平成14年6月17日放送
医事紛争対策部より-医事訴訟における鑑定人推薦制度について
日本産婦人科医会幹事 大村 浩
 

 医事紛争が増加し、頻繁に報道されるようになって来た昨今、裁判に必要な、各種の制度があることが知られてきました。鑑定人制度もその一つです。従来から医療訴訟に鑑定は必要不可欠の存在でしたが、2001年7月 最高裁に「医事関係訴訟委員会」 が設置され、医療訴訟の、審理期間短縮のため、新しい鑑定人選定制度が示されました。

 今回の放送は、鑑定人とはどのようなものか、日本産婦人科医会で、鑑定人推薦がどのように行われてきているかを、最近の情勢変化を含めて、お話したいと思います。

 なぜ医療過誤裁判に、「鑑定」が必要なのでしょうか。
 その理由は、裁判官や、原告側、または被告側の代理人である、弁護士が、医学や医療の専門家でないことにあります。医学の専門家でない法律家が、医療過誤裁判を取り扱う時には、その事例の類する医療に詳しい、専門家の意見すなわち、「鑑定」が裁判の進行上、必要になってくるのです。

 裁判での、いわゆる鑑定というものには、3種類あります。
 最初に、本来的な意味での「鑑定」です。
 医療裁判において、医学の専門家でない裁判官と、原告・被告両方の代理人が、紛争事例の医学的妥当性などについて 専門家の医師に意見を求めることを言います。その専門家が、当該事例に関する意見を取りまとめた文書が「鑑定書」で、裁判資料として用いられます。また鑑定人とは、裁判所から選定された専門家にあたる医師を指します。鑑定人は、先に述べた裁判官、原告側、および被告側の代理人の三者の合意に基づいて選定されることが重要となります。しかし、この選定過程が最近大きな問題となってきました。この件は、あとでお話します。
 二番目に、原告側・被告側どちらかのみから提出される、専門家の意見を「鑑定」ととらえる時もあるようですが、この場合の意見を取りまとめた文書は、「鑑定書」ではなく、「意見書」と呼ばれます。「意見書」は、裁判進行上の参考とはなりますが、原告側・被告側どちらかによった意見とみられ、決定的な資料とはなりえません。
 三番目は、司法解剖後などに見られます。死体検案報告書にも、「鑑定」という文字が入ることがあります。これは、解剖の病理学的な判断を示したもので、裁判の資料の一つに加えられますが、いわゆる「鑑定書」とは少し異なります。

 ここでは医療裁判で用いられる本来の「鑑定書」とそのために選定される鑑定人についてお話したいと思います。

 従来からの医療訴訟における鑑定人の選出法は、通常、原告側あるいは被告側がそれぞれ鑑定人を探し、裁判所に推薦する。そして双方の合意をもって裁判所が最終的に選定し、依頼するという運びです。しかしこの選定法には多くの問題があり、患者側の推薦する鑑定人は医療者側が認めず、逆の場合では患者側が認めないという事態が大半を占めています。このような事態では、両者の主張が平行線をたどり、裁判が進行しない、膠着状態に陥ります。
 そのため、次の段階として、裁判所が過去の鑑定人リストから候補者を選び、直接依頼する方法が取られます。しかしこの段階でも選ばれた鑑定人が作成した、過去の鑑定書が患者サイドあるいは医療者サイド寄りだったかによって、どちらかの側が「この鑑定人は公正を欠く」として、裁判所に「疑義申し立て」を行う場合も少なくありません。
 また最近では、選定された鑑定人を、双方が認めるところまでは、スムースに運んでも、最終的に完成した、鑑定書の内容についてどちらかの側が不満を抱き、裁判所に「疑義申し立て」を行う場合もあります。このようなケースでは、一から鑑定をやり直す、つまり、再度、鑑定人選定の時点まで、立ち帰らなければなりません。
 これらの問題が多発した結果、医療訴訟では双方の主張が折り合わず、裁判は一向に進展しないという事態が日常茶飯事となっていました。

 医療過誤訴訟の審理期間は、平均35.8ヶ月と通常の民事訴訟に比較して、約4倍の長きにわたっています。その最大の理由が、先に挙げたような 「鑑定に時間がかかること」 なのです。その中でも、「鑑定人の選定」が、最重要課題となっていました。

 2001年6月、政府の司法制度改革審議会が公表した意見書に「専門的知見を要する事件の審理期間をおおむね半減することを目標とする」と明記されました。
 これを受けて、2001年7月「医事関係訴訟委員会」が最高裁に新しく設けられました。この委員会では、医療過誤訴訟の審理期間短縮のため新しい鑑定人選定制度が、立案されました。
 その方法は

