これからの社会の急速な変化と産婦人科医療の近未来(木下勝之)

 今日の科学,医学,中でも発生工学,幹細胞学,遺伝学,分子生物学等の進歩発展は目覚ましい.一方,物理学,工学,電子工学等の領域では,社会,産業界における革命的なインターネットの普及,A(I 人工知能)の開発,そしてロボット等の実用化が進み,自動運転に始まり,危険な場所での作業や監視はロボットが代行するし,製作工場から流通まで,IoT(Internet of Things)で結ばれ,AI でコントロールされ,自動化の動きは止まらない.ドイツでは,20 世紀のエレクトロニクスが社会を変えた第3 次産業革命に次いで,今日のIoT とAI の普及を第4 次産業革命と名付けた.
 このような科学の進歩は,医学の領域でも,例外ではなく,基礎医学の数々の成果は,臨床応用へとすすみ,そのいくつかは臨床治験に参入している.
 本シリーズでは,近い将来,産婦人科領域で日常診療への登場が期待される,ゲノム医療,診断用検査,ロボット手術,放射線治療,遺伝子治療等に関する現状が紹介されており,国民の期待にかなう形での導入をいかに果たすかが,これからの課題となっている.通常,医療用医薬品が開発されると,臨床治験を経て,人体への安全性と効果を確認したのち,薬品の製造承認・許可を取得し,次いで薬価基準収載を申請する手続きを行うこととなる.
 今日の,最先端の医学研究の分野では,例えば,ヒトiPS 細胞を用いた再生医療領域の基礎および臨床研究の実用化が進んでいる.特に創薬分野では,その使用が進んでおり,各種の機能細胞のうち,一部の種類の分化細胞(肝臓細胞,神経細胞,心筋細胞など)については既に製品化され,手軽に入手が可能となっている.しかし,今後は,まったく新しい発想での再生医療の研究および治験の経費,さらに推計患者数を勘案して決めた高額な薬価の申請に,議論が紛糾すると思われる.このように,科学の進歩の成果を社会はいかに受け入れ,実現するかに関して,クリアしなければならない経済的,社会的課題があることを本稿で述べる.
 また,前述の科学の進歩の中で,特に,インターネットを基盤とした,情報通信技術の革命的進歩は,ついに,スマホを人間生活に極めて便利なツールにしてしまった.しかし,問題は,便利である一方,ヒトの生き方や,人と人との関係性を大きく変える結果をもたらしていることである.子供たちへのスマホの影響は大きく,中でも,直接会って会話し,表情を読み,相手の気持ちを汲むなどの,人と人との関係性を身に付ける機会が減っている.今日では,我が子である乳幼児にも,スマホを持たせる親は珍しくない時代になった.本稿ではこれからの産婦人科医は,新たに,妊婦や母と子の身体の健康の管理だけではなく,親の子育ての意義を教え,妊婦の時代の心のケアまで行うことの必要性と意義をのべる.

1.先端医療の高額な治療費

 最先端の様々な研究の成果から,例えばゲノム情報から病気関連遺伝子を標的とするエビデンスに基づく創薬や,免疫チェックポイント阻害を用いた創薬の分野で,新しい抗がん剤が開発されると,安全試験をはじめ,最終的には臨床治験を無事に済ませて初めて,保険収載申請が始まる.
 その薬価は,それまでの研究開発費,臨床治験費用等を考慮して,原価積み上げ方式で計算し,患者の推計数を勘案して,薬価が決まることから,法外に高額になることがある.その代表的な例が,がん治療薬『オプシーボ』である.この薬品は,本庄佑教授の研究成果に基づいて開発された免疫チェックポイント阻害剤の一つである.日本で承認が下りた当初,患者数の少ない悪性黒色腫での申請であり,上記方式で薬価が算定された結果,100 ㎎で約73 万円とされた.これは患者1 人当たり年間約3 , 500 万円となる.患者にとっては,高額療養費制度によって負担は月々10 万円以内で済むが,それを超える分が当然保険財政を圧迫することになる.その後,適応が拡大して販売額が増えたことで,特例市場拡大再算定の対象となり,17 年2 月から50%引き下げられた.
 日本の国民医療費は年間約40 兆円に達しており,年々増加している.このうち薬剤費の比率は2 割ほどである.
 少子化が進み生産人口の減少が顕著になる日本では,税収は落ち込み,増える医療費を賄える財源はない.消費税の10 %への増税ですら,国の経済の冷え込みを恐れて延期されたり,予定どおり増税してもその使用目的を教育資金とするなど,本来の,年金,医療,福祉への財源には,向けられないことは,税の再分配機能への無配慮に他ならない.このため,再生医療をはじめ,新しい診断技術,検査薬,治療方法,治療薬等の医療費が高額となるために,保険収載が不可能となり,民間保険の対象となり,一般の診療に用いられることができず,海外の富裕層だけが恩恵を被る医療になることをいかに防ぐかが今後の大きな課題である.

