平成9年7月14日放送

がん患者のターミナルケア(ホスピスケア)

社会福祉法人賛育会・賛育会病院長 川越 厚

<総論>

 がん患者のターミナルケアはがん治療体系の中に位置づけられねばならないが「治癒を目的とした医療」とは多くの相違点がある。両者に共通することは患者の苦痛の緩和であるが、「治癒を目的とした医療」の場合は治療行為が「治すため」という大義名分の基に正当化されるのに対し、ターミナルケアではやがて死ぬ赴くことがわかっているからこそ、最善の医療とは何かを問わなければならない。

 ターミナルステージの定義は定義する人によって若干異なるが、ここでは生へ向けての集学的治療の効果が期待できず、そのような治療がむしろ不適切であると考えられる状態に置いて、「がんを治すことを放棄した時期から、死亡するまでの期間」と定義する。期間としては、通常3〜6ヶ月の事が多い。

 ターミナルステージであることを誰が決定するかは難しい問題である。患者の意志よりも主治医の判断が優先される形で決定されているのが現状であるが、基本的には、この問題は患者(又は家族)の自己決定権に属する事柄として理解しなければならない。というのは、がんの再発の例やがんがすでに全身転移している場合などでは、誰もが納得する一定の治療法は無いのが普通であり、しかも、がんを治すことの放棄は死に直結する、患者や家族にとっては極めて重大な事柄だからである。

 もとより死に逝く患者・看取る家族の価値観・希望は多様であり、看取る医療者、看取りの場所等も異なるので、ターミナルケアを一般論として論ずるのは難しいが、ここでは現在病院などで行われている最大公約数的なケアを語るよりも、看取りの理想であるホスピスケアの考え方・実際を述べることにする。

 末期がん患者に対しては医師や看護婦などの立場に立った医療だけではなく、人間としてのトータルなケアが必要である。というのは、死に向かう患者の必要とするものは、医療的な対応だけでは不十分だからである。

 末期がん患者に対する総合的なケアの考え方(哲学)を本来の意味で、ホスピス(hos-pice)と言う。ホスピスという哲学に基づいて行われる具体的なケアのことを、ホスピスケア(hospice care)と言い、ホスピスケアを行う場所や施設のことを、広い意味でホスピスとも言う。場所によってホスピスケアを区別するときには施設ホスピスケア、在宅ホスピスケアなどの名称を用いる(表4)。ホスピスケアの類義語に、緩和ケア(pallia-tive care)と言う言葉がある。厳密な意味ではこの二つの言葉は同義ではないが、最近は緩和ケアに広義の意味を持たせ、ホスピスケアと同義に用いられることが多い。

 施設としてのホスピスは遠くローマ時代から存在するが、現代のホスピスの開始の時は先般来日したシシリーソンダース(C.Saunders )が、ロンドン郊外にセントクリストファーホスピス(St.Christophers'S Hospice) を開設した1967年(昭和42年)と言われている。

末期がん患者をケアする場合、ソンダースはそのケアのあるべき考え方(哲学)を最も重視した。この哲学をホスピスケアの中心に位置づけた。その哲学に則って具体的なケアのプログラムを実現し、ケアの実践の場として誕生したのが、セントクリストファーホスピスだったのである。ソンダースの基本的な考え方は、1974年に国際的なワーキンググループによって、ホスピスケアの標準として整理され、以後それは何回かの改正を経て現在に至っている。ホスピスケアの考え方の要点は次の6つである。

 1.患者と家族が死を認識していること

 2.医療処置の考え方は症状緩和のみということ

 3.疼痛緩和の考え方は痛みの予防ということ

 4.学際的なチームワークで支えること

 5.家族と友人の積極的な役割があること

 6.ボランティアの積極的な参加があること

 ここに述べた哲学は、1985年に、ホスピスケアの基準としてさらに次のように整理されている。

 1.対象患者は末期患者

 2.ケアの単位は患者、家族など

 3.連続性と一貫性を保ったケアを提供すること

 4.24時間、週7日間のケアを提供すること

 5.学際的なチームケアでサービスを提供すること

   医学的なスーパーバイズ

 6.肉体的・精神的な不快を対象とした緩和、指示ケアを行うこと

 7.死別期のサービスを行うこと

 8.スタッフ、患者と家族を対象とした教育プログラムを充実させること

 9.ボランティアの参加があること

 さてホスピスケアにおける医療の第一原則は、末期がん患者に対して人為的な肉体的生命の延長や短縮をもたらす、あらゆる医療処置を原則として排除することです。

 そして症状緩和を最も重視することです。その目的は、患者を苦しめる症状を十分緩和するだけではなく、日常の活動を支持し、できるだけ普通の日常生活が送れるように援助することである。ホスピスケアにおける症状コントロールの中心的な課題は、痛みの緩和である。ホスピスケアでは末期がん患者の痛みを単に身体的要因から成るものとしてではなく、精神的要因、社会的要因、文化的要因、霊的要因から成る、全人的な痛み(TOTAL PAIN)として捉える。霊的な痛みとは、自己の存在に対する実存的な痛みであり、決して宗教的なことがらに限定された痛みではない。すなわち死という自己存在の最大の危機にさらされた者が感じる存在の痛みであり、「まもなく死ぬことがわかっていて、今生きることにどんな意味があるのか」あるいは「天国へ行きたいが、この体ではどうすることもできない。どうすればよいのだ」と言うような形で現れる場合が多い。魂の痛みは死を自覚した者全てに出現する痛みであり、特に死(不治)を告知された患者の場合に、特徴的に現れてくる。一方、死を告知されていない場合には、生理的な痛みが前面に現れてくる。

 がん疼痛緩和の第一原則は、痛みを予防することである。従って、鎮痛薬は頓用の形で用いるのは好ましくなく、時間を決めて規則正しく投与することが重要である。また鎮痛薬はできるだけ簡便な投与経路(経口→直腸→注射)を用いて投与し、最初は少量で開始し、次第に増量しながら痛みの消失に必要な量を決定する。除痛効果が十分でないときは強い効果の薬に切り替えるが、その際適当な鎮痛補助薬を用いると有効である。

 鎮痛薬、特にモルヒネの使用にあたっては、患者と家族に薬効、副作用、服用上の注意を十分説明する必要がある(表12)。副作用のうち便秘は必発と考えた方が良く、初回時モルヒネ投与より緩下剤は併用した方がよい。

 ホスピスケアは家族をもケアの対象とするので、患者が死亡しても家族を対象としたケアが継続される。これをグリーフケア(悲嘆のケア)と言い、通常患者の死後1年間にわたって行われる。グリーフケアは一定のケアプログラムに従ってなされるのが普通であり、ケアチームの寄せ書きを送ること、遺族の訪問、電話での様子伺い、故人を偲ぶ会の開催などの形でなされる。

<まとめ>

 以上かけ足で末期がん患者への医療とケアを見てきましたが、従来のがんの治療体系では、治癒を目的とした医療が主体で、ターミナルステージにある患者に対する医師の関心は低かったと言わざるを得ない。その背景には、「治す治療を医療者が放棄することは、患者や家族の生きる望みと価値を否定することになり、さらに医療者自身もそのようになった場合、積極的にやるべきことがない」という、パターナリズムに由来する誤解があった。しかし実際には、治癒見込みのないことを充分理解した患者も、希望を持って残された時間を生き抜くし、またそのような患者に対する医療者の果たすべき重要な役割、医療もあるわけです。