平成16年7月26日放送
 羊水塞栓症血清検査事業報告
 浜松医科大学産婦人科教授 金山 尚裕
 


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 妊産婦死亡の疾患別推移をみますと、1994年以降産科的肺塞栓は常に妊産婦死亡の原因として第1位を占めています。産科的肺塞栓は主に羊水塞栓症と肺血栓塞栓症であります。羊水塞栓症は産科学が進歩したのにもかかわらずその原因が不明であり発生率は減少していません。そこで妊娠産婦死亡の減少を目指して、日本産婦人科医会の事業として昨年度より羊水塞栓症血清診断を浜松医科大学が中心となり、進めてまいりました。本日は産婦人科医会の羊水塞栓症血清検査事業の中間報告として、臨床症例の解析および羊水塞栓症の病因、病態に関するトピックスを述べたいと思います。

 羊水塞栓症に関する最近の文献のレヴューによりますと母体死亡率は約6割で、分娩中に主に発症し、臨床症状がアナフィラキシーショック症状に類似していること、アトピー性皮膚炎の妊婦に多いこと、また男児に多く、破水直後に発症しやすいことなどが特徴としてあげられています。病因としてアレルギー機序が注目されています。

 羊水塞栓症の診断は従来剖検による死後診断でなされていました。生前診断がその治癒率改善に必要と考えられていましたが、最近まで生前診断法はありませんでした。我々は世界にさきがけて羊水塞栓症の生前補助診断法を1992年に確立し、全国に普及させてまいりました。羊水中の特異物質を母体血中で測定する診断法を確立いたしました。用いた指標は亜鉛コプロポルフィリンとSTN抗原です。亜鉛コプロポルフィリンは405nmの励起光に対して580nmと630nmの蛍光を発します。STN抗原は胎便中に存在するムチンでO糖鎖抗原の母核構造に存在する糖鎖であり胎便を特異的に検出します。

 STN抗原を認識するTKH2抗体を用いて肺病理のより精度の高い診断法も確立しました。従来のHE染色、アルシャンブルー染色では診断が難しい症例においてもTKH2染色を用いることにより明瞭に胎児成分が検出されます。これらにより当科には全国から羊水塞栓症の臨床情報、血清検体、病理検体が送られるようになってきました。血清検体の依頼を地域を見てみますと南は沖縄から北は北海道まで全国に分布しています。1993年から2002年までに111件の依頼がありました。北海道から沖縄まで全国から多数の羊水塞栓症疑い症例の検体が寄せられています。また昨年医会の事業として採用されてからは44検体が当科に送られました。医会の事業開始以前が月平均の検体数が1.5件に対して、事業開始後は月平均4.9件と3倍以上に増加しています。44件の寄せられた検体のなかでは羊水塞栓症疑いの症例は1例のみでしたが、妊産婦ショック例では羊水塞栓症を念頭に置こうという姿勢がひろがりつつある結果と思われます。今までに寄せられた臨床症例の貴重なデータを解析しましたので以下にまとめます。

 羊水塞栓症疑いで送られた検体の症例を臨床情報、STNの免疫染色等の結果から3群に分類しました。肺の病理検査で胎児成分が確認されたものを確定羊水塞栓症、臨床症状から羊水塞栓症と診断されたものを臨床的羊水塞栓症といたしました。111例中20例が確定羊水塞栓症、68例が臨床的羊水塞栓症でした。また最終的に羊水塞栓症以外の診断がついたものが23例ありました。これらを非羊水塞栓症群といたしました。これら3群を臨床的に比較検討してみました。
分娩歴、分娩誘発の有無、発症時期を示しますが羊水塞栓症は経産婦に多い傾向がみられます。また注目すべき点ですが確定、臨床的羊水塞栓症は非羊水塞栓症群に比較して分娩誘発症例が多いことがわかります。発症時期では確定羊水塞栓症は分娩経過中がもっとも多くなっています。臨床的羊水塞栓症は分娩経過中とともに帝王切開症例にも多く発生しています。

