平成9年7月21日放送

日産婦関東連合シンポジウムより「子宮抑制剤」

慶応義塾大学産婦人科教授 吉村 泰典

 

 多様化する社会変化の一つである少産少子化時代にあって、新生児医療体制の充実、低出生体重児や新生児仮死の発生の予防、胎児医療の確立などにより、周産期医療のさらなる向上が求められております。その中で、早産はその発生を予防しなければならない疾患であります。近年、生殖補助技術の進歩により多胎発生率が高くなり、その結果として早産率も増加いたしております。早産による低出生体重児を防止するためには、原因療法とともに対症療法としての子宮筋収縮の抑制 が不可欠であります。現在、我が国でも子宮筋に選択的に作用する、いわゆるβ2ー刺激剤である塩酸リトドリンの出現により、子宮収縮の抑制が比較的有効に行なえるようになってきました。

 塩酸リトドリンによる子宮筋収縮の抑制には、大別して2つの使用方法があります。その一つは長期投与で、投与期間は一週間程度、またはそれ以上の長期間、投与を持続させるものです。特に塩酸リトドリンの効果を期待できる症例は、妊娠35W以下または推定胎児体重が2500g未満の症例、頚管の開大度が4cm以内、展退度が80%以内でかつ、未破水であることが適応の条件となります。早産への進行を抑制し、妊娠の継続をはかることを目的とする方法であります。子宮筋の収縮を抑制し、十分な妊娠期間を確保することにより結果的に未熟児出生を予防することができると思われます。 

 もう一つは短期間投与で、24〜48時間程度の短期間、塩酸リトドリンの投与を行う方法です。塩酸リトドリンで子宮収縮の抑制をはかることにより、分娩にいたるまでの時間を延長させ、母体搬送のための時間を確保したり、これにより胎児の肺成熟を促すためのステロイド剤を投与する時間を確保することができます。

 実際の投与方法は、塩酸リトドリンを5%ブドウ糖液あるいは10%マルトース液に溶解し、点滴静注にて投与いたします。まず、1分間に50μgの少量より開始し、子宮収縮の状況を観察しながら、15〜20分毎に25〜50μgずつ増量します。通常は1分間に150μgで子宮収縮の抑制がみられますが、それでも十分な効果が得られない時には200μgまで増量いたします。子宮収縮抑制がみられたら、有効用量で24時間程度維持し、症状の安定を確認しながら徐々に減量し、1分間に50μg以下を維持して、症状の再発がないことを確認後、点滴を中止いたします。

 早産の防止に当たっては、塩酸リトドリンなどの子宮収縮抑制剤のみならず、絨毛羊膜炎の予防や管理も大切であります。頚管粘液を越えた細菌は、絨毛膜、羊膜、さらに羊膜腔内に侵入し、子宮内感染をおこします。切迫早産の時にみられる頚管の開大は、マクロファージから放出されたインターロイキン-Iや腫瘍懐死因子(TNF)などのサイトカインの作用によると考えられています。サイトカインが頚管の線維芽細胞に働き、コラゲナーゼの産生を促し、頚管を開大させるものと考えられています。さらには、これらサイトカインがプロスタグランディンの産生を促し、子宮収縮がおこり、前期破水にいたるものと思われます。このような感染合併症例では適切な抗生物質の併用も大切であります。また局所治療としてイソジン液によるちつや頚管内洗浄も必要となります。

 最近、羊水中に多量に存在する胎児尿トリプシンインヒビター(UTI)が、切迫早産や前期破水の発症に関与していることが知られるようになってきました。切迫早産例では、このトリプシンインヒビターが減少しており、UTIを腔坐薬の形で外から投与し、サイトカインの作用を阻害することによって、切迫早産を治療しようとする試みがなされております。UTIは卵膜保護作用の他に子宮収縮抑制作用、頚管熟化抑制作用をもつことも確認されております。

 子宮収縮抑制剤である塩酸リトドリンの投与禁忌は、強度の子宮出血がみられる症例、子宮内感染症を合併した前期破水や常位胎盤早期剥離などの症例です。また、甲状腺機能亢進症、高血圧、心疾患、糖尿病、肝機能障害を呈する症例も投与を差し控えるべきでしょう。

 近年、切迫早産治療に対する塩酸リトドリンの有効性と安全性について再評価がなされるようになってきました。カナダ早産研究グループは、塩酸リトドリンの切迫早産の治療成績を詳細に検討し、48時間以内の分娩発生率は有意に低下されるものの、周産期死亡率、分娩遅延効果、出生児体重に対しては、有効性が認められないことを報告しております。このカナダの研究報告をうけて、アメリカのFertility and Maternal Health Drugs Advisory CommitteeいわゆるFDC reportsは、前期破水がなく、頚管開大4cm以下で妊娠33週前の切迫早産例で、塩酸リトドリンは有効であるとしております。出生体重が2500g以上の児の重篤な呼吸器疾患の改善効果と、妊娠33週前での周産期死亡の低下を認めることも報告されており、切迫早産患者に対しては塩酸リトドリンは有効であると結論づけております。しかしながら、塩酸リトドリンの経口投与については、現行の投与量では血中濃度が不十分なため早産に対しての有効性を疑問視しております。

 塩酸リトドリンの使用が長期化するにつれ、その副作用について十分な注意を払う必要があります。その副作用には2つが考えられます。その1つは肺水腫であり、電解質輸液の使用、輸液の過剰使用、ステロイド剤の併用、多胎妊娠、妊娠中毒症や心疾患の合併時に発生しやすいとされています。β2-刺激剤は、レニンーアルドルテロン系を刺激し、抗利尿ホルモンを増加させ、水分貯留をもたらすと考えられています。これら肺水腫を予防するためには、輸液は電解質輸液ではなく、5%ブドウ糖液や10%マルトース液を使用し、シリンジポンプや輸液ポンプを用いて輸液量をできるかぎり少量とすることが肝要です。

 もう1つの副作用は、意外と出現頻度の高い肝機能障害です。塩酸リトドリンの投与が長期にわたると、15%前後に肝酵素であるGOT,GPTが上昇いたします。多胎妊娠では特におこりやすく、40%の症例で肝機能障害がみられるとの報告もありますので、投与期間中は少なくとも週に1度の肝機能チェックが必要となります。障害が認められたら、直ちに減量あるいは中止し、硫酸マグネシウムなどの他の薬剤に切り換えることが大切です。塩酸リトドリンを中止すれば1〜2週間でGOT,GPTは正常値にもどります。

 その他、出現頻度はそれほど高くありませんが、顆粒球減少がみられることがありますので、やはり1週間に1度の定期的な血液検査を行うことが必要です。白血球数が3000以下に低下するような場合には中止した方がよいと思われます。しかしながら、これら副作用の大部分は的確な管理により、その発生予防が十分に可能であると思われます。

 切迫早産に対して、塩酸リトドリンを使用する際には、副作用の発現に十分注意し、かつ長期間漫然と使用しつづけるのではなく、適応を十分考慮することが大切です。適正使用に努めればより高い安全性、有用性の評価が得られると思われます。