  1. 各裁判所から、鑑定人候補者選定を「医事関係訴訟委員会」に依頼する。
  2. 依頼を受けた「医事関係訴訟委員会」が、最もふさわしい学会を選択する。
  3. 当該学会に、鑑定人推薦を依頼する。
  4. 学会から推薦された鑑定人候補者について、「医事関係訴訟委員会」で検討を行う。
  5. 最終的に鑑定人を選定する。

という流れになっています。
 またこの制度とは少し違った形で、地方によっては、地裁・高裁レベルで作成した鑑定人リストを利用し、審理期間の短縮に効果を上げているという例もあるそうです。

 ところで、能率的な鑑定人選定方法が決定されたことは、大変喜ばしいことですが、また新たな問題が起きてきました。それは、医事関係訴訟委員会で選択された学会が、鑑定人候補者をなかなか推薦できないことです。
 基本的に、最高裁医事関係訴訟委員会から日本医学会に依頼があって、次に日本医学会に所属する学会、たとえば産婦人科なら日本産科婦人科学会、外科なら日本外科学会などに、推薦依頼が来ることになっています。しかし、いくら学会が推薦し、それを受けて医事関係訴訟委員会が依頼しても、諾否は推薦された各医師の任意ですので、断られるケースも多いと聞きます。
 また、そもそもどの医師が、どのような鑑定書を作成するのかというデータが少ない現状では、裁判所が求める鑑定人として誰が適当なのか、という判断が難しく、学会も推薦に際し、慎重にならざるを得ません。2001年7月の「医事関係訴訟委員会」発足以来、各学会でも、対応に苦慮しているようです。
 ただ、医事紛争例の多い、産婦人科や麻酔科では、古くから日本産婦人科医会や日本麻酔学会の医事紛争対策部が、鑑定人推薦を行ってきました。
 特に日本産婦人科医会からの鑑定人推薦は10年以上の歴史を有し、多くの経験を重ねてきています。現存する資料としても、当時は日母でしたが、日本産婦人科医会・坂元会長から、全国産婦人科教授へ「鑑定人推薦依頼に対する協力のお願い」の文書を、既に1991年には発送した記録があります。そのため現時点では、裁判所からの産婦人科・訴訟事例に対する鑑定人推薦依頼は、直接・間接を問わず、最終的に日本産婦人科医会医事紛争対策部に来ることが多いのです。

 いままでの当会の鑑定人推薦実績ですが、1991年以来1997年までの7年間で計15名だったのが、最近の医事紛争増加に伴い、1998年から2001年までの4年間だけで27人と、年度比で約3倍にまで、増加している状態です。またこの他に意見書の依頼には、今まで計15名の先生を推薦させていただきました。

 今後も増加の一途をたどると考えられる、医療裁判での「鑑定」ですが、最近様々な問題が、医事紛争対策部で浮かび上がってまいりました。

 例えば、テーマによって選定に苦慮する場合があります。逆に、同じ鑑定人に何度も依頼することが多くなるケースもみられます。さらに鑑定人候補者から、「依頼を受けられない」と断られる場合もあります。実際、「この事例には、あの先生が適任だ」と思い、依頼しても、当事者がすでに他の鑑定依頼を受けた後だと、辞退されてしまうことがあり、再び選定に苦慮することも少なくありません。
 また鑑定人が折角、多大な労力をさいて作成して頂いた鑑定書に「疑義申し立て」が行われ、再鑑定になるケースも増えてきました。

 鑑定書を裁判資料として用いる場合、裁判官や弁護士等「法」の専門家が、医療に関しては専門家でないことから、鑑定書の内容も、公正でありながら平易で法律家の理解しやすいものにするなどの苦心も必要だと聞きます。
 ところが鑑定書に対する報酬は、その労力や負担に見合ったものとは言えないかもしれません。

 しかし、より公正な医療訴訟裁判が行われるためには、公正な鑑定が不可欠でありそのためには鑑定人の先生方の御協力が是非とも必要です。

 日本産婦人科医会・医事紛争対策部には、全国支部の先生方から推薦を受けた産婦人科専門医リストがありますが、まだ候補者数が不足しております。先にお話したような事態に対応するためにも、更なる専門医の先生方からの御協力を頂きたいと思っております。

 今後、日本産婦人科医会でも努力を重ね、日本産科婦人科学会・運営企画小委員会と連携しながら、裁判所からの依頼に対し、適切に回答していく所存です。

 重ねて、各支部や専門家の先生方に、今後の御協力・御高配をお願い申し上げます。