 初発症状ですが羊水塞栓症では呼吸困難、血圧低下が高頻度に見られます。また非羊水塞栓症ではみられない、発熱が見られるのが特徴です。

 分娩合併症が右スライドです。前期破水については、臨床的羊水塞栓症で前期破水が多いのが特徴といえます。羊水混濁は非羊水塞栓症では1例もなかったのに対して確定羊水塞栓症では28%、臨床的羊水塞栓症では18%占めており羊水混濁は羊水塞栓症のリスク因子といえましょう。

 出血量をみますと、延命例の多い臨床的羊水塞栓症の出血量は平均5000mlであり、多くの症例でDICを伴っていることが推測されます。妊娠合併症では、娠中毒症に比較的多く見られることがわかりました。妊娠中毒症では母体血中で絨毛細胞が検出されやすいことが知られています。妊娠中毒症では胎児成分の母体への感作が起こりやすいのかもしれません。羊水塞栓症のアレルギー説を考える上で興味深い結果といえましょう。

 臨床データをまとめます。羊水塞栓症は経産婦に多く初発症状として呼吸困難、突然のショック症状、出血傾向、発熱などがみられます。また分娩経過中や帝王切開時に多くみられ、羊水混濁はリスク因子であります。DICによる大量出血を伴いやすいこともわかりました。

 次に羊水塞栓症の発症機序について検討を加えてみたいと思います。剖検例の肺組織を見ていきますと2つに分類されることがわかりました。すなわち肺組織の構造が保たれている早期死亡例と、肺組織が好中球の浸潤により破壊されている発症数日後死亡例です。発症数日後死亡例は臨床的にはARDSの像であります。これらの組織所見をもとに羊水塞栓症の発症機序を推察しますと、発症早期死亡例では肺胞循環不全であり、病因としてアナフィラキシーショックが考えられます。一方発症後数日死亡例はARDS、MOFであります。病態としてsystemic inflammatory response syndrome (SIRS)が考えられます。すなわち初期のアナフィラキシー的変化を乗り越えた症例はSIRSの病態となり、ARDSや多臓器不全を、併発しやすいことが考えられました。

 羊水塞栓症の急性期の治療を考えてみましょう。羊水塞栓症を疑ったらすばやく十分な酸素投与、続いて循環の維持、そしてDICの治療になります。心拍出量の維持には十分な補液とSUWANNGANZカテーテルなどによる肺動脈循環の管理が重要です。DICにはFFPによる凝固因子の補充に加えてヘパリン1万単位の急速静注などが薦められます。それを乗り越えてSIRS ARDSに移行した場合はそれらに対しての治療も必要となります。

 羊水塞栓症においていかなる成分がアナフィラキシー反応を惹起するかの基礎的検討を行いましたところデータは省略いたしますが、胎便がアナフィラキシー反応を強力に起こす作用があること明らかになりました。

 それではどのような状況で母体に胎便成分が流入しやすくなるのでしょうか?そこで母体血清中亜鉛コプロポルフィリン値と各種産科処置との関連をみてみました。羊水混濁は羊水塞栓症のリスクであることは先程示しました。羊水混濁のある誘発分娩では亜鉛コプロポルフィリンは10例中3例、正常域を超えています。さらに羊水混濁例で誘発分娩が成功せず帝王切開になった症例では、3例中3例高値を示しています。羊水混濁症例で誘発分娩あるいは帝王切開が重なった場合は胎便が母体に流入しやすい状態といえます。分娩経過が遷延しているいわゆる難産症例は、羊水塞栓症を念頭において管理する必要があると思われます。

 羊水塞栓症をまとめます。病因として羊水・胎便成分のアナフィラキシーショックが明らかになってきました。治療は発症直後から、心肺虚脱に対しての速やかな対応が重要です。同時に抗DIC療法も行う必要があります。リスクファクターは羊水混濁、誘発分娩、帝王切開があげられます。これらが2つ以上存在する場合は羊水塞栓症の発症を念頭に慎重に管理すべきでしょう。

 最後に原因不明の妊産婦のショックに遭遇しましたら、是非羊水塞栓症を念頭におき血清をなるべく早い時期に採取し遮光し浜松医科大学の産婦人科まで送っていただければ幸いです。 妊産婦のショックにおける羊水塞栓症の関与が明らかになると考えます。羊水塞栓症に関しては浜松医科大学産婦人科のホームページにまた検体の連絡等については電話053−435−2309 Eメールooi@hama-med.ac.jpまでご連絡いただければ幸いです。