平成15年9月22日放送
第8回IAMANEH(国際母性新生児保健連合)総会報告
社団法人日本産婦人科医会監事 高橋 克幸
3年に1度開かれております IAMANEH (The International Association of Maternal and Neonatal Health) 日本では、国際母性新生児保健連合と訳しておりますが、この総会理事会・学術集会が、本年8月20日より24日まで、マレーシア、クアラルンプールのホテル日航クアラルンプールで開かれました。
はじめに、IAMANEHとはどういう国際組織なのか、そして、どのような活動をしているのかご説明しましょう。
IAMANEHは1977年6月、国際産婦人科連合や国際不妊学会を創設しました、ジュネーブ大学教授のDr.Wattevillが創りましたNGOで、スイスの法律に基づいて法人化され、約40カ国が世界中から参加しています。
この連合の主な目的は、依然として母体死亡や周産期死亡率の高い発展途上国の母子保健を改善し、貧困の世界に取り残されている母と子を救うことにあります。そのために、Prof.Wattevillが自らWattevill財団を創られて活動資金を據出する一方、世界に呼びかけて各国の国力に応じた寄付金を募り、参加国に支部を創って活発な活動を始めました。
創設当初は資金も潤沢でしたので、アフリカ、東南アジア、ラテンアメリカ、中米などの各国の母子保健の改善のため、改善計画を立案し、資金を提供、時には人員の派遣、研究費の援助まで行ったようです。日本と関係の深い東南アジアだけに限ってみても、パキスタン、インド、バングラディシュ、マレーシア、インドネシア、フィリピンなどの各国は、1年から3年の母子保健改善のプロジェクトをたて、IAMANEHの援助を受けて、妊婦死亡や新生児死亡の改善の事業を行ってきました。これらの各国は、IAMANEH支部を、例えばパキスタンなら頭文字のPを取ってPAMANEH、バングラディシュなら、頭文字のBを取ってBAMANEHというように呼んで、母子保健改善運動の中心になり、活発な活動をして目覚しい成果を挙げてきました。
また、いろいろな国のプライマリ・ケアの向上のため、特にコミュニティの教育にも積極的に関与してまいりました。その狙いは、第1に妊娠中や分娩時の救急の際に、よりよいケアをすること。第2に妊娠合併症を早期に発見して適切な早期の治療を行うこと。第3にハイリスク妊娠についての教育や家族計画の指導と指導者の養成。第4に分娩に立ち会う女性の中で、専門職である助産師の割合を増やすこと、などです。
これまでこのような母子保健の向上のための多岐にわたる事業を、IAMANEHは情熱を持って積極的に行ってまいりました。しかし、6〜7年前より、各発展途上国に活動資金を提供して運動を支援する方法が難しくなりました。それはIAMANEHの運営資金が年々少なくなってきたためです。その原因は、世界的な経済不況もあるでしょうが、主な原因は先進国が独自に発展途上国の援助を始めたことと、組織の硬直化や運営方法のマンネリ化にあると思います。これは活動資金の援助を受けている発展途上国側についても言い得ることで、自立して活動を続けようという意欲が各国共低下してきたため、成果が挙がらなくなりました。
このようなIAMANEHの活動が低下し、IAMANEHのあり方、将来が問われだした時期の1996年、マレーシア・クアラルンプールで開かれた理事会で、坂元日産婦医会会長がIAMANEHのVice-Presidentに選出されました。その後のジュネーブでの理事会、ブラジル・カンピーナスでの理事会、総会で坂元会長はIAMANEH創立記念事業として、発展途上国より、毎年4・5人をジュネーブ大学に留学させ、母子保健や生殖生理の教育・研究をして、リーダーを養成すること、定款を変更して、柔軟に活動しやすい会にすること、IAMANEHの会費は先進工業国だけでなく、参加各国が国力に応じ、譬え小額でも據出することなどを主張されました。その線に沿って、平成13年10月18、19日の両日、定款変更のための原案をつくるIAMANEH定例理事会が東京で開催されたことは、既にご承知のことと思います。このような流れを引き継いで開かれたのが今度の総会であり、理事会でございます。8月20日の午前9時より理事会が開かれました。本来ですとPresidentの日産婦医会会長、坂元正一先生が議長になり議事を進めるのですが、ご健康の関係で欠席されましたので、Vice-PresidentのProf.Woodsが代行されました。理事会出席者は執行部の8名で、坂元会長に代わる投票権の行使は高橋が行いました。