2.少子高齢化が進む中での新たな産婦人科医の役割

 国立社会保障・人口問題研究所の推計によれば,2010 年には約1 億2 , 800 万人だった日本の人口は,2030 年には1 億1 , 600 万人あまりに減少する.人口推移のうち,経済・労働面で問題となる「生産年齢人口(15~64 歳の人口)」は,2010 年には8 , 000万人以上(生産年齢人口率:63 . 8%)であったが,2030 年に6 , 700 万人(58 . 1%)ほどに下がり,人口の減少以上に,生産年齢人口が大幅に減る.これに伴い,老年人口指数((老年人口/ 生産年齢人口)×100)36 . 1(2010 年)から54 . 4(2030 年)に上がる.別の表現をすれば,2010 年には生産年齢人口約2 . 8 人で高齢者1 人を扶養する計算だが,2030 年には約1 . 8 人で1 人を扶養することになる.
 このような労働力人口の減少に対して,少子化対策,女性の活用,高齢者の活用,そして外国からの移民の受け入れが,現実的な方策になっている.
 このような具体的な課題に対して,産婦人科医は,先ず,働く女性のtolal healthcare を担う必要がある.次いで,女性のlife cycle の中で,女性が妊娠し,出産を迎え,子育てにエネルギーを集中する2~3 年間は,妊婦と母親の身体的健康の維持に専心するだけでなく,子供の健康な脳の発育にとって,母,父は無論のこと,第三者の養育者でもいいから,親身にケアする大人の存在が,最も重要であることを認識して子供を育てることを,妊婦に指導し,心の悩みがあれば,メンタルヘルスケアも,担当できるまでに切磋琢磨することが求められる.そして,高齢女性の健康寿命を延ばすために,女性泌尿器科の診療内容に積極的な参入が必要な時代となった.

(1)現代社会の病理

 日本の子供たちの世界では,登校拒否,引きこもり,いじめ,いじめられ,DV,虐待,非行,家出等々が,年々増加している.その原因をたどれば,基本的には母親・父親と子供との関係性障害に行き着く.さらに,その理由には,母親の愛着障害,うつ病,精神疾患等心の問題が存在することが多く,これこそ,現代社会の病理であり,母親の心の障害,そして,親子の関係性障害を,我々の手で早期に発見し,精神科医,小児精神保健医さらに,保健師,心理士,そして行政の担当者も含めたチームで協力して,治療に当たっていくことが求められる.
 家庭内に安心・安定した心の砦を持てない幼児・学童たちは,家庭や学校での日常から容易に逃避し,圧倒的に刺激的な,スマホ,タブレットでのSNS,LINE,Facebook,インスタグラムを介した友達や,全くの他人とのcommunication をもち,さらに,ゲームや漫画,動画に没頭することになる.
 今日のインターネット社会でも,母・父と子の健全な関係性を持つことが,スマホを介したさまざまな誘惑があっても,子供たちにとって,心身の発育,特に脳の発育に不可欠である.

