平成17年2月28日放送
  卵巣がん治療ガイドライン
  日本婦人科腫瘍学会卵巣がん治療ガイドライン検討委員会委員長
  藤田保健衛生大学医学部産婦人科教授 宇田川 康博


 日本婦人科腫瘍学会は「卵巣がん治療ガイドライン−2004年版−」を作成し、昨年の10月に金原出版より発刊しました。「ガイドライン検討委員会」の立ち上げから2年。がん治療のガイドラインとしては、胃がん、食道がん、肺がん、乳がんに続く5つ目の完成となりました。

 わが国の婦人科がんの治療ガイドラインの作成の試みは、1997年に日本産科婦人科学会が「卵巣がんの治療の基準化に関する検討小委員会」を立ち上げ、卵巣がんの基準的な診断法および治療法について当時の国内外のエビデンスに基づいて検討を重ね、その3年後に報告書が日産婦誌に掲載されたことに始まります。しかし、この報告書はガイドライン全盛の昨今とは異なり、未だ時期早尚あるいは会員間での討議が十分尽くし足りていないとの見解もあってガイドラインと命名されるまでには至りませんでした。一方で、今世紀に入り胃癌治療ガイドラインの発行を皮切りに、がん治療ガイドラインの作成機運が高まり、また日本癌治療学会でも各科領域のがん治療ガイドラインをホームページ上で一般に公開しようという動きが出てきました。これを受けて日本婦人科腫瘍学会は、婦人科がんの治療ガイドラインの作成を決断し、2002年に「ガイドライン検討委員会」を立ち上げました。委員会では、婦人科がんの中では卵巣がんの罹患数や死亡数が増加傾向にあり、近い将来、卵巣がんの罹患率は子宮がんを上回ると予測されていること、早期に発見されにくく、約半数の症例が進行がんの状態で見つかるなど予後不良であることから、患者数の多い子宮がんに先駆けて、最初に卵巣がん治療ガイドラインを作成することにしました。

 卵巣がん治療ガイドラインを作成する主たる目的は、卵巣がんの日常診療に携わる医師に対して、現時点で広くコンセンサスが得られ適正と考えられる卵巣がんの治療法を示すことにあります。それにより卵巣がん治療レベルの施設間差を少なくすること、卵巣がん治療の安全性と成績の向上を図ること、適正な治療を行うことにより人的あるいは経済的負担の軽減につなげること、医療従事者と患者の相互理解に役立てることができます。しかし、本ガイドラインはあくまでも標準的な治療法を示したものであって、こうしなければいけないと指図したり拘束するものではありません。ガイドラインを参考にした上で、実際の臨床における治療法の選択は、個々の症例や患者および家族の意向にも考慮して、医師の裁量で行われるべきものと考えます。従って、医事紛争や医療訴訟に本ガイドラインが利用されるようなことは私共の本旨ではありません。なお、本ガイドラインの記述内容に対しては日本婦人科腫瘍学会が責任を負うものとしますが、治療結果に対する責任は直接の治療担当者が負うべきものと考えます。

 本ガイドラインの作成に当たっては、ガイドライン検討委員会の中に作成委員会と評価委員会を独立して設置しました。作成委員会は先にも触れた日産婦学会の小委員会報告もたたき台の1つとして活用することとし、取り扱う対象を卵巣原発の表層上皮性・間質性悪性腫瘍並びに境界悪性腫瘍、悪性および境界悪性胚細胞腫瘍、および各々の再発腫瘍としました。名称を゛卵巣がん ″治療ガイドラインと゛がん ″を平仮名としたのも種々の組織型と悪性度が存在する卵巣腫瘍の特殊事情を反映させたからです。

 本ガイドラインは4つの章から構成されています。第1章には総論としてガイドライン作成の目的、対象、改訂などを記述しました。第2章には上皮性の悪性腫瘍、境界悪性腫瘍、各々の再発腫瘍についての治療指針を記述し、第3章には胚細胞腫瘍の治療指針を上皮性とは別個に取り上げ、最後に第4章として資料集をあげ、抗がん剤の副作用一覧、略語一覧、400を超える引用文献のリストを掲載しました。実際に診療を進める際には、治療の流れをまとめたフローチャートがあると便利なことから、上皮性悪性腫瘍全般、胚細胞腫瘍、再発腫瘍、境界悪性上皮性腫瘍の4つには治療フローチャートを作成し、各項では本文に加えて必要に応じてコメントや付記を設けて説明しました。作成に当たっては、膨大な量の国内外の文献や治療成績を比較・検証し、「科学的根拠に基づく医療Evidence-based Medicine」の考えに則って最も有効性が高いと認められる治療法を示しました。エビデンスのレベルと推奨のグレードは、日本癌治療学会の抗がん剤適正使用ガイドライン作成委員会の基準に従い、各々4段階、6段階に分類し、本文中に記載しました。たとえば、表層上皮性卵巣癌の標準的寛解導入・補助化学療法としてはタキサン製剤とプラチナ製剤の組合わせを挙げ、その代表例としてパクリタキセルとカルボプラチンを併用するTJ療法を示しました。TJ療法のエビデンスレベルは最も上位のTであり、推奨度は最も高いAとなっています。一方、胚細胞腫瘍については、ブレオマイシン、エトポシド、シスプラチンの3剤を併用するBEP療法を標準的治療として示しましたが、こちらはエビデンスレベルをU、推奨度をBと評価しました。そのほかの主な内容は、表層上皮性卵巣癌では、手術時に進行期の確定に加え、病巣の完全摘出ないし可及的に腫瘍減量を図ること、妊孕性温存を希望し、かつ病理学的条件の許す症例であれば保存術式が可能なこと、胚細胞腫瘍では、妊孕性温存を要する症例では、進行例であってもBEP療法を中心とした化学療法を術後に併用すれば保存術式が可能なことなどが、拠り所となるデータとともに詳細に記されています。

 本ガイドラインの原案は、評価委員会での検討に次いで本学会の審査を経て、全学会員に提示され、その過程で200程の提言や助言が寄せられ、多くを修正しました。さらに日本産婦人科医会や日本産科婦人科学会にも提示され、ここでも十分に意見を採り入れた上で、同学会の承認を取りました。最終的には昨年の夏に開催された日本婦人科腫瘍学会総会での承認を経て、この度の発刊に至った訳です。

 本ガイドラインは、医師向けに書かれた専門的な内容ではありますが、患者さんや家族の方が読んでも十分に参考になるものです。医師と患者の双方が納得し、信頼関係を築き上げて、最善の治療が行われるためにもこのガイドラインが役に立つことを私達は願っております。今後は3年に1度の改訂を予定していますので、多くの方々からのご批判やご助言をいただければ幸いです。

 最後に米国産婦人科腫瘍学会副会長で、バージニア大学がんセンター所長のペイトン・テイラー先生からの「本ガイドラインができたことにより、米国、カナダ、ヨーロッパ、スカンジナビア諸国、そして日本で、同様のガイドラインが設定されたことになります。世界中の多くの人に、標準的な治療を受けられる同一の機会が与えられたことの意味は大きいです。」という言葉をもって締めくくりたいと思います。