口唇・口蓋裂のトータルケア * * * 東京大学医学部附属病院 顎口腔外科・歯科矯正歯科教授
高 戸 毅
I.口唇口蓋裂とは
口唇口蓋裂は、頭蓋顎顔面領域において最も多い体表先天異常で、口唇または口蓋に裂のみられる疾患の総称です。口唇口蓋裂という呼び方は、発生学的な見地から名付けられたもので、裂のみられる部位により、口唇裂と口蓋裂に分けられます。また、その両方に症状がみられる場合には口唇口蓋裂と呼ばれています。近年、口唇口蓋裂は超音波検査などの検査から、出生前に診断がつくこともしばしばあります(詳細は別項目)。
a. 口唇裂
口唇裂は、口唇および顎骨前方部に裂がみられものを言います。口唇にのみ裂がみられる場合は唇裂、口唇と歯槽骨に裂がみられる場合は、唇顎裂とも呼ばれます。
b.口蓋裂
口蓋裂は口蓋の骨・軟組織に裂をみとめるもので、完全な場合、口蓋前方部から後方の硬口蓋、軟口蓋にわたる裂がみられます。硬口蓋、軟口蓋ともに裂が存在するものは、硬軟口蓋裂と呼ばれることもあります。また、軟口蓋のみに裂があるものは、軟口蓋裂と呼ばれます。
c. 口唇口蓋裂
口唇裂と口蓋裂の両方を併せ持つものをいい、唇顎口蓋裂とも呼ばれます。裂が完全な場合は、完全口唇口蓋裂と呼ばれ、口唇から鼻腔、歯槽骨、硬口蓋、軟口蓋へと続く裂がみられます。また、口唇裂、口蓋裂同様、裂が一部に限局しているものを不全口唇口蓋裂といいます。
正常解剖と口唇口蓋裂の裂型シェーマ
口唇口蓋裂治療の一般的なフローチャート
II.哺乳
a.口唇口蓋裂児の哺乳
出産後、口唇口蓋裂の両親が直面する最初の課題は哺乳ですが、哺乳障害が必ずしも生じるとは限りません。通常の摂食意欲があり他の障害を持たない場合は、口腔に解剖学的な欠損がたとえあったとしても、口腔内の筋肉や舌を巧みに使って代償的に哺乳できることもあります。しかし、鼻腔に人工乳首に圧迫させて吸綴することにより、鼻中隔の薄い粘膜に潰瘍が生じるという問題が生じることもあります。そのために、口唇口蓋裂児の場合は哺乳に障害が生じないよう、注意深く見守り、適切に対処します。口唇口蓋裂児は哺乳に不利な口腔構造を持っているため、通常の神経学的嚥下能力を備えていても、一回の吸綴・乳首圧迫により飲める乳の量が少なく、疲労のため十分摂取する前に哺乳をやめてしまうこともあり、必要な哺乳量が確保できないことがあります。この様な場合は、患児の哺乳負担を軽減するための対策を講じることとなります。
b.口唇口蓋裂の哺乳障害に対する治療
哺乳障害が生じているかどうかの判断は、1日哺乳量、1回哺乳量とそれにかかる時間、体重の増加量によって行います。もちろん、合併疾患を伴う場合もそうでない場合も含め、定期健診を含む小児科における治療・健診と連携して行います。哺乳障害が明らかになった場合、主に3種類の対応法があります。
(1) 口唇口蓋裂児用の哺乳用品(乳首・哺乳びん)の利用
現在では、吸綴力の弱い口唇口蓋裂児に対する専用の哺乳用品が市販され、その入手も容易であり、出産施設での同用品の紹介も一般的となっており広く使用されています。
専用哺乳用品の使用は哺乳量の改善に非常に有用でありますが、鼻中隔粘膜に潰瘍を生じることもあり、次項の哺乳床(ホッツ床、口蓋床)との併用が望まれます。(2) 哺乳床(口蓋床、ホッツ床)の利用
口唇口蓋裂児における哺乳障害の改善に有効で、もっとも推奨される方法は、哺乳床の装着です。哺乳床により、裂隙のある口蓋部を覆うことにより、吸綴と乳首圧迫の効果を容易に増大させることができます。成長に応じ度々の調整が必要なため、両親には定期的に受診する負担が生じますが、出生直後は両親のカウンセリングも行われ定期的受診は必要とされるので、住居が遠方である場合や他の疾患との合併のため頻繁の来院が困難である場合などを除いては哺乳床の装着は望ましいと思われます。哺乳床には口唇口蓋形成術の前の顎矯正の効果もあり、哺乳改善方法としてはもっとも望ましいと思われます。
(3) 受動的な栄養法
注射筒、スポイト、シリンジあるいは経鼻胃管栄養法により、患児の保有する哺乳能力を用いることなく授乳させる場合があります。口唇口蓋裂児が嚥下障害を伴う合併症を持つ場合などは、受動的な栄養法に頼らざるを得ないこともあります。経鼻胃管栄養は栄養供給手段としてはもっとも確実ではありますが、長期的に使用することにより、自律的な哺乳の確立が遅延する可能性が大きいために、その適応には慎重な判断が必要になります。
III.術前の形態改善
口唇口蓋形成術の前の顎矯正については古くから報告されており、その方法も実に様々です。また、術前顎矯正の賛否についても古くから論議されています。
1)口唇口蓋裂の上顎の形態