(2)産婦人科医や助産師等が,母となる妊婦に伝えておくべきこと

1 )人間の基本的あり方

 ICT やAI 社会が広がる,この世界の潮流を止めることはできない.どのような社会になっても,人間社会は,人と人との関係性によって成り立っていることそして,人間の基本的あり方は,変わらないことを,妊婦や母は再認識すべきであり,そして,わが子にも伝えていかねばならない.
 例えば,「人間は母子関係から始まり,人と人とが直接接して会話をすることを通し,人間との関係を身に付けることで,生存を成立させている生物です.自分以外の何者かを尊敬するという姿勢を保っていることによって,社会を作り上げてきたのです.」と小説家司馬遼太郎は述べている.
 『甘えの構造』の著者であり精神科の医師である土居健郎は,「人間の行為の良いこと,又は悪いことと見なすことは,良心の問題であり,子どもの時から,“人間は良心に従わなくてはいけない”と,教育の現場で教えなければならないのですが,今の教師は,教えません.子供が殺された事件の新聞記事には,“人の命は尊いものです”とは表現されていても,“子供を殺すことは,悪いことであり,怖いことである”と自信をもって,教師は教えるべきなのです.」と述べているが,基本的には,学校で学ぶだけではなく,母と父が,直接子供に,怖いこと,悪いことは,どのようなことであるかを,その都度,何度も教えていかねばならない.
 「親子が共にテレビを見る一家団欒の時に,おかしい時に共に笑い,うれしいこと,素晴らしいことに共に感動し,悲しいことで共に涙すること等の気持ちを親子で共有する機会は,今日では,無くなりました.」とは,脚本家倉本聰の言葉である.
 子供たちは,人としての基本として身に付けるべき感じ方,考え方を,母親・父親から,学ばねばならないことを,我々は妊婦に,そして,乳幼児の母に伝えて,教えていかねばならない.

2 )養育姿勢の世代間伝達

 女性にとって,妊娠・出産・育児は,女性にしかできないことであり,母親が愛情をもって,自分の手で子供を育てることは,子供の脳の発育に基本的に重要なことであることを,妊婦は,まず理解しなければならない.
 女性は,妊娠すると,自分に宿っている胎児のことを考える時は,自分が両親特に母親からどのように愛され育てられたかを振り返る機会になる.
 両親の別離や両親からの少女期の否定的養育や虐待された経験のある妊婦は,自分が妊娠した時,親としてのモデルが描けないし,親としての役割意識を築くことができない.その結果,自分が経験したように,自分の子供につらく当たることになりがちであり,そのような親には専門的な支援が必要となる.このことを,養育姿勢の世代間伝達という.
 このように,自分の子供の時に,母子関係に問題があった妊婦は,子育ての時はハイリスクマザーとなる可能性があり,心のケア担当助産師を中心としたチームで,ケアが必要となる.

3 )子供の脳の発達は,母親の育児ケアに依存している

 生まれたばかりの人の子供は,哺乳動物と異なり,泣いて,手足,すべてを母親に依存している存在である.母乳をもらい,空腹感を満たし静かに寝る赤ん坊は,その瞬間瞬間に,脳の神経回路が作り上げられていく.
 言い換えれば,出生後の子供の脳の構造上,機能上の発達は,子供と両親あるいは地域の養育者との間で,大人が愛情を持って子供を世話し,育てることと,それに対して,子供が反応することの相互作用,言い換えれば「母と子のサーブアンドリターン」で出来上がっていくことを,脳の生理学の研究は明らかにしている.したがって,子供の脳の発育は,将来の学習,行動など,健全な子供の心身の発育の基礎となるものである.
 具体的には,脳の基本的機能は生後5 歳までに出来上がるわけで,脳科学の研究によれば,新生児の発育する脳のシナプス形成には,時間差があり,出生直後では,感覚的,社会的,感情的経験により,基本的な見る・聞く神経回路が生後2~3 カ月でピークとなり4~5 歳まで続く.言葉を理解し,話すシナプスの形成は,7~8 カ月にピークとなり,4~5 歳まで続く.さらに高次認知機能の形成には,様々な経験が必要になるが,1~2 歳でピークとなり,10 歳まで続くことが明らかとなっている.
 胎児と子供は,妊娠中も,出産後も,心身共に母に依存している存在であり一対であり,母親は,母と子は対の関係にあることを自覚する必要がある.したがって,母が子の身近で寄り添って育てることの真の意味は,子の心のオアシスとして,どんな時も,守り,励まし,認めてやることにより,子供の脳の発育は,順調に進み,さらに学童期以降の発育過程で必ず遭遇する試練,困難,悲しみを乗り越える力(Resilience)を身につけ,心身ともに健全な自立した大人に育つための基本行為なのである.

