遺伝子治療 研究から臨床応用へ(島田 隆)

遺伝子治療のコンセプト(図34)

 遺伝子治療は正常遺伝子を導入して遺伝病を治療する方法として発展してきたが,最近では遺伝子を使って癌や生活習慣病を治療する方法も行われている.さらに,遺伝子の修復をめざした究極の遺伝子治療(ゲノム編集)の研究も進められている.

遺伝子治療の方法(図35)

 遺伝子治療の方法には,患者の細胞に遺伝子を導入する体内(in vivo)遺伝子治療と遺伝子導入した細胞を患者の体に移植する体外(ex vivo)遺伝子治療がある.

遺伝子導入法(表10)

 遺伝子を細胞に導入する方法としては化学的方法や物理的方法も検討されたが,現在では組換えウイルスをベクターとして使う方法が主流になっている(表10).

遺伝子治療の歴史(表11)

 遺伝子治療の可能性が提案されてからゲノム編集による遺伝子修復の臨床研究開始に至るまでの50 年の歴史を表11 に示す.

これまでに行われた遺伝子治療(図36,37)

 これまでに行われた遺伝子治療の対象疾患と国別のプロトコール数を示す.対象疾患はがんが最も多く,プロトコール数はアメリカによるものが最多である.

遺伝子治療で起きた有害事象(表10 参照)

1)遺伝子治療による死亡事故(Gelsinger 事件)(1999 年,米)
・アデノウイルスベクターを使った遺伝性代謝疾患(OTC 欠損症)の遺伝子治療で患者(Gelsinger)が死亡した.
・ウイルスベクターに対する全身性炎症反応(SIRS)による多臓器不全.
・科学的妥当性だけでなく,プロトコール違反やCOI が問題になった.
2)ウイルスベクターによる白血病(2002 年,仏).
・レトロウイルスベクターを使った先天性免疫不全症(X-SCID)の遺伝子治療を受けた患者が白血病を発症した.
・染色体に組み込まれたレトロウイルスベクターが近傍の癌遺伝子を活性化.
・レトロウイルスベクター以外のウイルスベクターでは癌化は起きていない.

遺伝子治療の有効性が確認されている疾患

①遺伝病‥
・先天性免疫不全症:ADA 欠損症,X-SCID,Wiscott‥Aldrich 症候群.レトロウイルス/ レンチウイルスベクターを造血幹細胞に導入するex‥vivo 遺伝子治療.
・サラセミアレンチウイルスベクターを造血幹細胞に導入するex‥vivo 遺伝子治療.
・遺伝性神経変性疾患:副腎白質ジストロフィー(ALD),異染性白質ジストロフィー(MLD)
・レンチウイルスベクターを造血幹細胞に導入するex vivo 遺伝子治療(遺伝子導入細胞がBBB を超えて脳内に侵入)
・血友病
AAV ベクターを血液経由に肝臓に導入するin vivo 遺伝子治療(肝臓から持続的に凝固因子を分泌させる酵素補充療法)
②神経疾患(パーキンソン病,AADC 欠損症)
 AAV ベクターを脳内注射するin vivo 遺伝子治療
③眼疾患(遺伝性網膜疾患)
 AAV ベクターを眼内注射するin vivo 遺伝子治療
④悪性腫瘍
・固形癌
アデノウイルスベクターを腫瘍内注射するin vivo 遺伝子治療
・造血器腫瘍(白血病,リンパ腫)
レトロウイルスやレンチウイルスベクターをリンパ球に導入するex vivo 遺伝子治療(腫瘍抗原に結合するT 細胞レセプター(TCR)やキメラ抗原レセプター(CAR)を発現するT 細胞を使った養子免疫療法)

将来の遺伝子治療

○胎児遺伝子治療(Fetal gene therapy, In utero gene therapy)
 遺伝病の中には早くから不可逆的な異常が蓄積してしまう疾患がある.出生前遺伝子診断が行われるようになり,このような疾患の胎児期の遺伝子治療の可能性が検討されている.胎児遺伝子治療の有利な点としては,発症前の早期治療が可能になることに加え,血液脳関門などの組織が未熟であるため高い遺伝子導入効率が期待できること,さらに免疫系が未熟でありベクターや発現タンパク質に対する免疫寛容が得やすいことなどが考えられている.一方で問題点としては,胎児発達への影響や流産/早産の危険性に加え,胎児期の生殖細胞への予期せぬ遺伝子導入の可能性が危惧されている.2017 年3 月の時点では胎児遺伝子治療は行われていない.
○遺伝子修復(ゲノム編集)(図38)
 DNA の特定の部位を切断する合成ヌクレアーゼ(ZFN,TALEN,CRISPR/Cas)を使って,ゲノムDNA を改変する技術が開発された.切断された二本鎖DNA が,「非相同末端結合」あるいは「相同組換え修復」により修復される際に,遺伝子のノックアウトやノックインが起きる.この技術を使うことで,これまでのような遺伝子を外から加えるだけでなく,遺伝子異常を修復する遺伝子治療も可能になると考えられている.ゲノム編集を利用した遺伝子治療の臨床研究が開始されている.

○生殖細胞遺伝子治療(Germline cell gene therapy)
 フランケンシュタインモンスターを作ってしまうおそれのある,遺伝子操作による人類改造が遺伝子治療の最大の倫理的問題であった.そのため世代を超えて影響の出る可能性のある生殖系列細胞(germline cells,精子・卵子・受精卵など)を対象とした生殖細胞遺伝子治療は世界中で禁止されていた.また,現在行われている遺伝子治療でも,生殖系列細胞への予期せぬ遺伝子導入が起きないように細心の注意が払われており,治療後の検査も行われている(一部のプロトコールでは精液の検査が義務づけられている).ところが,ゲノム編集技術が進歩して,受精卵の遺伝子を正確に改変することが技術的に可能になると考えられるようになった.そのため,これまで全面的に禁止されていた生殖細胞遺伝子治療について,改めて議論が開始されている.米国科学アカデミーは,将来的には重篤な疾患の予防に限り,厳しい規制の元で受精卵のゲノム編集による遺伝子治療を認めるべきであるとの報告書を提出している(2017 年2 月).