平成9年3月10日放送

既往帝切は再帝切か

福島県立医科大学産科婦人科学講座 教授 佐藤 章

 近年、麻酔と手術の進歩により帝王切開術が比較的安全に施行できるようになったことや、分娩における母体と児とくに児の神経学的後遺症のための医療訴訟が多くなったこと、少産時代などの理由から世界的にも帝王切開による分娩が増加しています。米国では1990年代に入ってから帝切率は約25%にも上昇していることが報告されています。日本においても米国ほどではありませんが、帝切率は毎年上昇しており、平成7年では約15%でありました。また、米国での帝切例のうち約40%が既往帝切のため反復帝切になっていることが報告されています。我が国においても反復帝切は約25%に認められ、この率が上昇していく可能性が強いと考えられます。1900年代の始め、米国において"Once a caeserean , always a caeserean"(一度帝切したら、必ず次も帝切すべきである)という考え方が長い間信じられてきたためであります。また、既往帝切症例を経腟分娩させると、その多くが子宮破裂を起こし、母児共に重篤な結果を招くことから反復帝切をしてしまう例が多いと考えられます。しかし、帝王切開術は必ずしも安全な手技とはいえず、帝切することによって、軟産道裂傷、弛緩出血などの出血をはじめ、膀胱損傷、尿管損傷、創部縫合不全、術後のイレウス、感染症、深部静脈血栓症や肺塞栓症などの種々の合併症を起こすことが知られています。また、帝切による母体死亡は経腟分娩に比べ、出血、敗血症、肺塞栓、麻酔などの原因により約4〜8倍高いことが報告されています。また、一度帝切すると次の分娩時には、癒着、出血、前置胎盤、癒着胎盤などが多くなり、子宮を摘出せざるを得なくなるケースもあります。このように帝切は必ずしも安全ではないこと、また既往帝切症例でも経腟分娩できる症例が多いことが報告されるようになったことから、最近では既往帝切妊婦は必ずしも再び帝切する必要はなく、経腟分娩させるための試験分娩(Trial of labor)が試みられてきています。

 米国では既往帝切症例の経腟分娩を Vaginal birth after caeserean section といい、略してV.B.A.C ビー・バックと呼んでいます。これまで米国を中心とした英文での報告では、既往帝切症例における経腟分娩成功率、すなわちVBAC成功率は60〜80%とかなり高いことが報告されています。

 日本においても平成5年の厚生省心身障害研究班の報告で、試験分娩を行った症例の66.7%つまり3分の2は経腟分娩をすることができたと報告しています。また、試験分娩をすることによる、一番の問題点であります子宮破裂の頻度といいますと、その頻度は1%未満という報告が多く、帝切したときはじめて診断されるような無症候性の子宮破裂、つまり子宮切開創の瘢痕離解を含んでも2%未満との報告が多く、子宮破裂の頻度はさほど高くないといえます。また、VBACは成功しても、出生した児の予後が悪くては、VABCをする意味はありませんが、これまでの報告では、VBACでの周産期死亡率も罹病率も反復帝切例は変わらないという報告が多いようです。

 それでは、帝切の既往のある症例のすべてに試験分娩を行ってよいのでしょうか。まず、既往帝切時の切開創が古典的帝切つまり子宮底部縦切開をしている症例は、次の分娩時子宮破裂が20%位の確率で起こるといわれており、試験分娩は避け、選択的に反復帝切にすべきと考えます。既往帝切時、CPDや迴遷異常などによる難産で帝切した例は、再び同じ適応で帝切になる可能性が強いと考えられ、試験分娩することにより子宮破裂が増加するのではないかと思われますが、既往帝切時の適応が難産でのVBACの成功率は、骨盤位や胎児仮死などの適応で帝切した症例に比べ、やや劣りますが、それでもVBAC成功率は65%であり、子宮破裂の頻度も上昇しません。従って、現在のところ既往帝切時の適応が難産であっても必ずしも反復帝切をする必要はないと考えられています。既往帝切の回数が2回以上であってもVBACの成功率は約70%に認められ、かなり高率で、試験分娩してもよいと考えられています。しかし、子宮破裂の頻度は1回の既往のある症例の約3倍と報告されています。既往帝切時に出血量が多かった症例や術後発熱が長く続いた症例は子宮の切開創の創傷治癒機転がうまくいかず子宮破裂の原因になるのではないかと考えられていましたが、このような症例でも試験分娩をすることにより子宮破裂は増加しないと報告されています。

