平成15年4月28日放送
 日本産婦人科医会新会長のご挨拶
 日本産婦人科医会会長 坂元 正一


 此の度、八期目のご推薦を受け、日本産婦人科医会会長に就任いたしました。恐らく私にとって最後の就任の辞になろうかと存じます。まとめの事業は、この放送で副会長がお話しいたしますので私からは述べません。長い年月の間のご支援とご信頼に対して心から感謝申し上げるとともに、初心に戻って最初のご指名を受けた時のご挨拶(平成元年4月の日母医報)をそのまま皆様に捧げます。それは、見直してみて意外にも今日の状況にぴったりしているからです。

 昭和45年8月、日母幹事から突然教授に昇任。任期一杯併任をし、日本産科婦人科学会に移ったのですが、その時代どれだけ日母にお世話になったか多くの追憶の数々が、私の残った人生を、せめてものご恩返しに皆様に捧げることが命運と思い定めて就任を受諾したのでした。場所は九段の料亭「九段」。命題は“ 会員の総意によって新しい日母への改革を期待する。”伝統ある日母を新しい形へ、それが次代への飛躍であるとすれば、会員の本当の声に耳を傾け、これまでの視点を変えることによってその途を探ることは不可能ではありません。時代環境が困難であるほど、それにいどむ理由と価値があるということであり、そのことが因習を断ち、新しい創造力を導入することに、決断の勇気を与えてくれると思い定めました。そして予想だにしなかった月日が去り、多くの役員が若返るとともにアイディアが改まり、日母も医会となって、学会と医会から委員を半分ずつと言われても、どの人がどちらの側か考えこむ始末となり、多くの方から「日母も随分変わりましたネ」と言われることも屡々になりました。一段一段と人生の階段を昇りながら、振り返ればすべて暖かい広い友情に支えられた事実の積み重ねであったことに、私はひたすら感動し、感謝するのみであります。

 当時、既に現在努力しつつあることに言及しており、方針もそのまま貫いて来ていることは、少しの安堵感を私に催させてくれました。歴史を覚めた目で眺め得る清新な世代によって、新しいものを培うために選択により捨てるべきは捨て去らざるを得ないのは事実です。古い双葉をひからびさせて、生き残った新芽に花を咲かせ実を結ばせる自然界の営みは、良い伝統のもつ“つとめ”と“知恵”に似ています。孔子の言う後世畏るべき若い人財が、信頼を担って次々と育っている以上、私はその力に期待し、その花咲く時に自らわくら葉、朽葉となることこそむしろ私の本懐、それまでは西郷隆盛の言う「己を尽くして人をとがめず、わが誠の足らざるを常にたずね」て努力を重ねたいと思っています。

 私たちの医会は厳しい道場であるとともに、折にふれて母なる大地、心の故郷であってほしいと願っています。その姿を良寛の詩の中から抜き書きをして14年前に掲げてあります。

  花、無心にして蝶を招き蝶、無心にして花を尋ねる

  花、開くとき蝶来たり蝶、来たるとき花開く

  知らずして帝則にしたがう       (良寛)

 今、私はコメンスメントの場に立っています。2003年春、MITのチャールズ・ヴェスト学長が、東大の卒業式でMITの卒業生に与えるのと同じ祝辞を述べられました。私も社会を担う一人として、その言を胸に、歩みを始めようと思っています。

 「現在われわれは、途方もない複雑な世界を共有している。一方で政略、貧困、憎悪、専制、恐怖のために分裂、離間させる力。他方で、情報技術、共有する環境、通商経済の良い意味のグローバル化、そして希望によってお互いを結びつけようとする力。その中にあって、われわれの思考や生活を一新されるかもしれない4つの領域は、環境持続に関わる課題、人間の精神と頭脳に関する研究、ナノテクノロジーの出現、そしてシステム生物学であろう。それらが伝統的なデジプリンの境界を越え、互いに共有することで世界に花は開き、研究が孤立しエゴに堕するとき、進展は妨げられ遅延するであろう。それに携わる人々には可能性と責任が伴に与えられる。開かれたコミュニケーション、教育、科学の探求、開かれた心、精神の開放性を保つために全力を尽くそう。」そしてMITの卒業生に毎年贈る言葉が続く。「考えられないことを熟考せよ。現状を疑え。自国と同じく世界で生きよ。よりよき未来を夢想しつつ、まず現代に貢献せよ。諸君の才能を共有せよ。あらゆる人々と親交を結べ。変わらぬ友人、型にはまらぬ仲間であれ。時代の真に重要な問題に目を向けよ。なすことすべてに誠実であれ。学識と才能、気力を獲得し、知は共有すべき賜物と心得よ。この健全な惑星は慈しむべきもの。そして、人間の尊厳と機会はあらゆる人々に享受されるべき基本的な条件とみなす国と世界のコミュニティを建設せよ。」(東大新報平成15年4月5日より抄録)

 たかまった意識の中に、ふと中東戦争という大義なき戦を起した国のことを思います。英語国民は宗教も含めて独善的に信仰する自らを正義の味方と信じ込み、思想も何も含めてそうでないものを悪と決めつけてしまうところがあります。悪は要塞であり、必ず正義の軍によって滅ぼされなければならない。ヨーロッパでそんなに気やすく悪という言葉は使われることはありません。米国は欧州の宗教や政治のあり方を逃れ、最初から建国の意志をもってメイフラワー号で東海岸に漂着した清教徒達が自分たちの信念に基づいて国造りをしたところです。この人たちは自分たちこそが神から選ばれた選民としての努力で二百数十年をかけて高度の国家をつくりあげました。そのためには原住民を殺し土地を奪うことも神の摂理で、奴隷問題の解決も、西部の開拓と太平洋の問題は神の明示を受けた天命であったといわれました。ジョージケナンが「アメリカ外交50年」で「悪は常に国外にある単数の邪悪の権威の中にあり、アメリカは常に差の努力の中心にいろと理解されている」と強調した性格が昔の侭の様な気がします。今や世界最強の軍事力を持った指導者の意志のあり方に21世紀の運命がかかっているようにも思えます。米国人の明るさは好きですが、チャールズ・ウエスト学長のような人もあればブッシュ大統領のような人も出てくるエネルギーに矛盾は感じないのでしょうか。米国は明らかに政教分離の共和国ですが、大統領は聖書に手をおいて宣誓をしますし、今、私は左手に1ドル札を裏返しにしてみているのですが、上に合衆国、下にone dollarとあって、中央にIN GOD WE TRUSTと印刷されています。どういう思考なのか、ゆとりなのか、米国人の面白いところで、アジア人のように小さな内政干渉をしない代わりに国を潰すくらいのことは平気でする。我々も世界の国々を見る際の参考の一つと考えたいと思います。今、日本で本当の平和を願わない人はいないでしょう。私達は資源のない国で資源を絶たれて第二次世界大戦に突入、国破れるの敗戦を味わいました。現状もまた食料は半分を、諸材料・エネルギー等資源を六億トン輸入し、6000から7000万トンの付加価値を施した製品・半製品と製造輸出して世界のGNPの11%をはじき出しているのが現状だと聞いています。日本が平和の中にいるからこそ生きてゆけることを反芻し、真の平和を継続させたいものです。平和であるからこそ我々に未来はあると信じたいのです。

 私は「ただ一度の人生、ただ一度の生涯、ただ一回の一日」の言葉を信じ、「今日もまた、わが生涯の一日なればなり」と言えるような努力をこそ積み重ねたいと思っています。皆様のご協力によって夢のある我が道を歩めるよう心から祈ってご挨拶を終わります。