施設が協力病院として運営されている。基幹病院では新生児搬送用救急車を所有しており、24時間体制で新生児を搬送できるように整備されている。など、制度上も整備上も大阪では整っているのが現状であろう。
東京と大阪と比較すると、出生体重の低い児が多いのも東京の特徴であり、整備上のさらなる充実が望まれる。
産科医に対しては、小児科医として状況もよく分っているが、早く連絡してくれるとさらによい。と述べられた。
(4)行政の立場からでは、
日本の周産期医療の現状としては、周産期死亡率は世界のトップレベルにあり、しかも年々改善してきている。ただし、その特徴としては早期新生児死亡に比して満22週以降の死産が多いことが指摘される(ただし、これらの統計は諸外国では妊娠28週以降の国が多い)。一方、妊産婦死亡率はスイス、カナダ、イタリア等に後れをとっており、世界的に見て周産期死亡率ほどにはトップレベルに達していない。妊産婦死亡を原因別にみてみると、分娩時の出血に関しては改善されているが、羊水塞栓はやむをえない感はあるにしろ、深部静脈血栓からの肺塞栓による死亡に関しては改善の余地があるのではないかと考えている。
妊産婦死亡、周産期死亡等のさらなる改善により、安心して出産できる体制を整備するため、新エンゼルプランにおいて、総合周産期母子医療センターを中核とした周産期医療ネットワークの整備を計画的にすすめることにしている。また、地域医療計画の改訂に際しては、平成16年度までに原則として各県一ヵ所の総合周産期母子医療センターを整備し、これを中心とした地域周産期母子医療センターおよび一般産科医療機関との、母体および新生児搬送を推進することを考えている。施設の充実も重要であるが、ネットワークの構築が最終目標である。
平成13年度の実態調査として、周産期医療ネットワーク化が実現しているのが14県、総合周産期母子医療センターは24ヵ所、地域周産期母子医療センター119ヵ所、NICU:204ヵ所、MFICU:33ヵ所である。
新生児搬送車の増加もさらに行わなければならない。NICUに関しては、NICUに収容された児の遷延化が起こっていることも認識しており、このような児の後方病棟の確保についても考慮しなければならない。救急医療ネットワークの中に新生児用のものを開設していけるようにしたいとも考えている。このようなハードばかりでなく、ソフトの充実も考慮中で、特にマンパワーの確保も課題であることは認識している。遅いといわれてしまうかもしれないが、次年度の予算案に、産科医・小児科医の実態調査を行うための調査費用を計上している。また、ネットワークシステムとしてのガイドラインの作成も今後必要な事項として考えている。と述べられた。
今回のテーマについてそれぞれの立場で、シンポジュウムが行われたが、印象としてはその実質的な担い手である地方自治体の対応に状況についても意見交換ができればと感じた。