日産婦医会報(平成12年8月)

有珠山噴火始末記

北海道伊達赤十字病院院長 岩本 英龍


はじめに

 本年3月31日、勤務病院より北西約8kmの所に位置する有珠山が二十三年振りに噴火しました。30-50年周期で噴火すると言われておりましたが、今回はそれより短い周期での噴火でした。新聞やテレビなどによる連日の報道で、会員の皆様はよくご存じと思いますが、噴火前からの経過と当院の対応を簡単にご報告致します。

噴火までの経過

 昭和52年の噴火後、有珠山の観測体制が整備され、今回日本では初めてと言われる噴火予知が、正確に2日前になされました。3月28日出勤しますと、伊達市防災課から48時間以内に99%の確率で有珠山が噴火するとの連絡が入りました。それまでは何の情報はおろか、有感地震すらなく狐につままれた感じでしたが、午後になり有感地震が発生、やはりという感じになってきました。以後、急速に頻度が増し、直下型特有の下から突き上げる強い地震に見舞われるようになりました。
 そして、3月29日、有珠山周辺の危険地域に避難指示が出ました。前回噴火後に作られたハザードマップに従い、危険地域の避難が迅速に行われました。伊達市は全人口の約15%の5472名、壮瞥(そうべつ)町は約12%の408名、洞爺湖温泉がある虻田町は実に人口の97%の9930名に避難指示が出ました。当院は避難地域外で、地震のためエレベーターが一時使用不能となった以外はライフラインも平常状態に保たれ、通常診療は可能でした。しかし、当院の診療圏は、伊達市をはじめ有珠山周辺が大きなウエイトを占めておりますので、JRや主要道路の通行止めにより、通院患者さんに大きな影響が出ました。そして遂に、3月31日13時10分、有珠山は噴火しました。

噴火前後の当院の対応

 当院は噴火口に最も近い総合病院のため、被災者が出るとまず搬送されることになります。万全の救急医療体制を取りましたが、事前の避難指示が完璧で、幸い人的被害はありませんでした。
 しかし前述のごとく外来患者さんに大きな影響が出ました。約一週間後には、主要道路は通行可能になりましたが、この間最も混乱したのは通院患者さんへの投薬でした。患者さんより個々に電話が入り、その対応に追われました。避難所ごとに薬をまとめ緊急車両で届けてもらい、避難所以外の患者さんには最寄りの医療機関や処方薬局にFAXで処方内容を送り、投薬していただきました。その後、噴火は小康状態で、避難解除は徐々に進み、伊達市が4月13日、壮瞥町が5月12日に解除となりましたが、6月末現在、虻田町の24%に当たる2426名は、依然として避難所または仮設住宅生活を余儀なくされています。

産婦人科の対応

 産婦人科では出産間近の一部の方には入院していただき、通院できない方は最寄りの産婦人科に紹介しました。余裕のない方には救急車による搬送を手配しました。噴火前後の当科での分娩例を紹介致しますと、
3月28日 分娩の褥婦 通行止めのため帰宅できず、退院を一週間延期
3月31日 通行止めにより早目に入院し分娩誘発中の妊婦 強い地震の続く中、同日13時58分 正常分娩(噴火48分後)
4月3日 帝切予定で噴火前から入院中の妊婦 強い地震と火山灰による空調停止のため手術室使用不能が予想されるため、室蘭市内の病院に転送
などの症例がありました。

その他の対策

 今回の噴火では直接の人的被害がなかったため、病院としての対応は、避難所への救護班派遣による診療活動が主なものとなりました。雲仙普賢岳噴火や阪神淡路大震災では、避難者の心理的障害が大きな問題となったため、今回は「心のケア」を早目に立ち上げました。今回と前二者との大きな違いは、噴火による直接の人的被害がなかったこと、避難した方々の住居の多くは無損で残っていること、前回の噴火の経験から短期間で自宅へ戻れるとの思いから、心理面のストレスは比較的少なかったことです。

おわりに

 小生の主な仕事は、院長としての立場で、噴火前後の種々の対策会議や、視察に来られた多くのVIPの方々への対応でした。この原稿の締め切り近くには、有珠山の噴火は沈静化しておりますが、終息宣言は未だ出ていません。災害列島日本では、いつ何時どんな災害に見舞われるか分かりません。今度は、伊豆諸島で噴火や地震が相次いでおります。本稿掲載の頃には、両地域とも平常状態に復していることを願っております。