平成14年4月29日放送
 第54回日産婦学会総会・学術講演会-会長講演-
 「双胎」21世紀のhumanized careを求めて
 日本医科大学女性診療科・産科教授 荒木 勤
 


 第54回日本産科婦人科学会・学術講演を去る4月6日から9日までの4日間、東京国際フォーラムで開催させて頂きました。今回の学会全体のテーマを「新しい女性医学への幕開け」とさせていただきました。

 会長講演は双胎妊娠に関わってきた、これまで我々の長年の取り組みをもとに、21世紀のhumanized careのあり方を模索して見たいと思い、「双胎妊娠‐21世紀humanized careを求め‐」と題して次のようなことを会員に問いかけてみました。

 旧約聖書、創世記第25章には、その中にきわめて興味ある一節あります。
 『彼女の出産の日がきたとき、胎内には“ふたご”があった。さきに出たのは赤くて全身毛ごろものようであった。それで名をEsau(エサウ)と名づけた。その後に弟が出た。その手はエサウの踵をつかんでいた。それで名をJacob(ヤコブ)と名づけた。』
 兄の踵を追うも、誕生の瞬間から兄エサウに一歩出遅れたヤコブは、その後、一杯の粥を与えることで、エサウから長子権を奪いました。胎内から、過酷な人生レースを歩んだEsau(エサウ)とJacob(ヤコブ)は、この内容から推察すると、おそらくEsauは双胎間輸血症候群の受血児でJacobは供血児であったものと考えられます。

 このような双胎間輸血症候群(以下TTTSと略します)は昔の時代から存在していたものと言えます。
 とくに、TTTSでは一児死亡がよくみられます。そこで、我々は日本医科大学付属4病院の双胎一児死亡23組46例について検討してみました。やはり一児死亡例に至るものは、一絨毛膜性双胎に圧倒的に多く、我々の症例の19組、約82.6%と高率に発生しておりました。
 一方、双胎の周産期死亡率は単胎に比較して、5から6倍と高いものの、近年単胎、双胎の周産期死亡率も、年々低下の傾向を示していることも事実です。
 ところが、周産期におけるこれらの母子の予後指標は、必ずしも母と子の幸福を意味するものではありません。産科医にとって、出生は一応のゴールでありますが、母と子、その家族にとっては、出生は新たなスタートなのです。

 母と子のありかたの異常性が際立つ昨今、多胎児は単胎に比較して13倍の頻度で虐待を受けていると言われます。双胎児の虐待においては、その約80%は双胎児の一方のみが対象となることが多いのです。その原因は、親が望まぬ妊娠であったものが大部分であります。今、われわれは真摯にこのような状況を受け止める必要があるでしょう。

 ハイリスク妊娠という名のもと心のケア(emotional support)が充分に施されないままに、医療の導入度だけが高まっていくとすれば、医療の庇護を離れた母は、自信を持てないまま、その後の、親子関係を続けていかなければならなくなるのです。 今や、妊娠、出産のアウトカムを短期的なmortalityだけでは評価することはできない時代となりました。妊娠、出産、幼児期、思春期を含むまでのhumanized careこそ、長期的な母と子の予後向上にとって最も大切な課題だと思います。 

 最近、私は、生む女性、そして、その子が育まれていく環境としての家族を意識したwoman centered care、family centered careの必要性を強く感じるようになりました。

 出産、それは、妊婦と胎児の関係から、母と子の関係に変わる瞬間です。安全性が確保されたうえで、出産に立ち会う医療者は、できうる限り、産婦を見守る黒子となり、生む女性の生む力を引き出してあげたいと思うのです。生ませる、deliveryから、生む、birthへの転換が必要なのです。

 21世紀の産科医療は、無事に生まれたことですべてが正当化されるといったあり方から決別し、妊娠、出産のプロセスの中で、女性に生きる力、母子で生きぬく力をつけて、母子を社会へ送りだすという役割が要求されます。出産後の児は覚醒状態にあり、元気であれば40分くらいは眠ることもなく、外部からの刺激を受け入れやすい状態にあります。児の状態が良好であったならば、多胎児といえども、いや、多胎児であるからこそ出産後できるだけ早期に母子接触を促すことが望まれます。
 カンガルーケア(skin-to-skin care)は母子関係の発達にとって、最適なオプションの一つとなるでしょう。カンガルーケアでは、皮膚の直接接触が一定時間保たれることによって、視聴覚レベル以前のところで、生命力や情動にかかわる多くの情報が母子の間で交換されるといわれているからです。

 一方、双胎妊娠において、一児が、あるいは二児とも死亡してしまう症例を経験することがあります。死亡してしまった児は母に面会もさせず、ただ母体から離すことだけに気を配り、母親や家族の存在を忘れがちです。マイナス要因があるからこそ、その誕生を祝福し、「かけがえのないわが子」として、その子に出会えるような状況を持たせることが必要ではないでしょうか。 最近、われわれは妊娠19週で子宮内双胎児死亡となった一絨毛膜性双胎を経験いたしました。まだわが子がなくなった事実さえ信じられない状況でした。死産児を出産して5時間がたちました。われわれは、家族写真をとることを提案いたしました。  
 ご夫婦は戸惑いを隠しきれませんでした。日本では、通夜、葬式、初七日、四十九日など、儀式での弔いを通して徐々に故人の死を受け入れてゆきます。そんな儀式は、決して故人のためだけのものでなく、残されたものにとっても、愛する人を失った悲しみを癒す大切な場になっています。
 ところが、死産の場では、その辛い経験を早く忘れることができるようにと、両親はわが子を充分に抱きしめることすらできずに、子と切り離されてしまいます。しかも、遺品のひとつも残さないことが多いのです。実は、胎児の死を実感することから逃避することで、必要以上に苦しんでいる親があまりにも多いことを皆さんは知っているでしょうか。
 このご夫婦とは、まずは、ふたりの心を開き、そして、死の事実を実感してもらうように、少しずつ話をすすめてゆきました。そして、たとえ生命が授けられなかったけれど、これぞ我が子よと晴れやかな表情で写真をとるようにすすめてみました。  
 少し考えた末、色黒くなった小さな小さな死児に出会い、そして我が子を抱いてくれました。そして両親と2人の死児と一緒に写真をとりました。その後弔いをし、一応の分離の過程を済ませたあと、彼女の表情が一変し、柔和な表情が見られるようになったのです。われわれにとって、彼女が母になったと感じた瞬間でした。

 家族中心のケアとは、死の事実を避け、忘れてもらうことではなく、逆にしっかりと、死の事実と対峙させていくこと、胎児を実感した上で、喪失を悲しめるようなケアでありたいと強く感じます。
 死亡したわが子との対面は、次の生への期待につながるものなのです。死を現実のものとし、しっかり見つめる心から、それではどのように生きるべきかという生の期待が始まるのです。21世紀の双胎に対するhumanized careはこうありたいものです。