8.事例から学ぶ:新生児管理
今回は、出生直後の新生児がカンガルーケア中に心肺停止となった2つの事例をご紹介します。同じような転帰をたどった2例ですが、裁判所は異なる判断をしました。何が裁判所の判断を分けたのでしょうか?
1 事例1 地方裁判所 2016年判決(事例は2011年)
(実際の事例に多少の改変を加えています)
妊娠・分娩経過に明らかな異常なし
9時に自然経腟分娩で出生(妊娠38週5日、2,685g、APGAR 9/10)
9時15分頃から、上体を少し起こした母親の胸の上でカンガルーケアを開始
児の低血糖(28㎎/㎗)に対し、5%ブドウ糖液10㎖を哺飲
9時25分から、カンガルーケア再開
9時55分に、助産師が児の顔色不良・全身蒼白を認知、児は心肺停止の状態
その後、蘇生するも、低酸素性虚血性脳症による重篤な後遺症を負った
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【紛争の経過】
児・母親・父親が原告となり、医療機関に対し損害賠償を請求しました。
裁判所は、いずれの請求も棄却しました。
【裁判所の判断】
裁判所は、概ね次のように判示し、医療機関側の過失を認めませんでした。
医療機関ないしその職員が、想定されるあらゆるリスクについて常に経過観察義務を負うものとは解することができないところ、出生時に健常とされた新生児について、容体が急変して死亡や重篤な後遺症に至る事例は稀であり、また、カンガルーケアは、それ自体が新生児の心肺停止等の急変のリスクを増大させるものではないとされていることからすると、少なくとも本件発生(2011年)当時,具体的なリスクが予見されない児のカンガルーケアに際して、パルスオキシメータ等による機械的モニタリングや医療従事者の同席といった経過観察を行うことが一般的な医療水準の内容となっていたとは認められない。
2 事例2 地方裁判所 2014年判決(事例は2009年)
(実際の事例に改変を加えています)
既往帝王切開後妊娠、妊娠・分娩経過に明らかな異常なし
12時9分、予定帝王切開で出生(妊娠37週4日、2,618g、APGAR 8/9)
出生後、多呼吸のため保育器で管理
13時40分、母親は病へ移動
15時、母親にフルルビプロフェンアキセチル(ロピオンⓇ)、17時にペンタゾシン(ペンタジンⓇ)、ヒドロキシジン塩酸塩(アタラックスPⓇ)投与
18時、呼吸状態良好で全身状態改善したため保育器からコットヘ移動
18時10分〜19時(第1回母子同室)及び22時〜(第2回母子同室)、助産師が児を母親のベッドに移動させ直接授乳、児は口や鼻腔が閉塞されるうつ伏せ体勢ではなかった
22時40分、児が乳首を吸啜せず手を握らなくなったことに母親が気付く
23時20分、母親のナースコールにより助産師が駆けつけた時、児は心肺停止状態
その後、児は蘇生するも、低酸素性虚血性脳症による重篤な後遺症を負った
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【紛争の経過】
児・母親・父親が原告となり、医療機関に対し損害賠償を請求しました。
裁判所は、原告らの損害賠償請求を認めました。
【裁判所の判断】
裁判所は、概ね次のように判示し、医療機関側の経過観察義務違反の過失を認めました。
授乳は、母と児の生理的な行為であって、医療関係者による指導や厳重な監督がなければできないような性質のものではなく、医療機関において、授乳の際に、常時、医療従事者による立会いや血中酸素濃度のモニタリング等を行う義務を負うと解することはできない。
しかし、出生直後の新生児は、胎内生活から胎外生活への急激な変化に適応する時期であって、呼吸・循環動態が不安定であり、頻度は高くないものの新生児につきSIDS等の急死事例が生じていることは医学的常識と解され、また、授乳中の新生児につき、窒息や圧死等の事例が一定程度発生していることは周知の事実であるところ、母の自助に対する補助という見地から、医療機関は必要かつ相当な範囲で出産後入院期間中の母児への指導や観察を行うことが当然に予定されていると解され、出産の方法や母児の状態等の具体的事情を考慮し、新生児の容態が急変する可能性を予見することができる場合や、新生児の容態の急変に母親が的確な対処をすることができないことが予見される場合には、そのような危険を回避する措置を講じるべきである。
3 各事例についての裁判所の考え方
上記2つの事例は、いずれも、カンガルーケア中に児が心肺停止となり低酸素性虚血性脳症となったという類似の経過であるにもかかわらず、裁判では、事例1は過失なし、事例2は過失あり、と結論が大きく分かれています。
2つの事例において裁判所が示した考え方・判断基準は、概ね次のように要約できます。
授乳は、母と児の生理的な行為であって、医療機関において、常時、医療従事者による立会いや血中酸素濃度のモニタリング等を行う義務があるとは認められない。
しかし、医療機関は必要かつ相当な範囲で出産後入院期間中の母児への指導や観察を行うことが当然に予定されており、具体的なリスクが予見される場合には,医療機関において、危険を回避する措置を講じるべきである。
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上記の2事例は、このような判断基準の下、「具体的なリスクの予見可能性・結果回避可能性」の有無にかかる裁判所の評価が異なったことにより、結論を分けることとなりました。
具体的には、事例1においては、リスクを具体的には予見できなかったとして医療機関の過失が否定されました。
一方、事例2においては、帝王切開術当日であったこと、母体に鎮痛剤等が投与されていたこと、カンガルーケアの前には保育器で管理されていたことなどの具体的な事情から、医療者は新生児が急変する可能性あるいは新生児の急変に母親が的確に対処できない可能性を具体的に予見することができ、それを回避することができたにもかかわらず回避措置をとらなかった、などとして過失が認められています。
4 2つの事例から学ぶこと
2つの事例における裁判所による評価・判断には様々なご意見やご感想があるかもしれませんが、その前提として示された判断基準自体には、あまり異論はないものと思われます。実地臨床においても、医師らは当然に、各症例の病態やリスクなどを検討しながら、症例ごとに適切な診断・治療・管理を行なっています。裁判所が示した判断基準自体は、目新しいことや特別なことなどではなく、医師らが日常的に当たり前に行なっていることを言語化したものに過ぎません。
このことからも、普段から、各症例の病歴、病態、患者を取り巻く状況等を医学的見地から過不足なく観察し検討した上で適切な診断・治療・管理を行なっていれば、臨床におけるそれまでの考え方や対応等を裁判や紛争化に備えて特段に変える必要などないことがわかります。トラブルになったときこそ、普段からいかに真摯に各症例に向き合って診療を行っているかどうかが効いてくる、と言えるのではないでしょうか。
なお、カンガルーケアについては、『「早期母子接触」実施の留意点(日本周産期・新生児医学会)』が公表されており,裁判所は、同様の事例ではこれを参考にするものと考えられます。そのため,カンガルーケアを実施しようとする際には、同文書記載の留意点には十分目配りをしておく必要があります。