4 )Resilience(回復力,復元力)の意義を知ること

 この考え方は,Harvard Univ. Center on the developing child のProf. Jack Shonkoffのグループが発育する子供の脳の科学を研究した結果から,導き出したものである
 乳幼児・児童虐待など,耐えがたい苦難を受ける子供たちの脳は,明らかに障害を受け,健康な脳の発育に悪影響を及ぼしている.しかし,世の中には,すべての子供たちが子供の時のつらい苦しい経験の結果として,脳の障害を残し,社会に不適応の人生を送ることで,国の援助を受け続けているわけではない.事実,子供の資質と親または第三者の大人の愛情をもった育児と,真剣な支えがあれば,子供が,きわめて厳しい困難に遭遇しても,回復力(Resilience)や,適応力を発揮するものである.
 そのような,人生の困難を乗り越える力を身に付けさせてやることが親の大事な役割である.このResilience を獲得するための,子供にとっての唯一の要件は,少なくとも,愛情を持って養育する両親あるいは養育者との安定した確固とした関係を持っていることである.
 このような関係があれば,子供たちは健全な発育を壊すようなストレスに遭遇しても,親は緩衝地帯となり,その庇護の下で,子供の個人的な反応やその足場を作ることができるようになる.さらに,困難に遭遇しても上手に適応して乗り切るために必要な計画性,観察,そして行動を自制する能力を形成することができるようになる.
 一方,厳しい困難に遭遇しても,上手に乗り切る子供は,生まれつき逆境に強い性質と家族や地域に重要な大人との強い関係性がある場合であり,このように,Resilience は生まれつきの素質と社会における経験との力強い相互作用の結果,獲得することができる.

5 )母と子の関係性と愛着

 人間の精神生活の神髄とは,関係性である.人は生まれてから死ぬまで,誰か,あるいは何かとの関係の中で生きている.乳幼児の問題は,乳幼児と養育環境の関係性の障害であり,乳幼児の要因,環境の要因の相互作用には,母子,家族,社会との様々な異なるレベルがあり複雑な関係性が存在するが,その中で,最も需要なものは,母と子の関係性である.母親~乳幼児対が発達の基本単位として一生の関係性の土台となる.
 したがって,乳幼児の問題は,母・乳幼児対と養育環境の関係性障害である.母親の感じる心は,様々な想いでいっぱいであり,目の前の自分の赤ちゃんへの思いだけでなく,自分の子供の時からイメージしてきた赤ん坊の存在もあり,さらに,自分は母親から,いかに育てられたかの想いも強い.
 特に,自分の母親が,夫婦間の争い,トラブルや,嫁姑との葛藤で苦しんでいた場合は,母親の愚痴が子供に向かい,子供に甘えることとなる.その結果,本来子供が甘える対象である母親に甘えられた子供は,甘えることを知らない子供として育っていくために,大人になって,夫に対しても,自分の子供に対しても,対人関係で悩むことになる.
 また,子供の時に親から虐待や,ネグレクトされて成人した若者は,大人になり結婚し子供ができても,自分の子供の時の体験と同じことを,自分の子供に対しても行う世代間伝達が起こる.
 現代社会では,マスメディア,インターネット,スマホ等のIT 機器を介しての情報の伝達と,情報過多のなかで,家族間で感動や悲しみを共有することがなくなり,人と人との人間的交流が難しくなっている.その結果,家族のUnity が壊れる時代にあって,母親は乳幼児に甘えるような本来の姿と逆の現象が起こり,子供に大きな心の負担を作る時代になった.
 愛着(attachment)とは,具体的には,母親が泣いている子供をしっかり抱きしめる感情であり,子供が母親に甘える姿である.愛着の形成は,母親にとって極めて大事な資質となるが,乳幼児は母親からの愛着経験を積み重ねることにより,乳児の心には,好き,嫌い,うれしい,悲しい,楽しい,寂しい等の感情とそのコントロールが発達し,人としての健全な心のあり方の基本を身に付けていく.

3.おわりに

 ICT とAI の社会への浸透は,第4 次産業革命と言われ,未知の社会の到来をもたらした.一方,健全な人間関係を身に付けるべき子供は,スマホの存在の結果,親子,男女,他者との関係性を学ぶ機会を失いつつある.
 その結果,結婚もせず,子供を育てる家庭も持たない人間の社会になり,日本民族は絶滅危惧種に指定される可能性が出てきた.一方,たまたま子供の親になることはできても,妊婦と母親の自分自身の孤独,そして,健全な対人関係を作ることができない結果,心の病になる人間が増加することが危惧される.それだけに,近未来の社会において,これからの産婦人科医師は,女性や妊産婦の身体的異常だけでなく,心のケアを行える医師になるように,新たな役割を理解して実践していただきたい.