平成15年10月13日放送
  第6回世界周産期学会を終えて
  第6回世界周産期学会会長 村田 雄二
 

 このたび第6回世界周産期学会が、同組織委員会と日本周産期学会の共催、および日本産科婦人科学会、日本産科婦人科医会をはじめ、数々の団体のご後援により、2003年9月13日より16日まで、大阪国際会議場にて開催されました。

 周産期医学とは「妊娠・分娩に関する母と子の医学的、生物学的問題を研究する学問」と定義されています。 従来、産科学は妊娠・分娩における母体の健康管理を最重要視し、小児科は主に出生後の新生児の診療を担当してきました。 しかし、次世代を担う健やかな子供を世に送り出すためには、単に分娩時や出生後の適切な治療だけでなく、妊娠期間を通じての健康な母体の確保、健康な胎児の発育、安全な分娩法の選択、そして、新生児の発育へとつなげる連続性が重要であると認識されはじめました。 
 従って周産期医学は母体・胎児を診断・治療の対象とし、妊娠から分娩、新生児医療に至る、いくつかの専門科目を統合した学問といって良いでしょう。 即ち、周産期医学には産科婦人科、小児科だけでなく、母性に関係した内科学、病理学、公衆衛生学、コメディカルスタッフである助産師、看護師、保健師、心理カウンセラー、さらに育児支援を担当する行政スタッフなどのさまざまなスペシャリストが幅広く参加するわけです。

 歴史的に見て、周産期医学の学問としての黎明期は1960年代にありました。胎児心電図、胎児心拍数モニタリング、胎児血液酸塩基平衡、子宮収縮活動、などの生理学的な情報、超音波断層法の技術を基にして、胎児を診断や治療の対象とする、即ち、The fetus as a patient の概念がこの分野の発展に拍車をかけたと言えるでしょう。
 周産期医学のアカデミックな活動としては、1968年西ドイツ(現ドイツ)において、第1回ヨーロッパ周産期学会が開催されたことをはじめとして、世界中で地域ごとの国際学会開催の機運が高まりました。 アジアでは、1979年にアジア・オセアニア周産期学会がシンガポールで設立され、そのメンバーとして、1983年に日本周産期学会が創設されました。
 その後、周産期医学における世界的なレベルでの交流が、ますます希望されるようになり、ついに望まれて、坂元正一会長のもとに、1991年、東京で第1回国際周産期学会が、The 1st International Congress of Perinatal Medicineの名前で盛大に開催されました。この時には天皇・皇后両陛下の御臨席を賜り、学会は大成功を納めました。 さらに、この会の終了後、約40ヶ国からの代表による総会に於いて、 世界周産期学会:The World Association of Perinatal Medicineの創設が満場一致で可決し、最初のPresidentに坂元正一先生が選出されたのです。
 その後、1993年にはイタリアのローマで第2回、1996年にはアメリカはサンフランシスコで第3回の世界周産期学会が開催されました。 第4回は、1999年にアルゼンチンのブエノスアイレス、第5回は、2001年にスペインのバルセロナで開催されました。 
 そして、第6回の世界周産期学会は、学会誕生後12年を経て、再びアジアの地、日本が開催地となり、私、村田が会長に指名されました。