理事会では、はじめに前回の南アフリカ・ステレンボシュで開かれた総会の議事録の承認と、東京で坂元会長の議長のもとに審議された定款変更の原案を、ジュネーブに持ち帰り、スイスの弁護士の意見を聞いた上で作成した新しい定款が示されました。簡明な表現にしたこと。第2副会長のポストを新設したこと。終身会員や会長は辞任後3年間は理事会、総会に招待されるなど、いくつかの改正点の説明があり、質疑が行われた結果了承されました。
会計報告は担当のMr.Santschiが行いました。収入は2001年に比較して2002年は大幅に減少したこと。スイスのWattevill財団と日本が主な據出国であること。このままではIAMANEHの存続が危ぶまれる旨報告がありました。次いで、執行部の交替の件が審議されました。坂元会長の後のPresidentにはVice-President のProf.WoodsがVice-PresidentにはProf.Ismail(マレーシア)とエジプトのProf.Badrawi(本人欠席のため内定)、Secretary GeneralのProf.Bassartが辞任したので、その後任にはジュネーブ大学のProf.Campanaが就任することになりました。アジア・オセアニア代表の理事には日本産婦人科医会副会長、清川尚先生がなることに内定しましたが、あとの役員は留任することとなりました。Presidentの坂元先生はいつも役員の若返りを求めておりましたので、或る程度は実現したと思います。
次回の理事会はジュネーブで開く予定で了承されました。また2006年の第9回IAMANEHの総会は、開催希望を書面で伝えてきているエジプトで開くことに決まりました。会長はProf.Fayattの予定です。
次いで事業報告として、IAMANEH奨学金による研修留学の報告が、指導にあたったProf.Campanaよりありました。1996年〜2002年の期間の研修留学生は54名です。最も多いのはインドネシアで9名。次いでルーマニア6名、ブラジル5名、パキスタン、スーダン、アルバニアが4名、エジプト3名、エチオピア、ガーナ、トルコ、バングラディシュ、フィリピン、アルゼンチンが2名、あと南アフリカほかが1名ずつとなっております。これら留学生がIAMANEHを窓口とし、Geneva Foundation for Medical Education and ResearchとWHOより援助を受けて、母子保健関係の臨床トレーニングを3コースに分けて6週〜12週行い、レポートを提出発表して終了します。各々が帰国してリーダーとして活躍して成果を挙げていることの説明がありました。これは坂元会長の発案によるものであることは既に述べましたが、IAMANEHのこれから行う主たる事業になるだろうと思います。発展途上国に援助資金を出しても、それが有効に使われるとは限らないことは、常に耳にすることですが、将来を展望した場合、教育に重点をおいて、良い指導者を育成することは、彼等に自立を促す最も良い方法と言い得るでしょう。総会は翌8月21日、午後2時より開かれました。出席は14カ国の代表30名です。理事会で審議されたことがそのまま議事として総会に提案されたのですが、会計をめぐって厳しい質問と意見が出ました。IAMANEHの組織を存続させるべきだとか、執行部は資金を集めるため努力せよなど、発展途上国の代表から出る意見は、われわれから見ると身勝手な印象を受けました。
21日午前9時より始まった学術集会は、学術レベルでは参考になるものはありませんでしたが、マレーシアの妊婦死亡率が、過去10年間で60台から30台に著しく減少したと喜んでいる報告をきき、各国共、夫々に母子保健の向上に努力しているのだなあと、しみじみ思いました。