 既往帝切時の術者のうまい、へたの違いや、既往帝切と今回の妊娠までの期間が長い症例の場合子宮破裂を起こす頻度が高くなるのではないかという疑問に対しては、現在までのところ結論はでていません。

 既往帝切症例の中で一度でも経腟分娩を経験している症例ではVBACの成功率は一度も経腟分娩を経験していない症例に比べ高率であることが知られています。しかし、子宮破裂の頻度には差がないといわれています。

 既往帝切症例で今回の妊娠が双胎や巨大児の出生が予想される症例または骨盤位の場合試験分娩をしてよいかという問題については、文献的には、3つの場合とも試験分娩させてもVBACの成績は悪くなく、周産期死亡を増加させることもなく、子宮破裂の頻度も有意に上昇させることもないと報告され、VBACの対象にしてよいといわれていますが、症例数がいまだ少なくはっきりした結論はいまのところでていません。

 既往帝切症例において試験分娩中に陣痛促進のためオキシトシンを投与してよいかどうかという問題があります。オキシトシン投与により子宮破裂が増加するのではないかという心配が考えられるわけです。しかし、これまでの成績では子宮破裂の頻度を増加させることはなく、オキシトシンを陣痛促進のため使用してよいと考えられています。

 試験分娩時の硬膜外麻酔は子宮破裂の症状である腹痛を妊婦が自覚しないため子宮破裂を早期に診断できない可能性が強いため施行しないほうがよいとの考え方がありましたが、現在では、子宮破裂の早期診断には胎児心拍数図上での突然の遷延一過性徐脈や徐脈の出現が一番の手掛かりとなると考えられており、硬膜外麻酔は試験分娩の際に使用しても良いと考えられています。

 最近の報告では妊娠満期において分娩前、腹壁からの超音波断層法において子宮底部横切開部の筋層の厚さが3.5mm以上あれば子宮破裂は殆ど起こさずVBACできるといわれています。

 以上のことから、既往帝切症例において、米国産科婦人科学会が勧告しているように、

  古典的帝切や子宮底部縦切開を施行してある症例、

  または子宮腔内に入るほどの子宮筋腫核出術や子宮再建術を受けていた適応で帝切した症例、

  子宮切開創が不明な症例、

  低部横切開時T字型に切開が拡がった症例

は試験分娩せず反復切開にすべきと考えられています。勿論、妊婦がVBACを拒否したり、試験分娩中に胎児仮死などの産科的適応が生じた場合も反復帝切をすべきであります。

 私はこれに加え

  2回以上帝切歴があるもの、

  既往帝切時発熱、異常出血が続いたもの、

  今回の妊娠で恥骨結合直上部に自発痛・圧痛を認めるもの、

  超音波断層法で妊娠満期以降子宮下部の筋層が3.5mm以下のもの、

  今回の妊娠が双胎、巨大児出生が予想されるもの、

  骨盤位のもの

  また、児頭が固定していないもの

  頚管熱化が不十分な症例

では十二分に注意をして試験分娩を行うべきと考えます。そのため、既往帝切症例に対し、VBACの禁忌症例を正確に把握すること、十分に妊婦および家族にVBACと反復帝切の場合の利点とリスクを説明し、VBACの同意を得ておくこと、緊急に帝切ができるようにしておくこと、胎児心拍数モニタリングができること、輸血の手配がすぐできること、医師・助産婦・看護婦が、いつも妊婦のそばにいて観察でき、緊急の場合に対処できることなどが重要な条件であると考えられます。既往帝切症例を十分吟味し、分娩管理を慎重に行うことにより、既往帝切症例すべてを反復帝切することなく、かなりの症例を経腟分娩させることができると考えられています。