 この間に周産期医学は長足の進歩を示しております。多くの基礎的、臨床的研究がなされ、それらの結果は常に厳しい検証を受け、選ばれた科学的エビデンスのみが積み重ねられ、これに基づいて周産期医学領域に於ける、診断・治療が、より良い方向へと書き換えられてまいりました。
一方、化学や生物学、また電子工学の技術も同時に進歩し、これらが医療の世界に急速に導入されました。その結果、次の世代を産み出すことに関わる医療、いわゆるReproductive Medicineの分野は予測できなかったほど速く、そして大胆に変貌を遂げたのであります。この変貌は、当然、多くの人々に福音をもたらしましたが、反面、予期しない混乱をも、もたらすことにもなりました。
 確かに、周産期に於ける罹病率・死亡率は明らかに低下しました。お産は、著しく安全になっただけでなく、一部の人々にとっては、Enjoysするべきイベントであると信じられるまでになったのであります。その結果、多くの人々が妊娠・分娩は誰にとっても安全な生理的現象であり、すべての胎児は健康に生まれてくるのが当然、とまで盲信してしまうようになりました。 さらに、医療の現場、特に生殖医療、周産期医療の分野では、技術の飛躍的な進歩のために、旧来の倫理や哲学では、考えられない、現実との矛盾が起こり始めたのです。
 日本を含めた、医療に恵まれた国々では、いまや周産期死亡率は一桁にまで低下しました。しかし同じ地球上でも、未だに、胎児・新生児が、何秒かに一人の割合で死亡している国々もあります。統計的には、この地球のどこかで、妊娠に関連した疾患のために、20分に一人の妊婦が命を失っています。 これらを見ると、世界中の人々が、周産期医学の進歩の恩恵を、あまねく、公平に受けているとは決して、いえないのです。

 本、世界周産期学会の目標は、その憲章に明確に述べられておりますように「母と子の健康を全世界に広める」ことであります。この意味でも、本学会は周産期医学に関する、国際的レベルでの交流は云うに及ばず、色々な状況にある国々の周産期医療の向上に多大なる役割を演じてまいりました。また、本学会は医学、医療にとどまらず、各国の公衆衛生の向上にも重要な役割を果たしてきております。 
 このような状況のもとで、世界の周産期医療関係者が、日本を今回、本学会担当に指名したということは、まさに日本に対する高い評価と期待を示しているものであると信じております。これをお受けするに際し、我が国の各種関係学会、各都道府県関係者代表と協議を重ねたました。 その結果、第6回世界周産期学会を日本で開催させていただくことは、周産期医学の交流だけでなく、各国における次世代の子たちを育むという意味においても、非常に意義深いものである、との考えで意見が一致致しました。 またその貢献は、我が国のみならずアジア・オセアニア諸国、欧米諸国、ひいては世界の人々の幸福につながるものと確信し、この大役をお引き受けした次第であります。

 学会当日、開会式には皇太子殿下、皇太子妃殿下をはじめ、坂口厚生労働大臣、太田大阪府知事のご臨席を賜りました。開会の祝辞として、皇太子殿下には、最近のご自身の経験を通して、周産期医学の重要性を、身近に感じられた旨のお言葉をいただきました。
学会には、欧米諸国はもとより、アジア、オセアニア、南アメリカ、等、世界59カ国より、四日間で、約1500人の参加者を迎えることができました。
 参加いただいた人々の中には、最先端の周産期医学を切り開く、研究者、臨床家がおられたと同時に、まだ十分な医療に恵まれていない地域にあって、日夜医療の向上に努力されている方々もおられました。

 この会議において、次の三項目をモットーとして提案いたしました。
 第一に、我々の先輩達が、これまでに、こつこつと、今日ある周産期医学・医療を、築きあげてこられたことを、今一度我々自身が、振り返って、再評価すること。
 第二に、倫理的な矛盾を生じることなく、母と子の将来の健康とQOL向上のためには、何をするべきなのかを探ること。
 第三に、医療の進歩の恩恵が世界中に、もっと公平に、かつ効率的に行き渡るようにするにはどうすればよいかを、議論すること。
 そして、その成果として、将来の母と子のために、さらなる発展への意欲をたくわえ、エネルギーと努力を結集することの必要性を再認識しました。

 招請講演262題、演題430題の盛大な学会で、周産期各分野における先進の発表や論議、また発展途上国の問題提起などがとりあげられ、学問的にも実りが多かっただけでなく、各参加者同士の意思の疎通、国際親善という意味でも世界の学会という名にふさわしいものであったと信じております。
 ここに、本学会の会員の先生方を初め、本学会の開催のためにご支援・ご尽力くださいました諸先生方、各種団体に、この場をお借りして心よりお礼を申し上げたく存じます。
 ありがとうございました。