7.事例から学ぶ:妊娠分娩管理2
前回は、妊娠分娩管理のうち、胎児についての問題、具体的には分娩監視における過失が認められた事例を紹介しました。今回は、妊娠分娩管理のうち、母体管理についての問題、具体的には母体の出血性ショックへの対応における過失が認められた一例を取り上げて、紛争予防について具体的に検討します。
事例概要(実際の事例に改変を加えています)35歳、1回経産
●月12日(妊娠36週) | 妊婦健診を受けていたA医院(有床診療所)で、妊娠高血圧症候群と診断 |
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●月19日(妊娠37週) | 自宅で多量の性器出血と下腹痛が出現 |
9時40分 | 救急車でA医院入院、常位胎盤早期剥離の診断で帝王切開術決定 |
10時0分 | 児娩出、術中出血800g、術中より細胞外液や膠質液点滴投与(15時20分までに3,000mLの補液量) |
12時20分 | ハイドロコートン投与、出血90g |
13時20分 | 血圧120/85、脈拍125回/分、ミラクリッド投与 |
14時25分 | 一時的に頻脈、顔色不良、呼名に反応あり |
14時35分 | 声かけ・刺激に反応なく、顔色・ロ唇色不良、血圧130/75、脈拍145回/分、尿量少量 |
14時55分 | 声かけ・刺激に反応なく血圧115/65、脈拍140回/分、体温35.3、尿量20mL 搬送することを決定し搬送先に問い合わせ |
16時10分 | 搬送先が決定、救急車手配 |
16時16分 | 血圧69/34、エフェドリン投与 |
16時49分 | B大学病院救急部搬送、搬送時のJCS100、脈拍150回/分、血圧測定不能 重度貧血・重度アシドーシス・出血性ショック・重症DICと診断され、緊急大量輸血輸液療法 |
●月20日(術後1日目) | 意識明瞭となるも、腎障害・肝障害出現 腎不全・肝不全・MRSA感染症・敗血症を併発 |
●月19日(術後30日目) | 徐々に全身状態悪化し、多臓器不全により死亡 |
【紛争の経過】 死亡から約2年後、患者遺族が、出血性ショックに対する処置や転医措置が遅れた過失があるとして訴訟提起しました。
訴訟提起までに約2年を要したのは、それまでに当事者間で任意の交渉が行われていたことによるものと推測されます。紛争化したときは、すぐに訴訟提起されるわけではなく、まず任意で当事者間で(弁護士が関与しながら)の交渉が行われ、合意に至らない場合に訴訟または調停などの手続きに移行することがほとんどです。
【裁判所の判断】 裁判所は、主に以下のような理由で医師の過失を認め、過失と母体死亡との因果関係を認めました。
- 遅くとも13時30分頃か14時15分頃には出血性ショック発症を疑い、緊急輸血等の対処をするか、転医すべきであり、出血性ショックに対する処置・転医措置が遅れた過失がある。(⇨医師の過失あり。)
- 遅くとも15時15分頃に他院へ搬送されていれば、現実の死亡時点においてなお生存していた高度の蓋然性がある。(⇨医師の過失と母体死亡との間に因果関係あり)
(なお、①「遅くとも13時30分頃か14時15分頃に」や②「遅くとも15時15分頃に」といった時刻の根拠については、上記の概要のみからは読み取れませんが、裁判所に提出されたカルテ等の証拠を根拠に判断されたものと思われます。)
【事例から学ぶこと】ポイント
- 指針やガイドラインに沿った病態把握と搬送・転医の判断
- 自施設の状況に応じた緊急時のシミュレーション・マニュアルの整備
- 丁寧かつ速やかな記録、日頃からの医療機器等の時刻合わせ
本事例は、常位胎盤早期剥離の診断で帝王切開術が行われており、ガーゼカウント上の出血量は決して多くなく、血圧低下も著明ではありませんでしたが、既に出血性ショックの状態にあったと思われます。ところが、出血性ショックの状態にあったことを認識せずに、十分な補液や輸血準備等をすることなく経過を見ていた間に、急激に状態が悪化したものと考えられます。出血性ショックに関わる迅速かつ適切な判断・対応が結果に与える重大性とその難しさを再認識させられる事例です。
緊急対応を要し、かつ症例ごとに病態の異なる産科領域の大量出血において、「後方視的に100点」の適時適切な対応をすることは困難ですが、本事例のように重大な結果をもたらし得る状況であるため、なんとしても少なくとも「合格点」の対応をすることが求められます。「産科危機的出血への対応指針2022」や「産婦人科診療ガイドライン産科編2023」等を改めて確認し、緊急時のシミュレーションを重ねることが重要です。
また、自施設の設備や人員等の環境下では緊急時に必要な検査や輸血等の対応が行えない状況であると判断される場合には、高次医療施設への搬送を考慮しますが、迅速かつ適切な判断のためには、日頃から、「産科危機的出血への対応指針」を参考に、自施設の状況に応じた具体的なマニュアルを整備するなどしておくことが有用です。
さらに、産科危機的出血のような緊急性を有する場合に限らず日常診療の場合であっても、転医の判断の遅れが深刻な結果を招く場合があります。日頃から、自施設でできること/できないことについて検討しておくと共に、周辺地域の他施設との情報共有などを通じた円滑な連携・協力体制を構築しておくことも重要です。
最後に、このような緊急時には、その都度、細かく記録を残すことは難しいと思われますが、緊急対応に一定の区切りがついたら記憶が鮮明なうちに、事象や時刻を複数人で確認しながら、時系列に沿って事実についての記録を残すようにしましょう。また、正確な記録や後日の検証のためにも、医療機器や院内の時計などは普段から時刻合わせをしておくと良いでしょう。