片側の口唇口蓋裂の上顎はmajor segmentおよびminor segment の2部に分かれています。major segmentの前方部は外上方に突出し、正中も健側に偏位しており、顎裂の幅は個々の口唇口蓋裂児の間で様々で、major segmentとminor segmentの前後幅も様々です。
両側の口唇口蓋裂の上顎は中間顎(premaxilla)と左右のlateral segmentの3部に分かれています。この中間顎は前方に突出していますが、lateral segmentの位置は左右対称的です。
2)術前顎矯正装置
顎矯正装置は、動的な矯正力を加える動的装置および患児が本来有する顎成長能力を利用する受動的装置の2種類に大別されます。これらに使用される床型の装置は現在、日本ではホッツ床、哺乳床、口蓋床などと呼称されています。ホッツ床はチューリッヒ大学のHotzらが使用した受動的矯正装置の名称で口蓋閉鎖を2段階に分けて行う治療法の一環として用いたものですが、現在日本でホッツ床といえば、動的装置も含めた口蓋に用いる床を総称しており、哺乳床、口蓋床とほぼ同義に用いられています。哺乳床は哺乳障害改善としての役割もあり、また、舌が鼻腔に入り込む癖を抑えて舌機能の正常化を図ることができるなどの利点もあります。
3)術前鼻矯正
a)術前外鼻矯正前の外鼻の形態
初回口唇形成術の時に外鼻形態をどの程度改善するかについては以前より議論があります。我々は、できるだけ早期に外科的外鼻形態改善を行わず良い外鼻形態を得るため、口蓋床に外鼻変形矯正装置をつけたものを用い口唇形成術前に外鼻の形態を非観血的に矯正する治療を行っています。
b)術前外鼻矯正装置の作製および治療
日本で術前外鼻矯正を行っている施設はまだ多くないので、われわれが現在用いている外鼻矯正装置の治療の実際について述べます。患児は1〜2週ごとに受診し、その際にワイヤーの方向や強さを調節したり、レジンを添加することにより外鼻形態を整えます。これらの装置は口唇形成術まで用いられ、口唇形成術後口蓋形成術までは、従来型の口蓋床を用います。
口蓋床の作成(左:出生直後の印象採得 右:石膏模型) 外鼻矯正装置付き口蓋床(左:片側用、中:両側用、右:従来型の口蓋床) 口蓋床装着時(左:右側口唇口蓋裂、右:両側口唇口蓋裂) IV.口唇形成術
口唇裂の初回手術は通常生後3ヵ月頃に行われます。その理由として、3ヵ月までには体重も5kgを超え、患児の体力がついてくることと、1ヵ月健診も終えて出生時には診断されなかった合併症もある程度診断されることが挙げられます。口唇裂の手術では、口唇裂を閉鎖しバランスのとれた自然な口唇形態を再建するとともに、偏位した鼻柱や鼻翼基部の位置の適正化が重要となります。また、口輪筋の連続性を再建することも手術の目的の一つです。
左側口唇口蓋裂症例
左:口唇形成術デザイン 中:手術終了直後 右:術後6か月
両側口唇口蓋裂症例
左:口唇形成術術前 中:術後3年 右:術後10年
V.口蓋形成術口蓋形成術の目的は、口蓋部分における口腔と鼻腔の遮断をすることのみならず、軟口蓋における口蓋帆挙筋などの左右に分かれた筋群を再建し、正常な鼻咽腔閉鎖機能を獲得できるようにすることです。口蓋形成術は通常1歳から2歳までに行われる事が多く、その理由としては、2歳頃より発話するために、それ以前に口蓋を閉鎖して鼻咽腔閉鎖機能を獲得しておくことにより、良好な構音の発達を期待するためです。
口蓋形成術(Push-Back法)のシェーマ 左:左側口唇口蓋裂症例(push-back法) 中:手術デザイン 右:術直後 口蓋形成術(Furlow法)のシェーマ 左:左側口唇口蓋裂症例(Forlow法)手術デザイン 右:手術終了時
VI.口蓋形成術以降の治療口蓋裂手術後は言語聴覚士の評価・訓練を行ないます。経過観察中に鼻咽腔閉鎖機能不全があり、言語機能に異常がある場合は、咽頭弁形成術などを行います。鼻変形に対しては両側口唇口蓋裂の場合は、就学時前に外鼻修正術を行うことが多く、片側でも変形が強い場合にはこの時期に口唇・外鼻修正術を行なうことがあります。しかし、近年では初回手術において、良好な結果が得られるようになっており、徐々に減少傾向になっています。5歳頃より歯科矯正医による経過観察を開始し通常では6〜9歳頃、永久歯の萌出に合わせて、顎裂部骨移植術を行います。また、乳歯列後期または混合歯列期より、上顎の劣成長に伴う不正咬合に対応するため、歯科矯正治療が開始され、咬合状態により必要であれば、成長が終了した時期に顎矯正手術を行います。また、口唇の変形や鼻変形が著しい場合は、この時期に口唇および外鼻変形に対する最終的な修正手術を行ないます。口唇口蓋裂では、歯の欠損や形成不全がみられることも多く、良好な歯列を得るためにインプラントなどの歯科補綴治療がしばしば必要となります。このように、口唇・口蓋裂の治療は長期にわたり、また、各専門家のチーム医療を必要とします。