診察室で転倒し骨折後,人工関節置換術の手術中に死亡した事例 〈T 地裁 2004 年3月〉
1.事案の概要
79 歳の女性.総合病院泌尿器科を受診時,患者呼び出し用のマイクのコード(コード全長にわたりガムテープで固定,高さは1㎝弱)につまずき転倒し骨折,同病院整形外科で骨接合術(第一手術)を受けた.術後のリハビリ中に再骨折を起こし,人工骨頭置換術(第二手術)で骨セメントの使用直後に心肺停止となり,集中治療室に移されたが死亡した.直接の死因は急性循環不全と診断された.
2.紛争経過と裁判所の判断
患者は高齢であり,骨粗鬆症があった.コードと転倒・骨折に因果関係があると認定された.第二骨折の原因も高度の骨粗鬆症によるものと考えられるが,第一骨折が無ければリハビリ訓練をすることも無かったので因果関係有りと認定された.
第一手術後のリハビリ訓練計画の進め方,理学療法士の介助の仕方,第二手術および骨セメントの危険性(0.01%)の説明,心肺停止後の処置については妥当であると判断されたが,コードの設置,保存には瑕疵があると判定された.医師・看護師はコードにつまずかないよう注意を促していないことも指摘された.4,840万円の請求に対して過失相殺4割とされ1,665万円の支払いが命じられた.
3.臨床的問題点
医学的問題での瑕疵は認められていない.本事例は直接産婦人科医療には関係ないように思われるが,産婦人科でも入口のドア,待合室の椅子(動きやすいものは要注意),テレビなどの電気製品,暖房機器,診察室の机,椅子,検査機器について十分な配慮が必要である.自動的に股関節を開く内診台でも股関節を痛めることがある.内診台を下げる時は一緒に来た子どもが何処にいるかにも注意が必要である.また内診台が下がりきらないうちに降りる女性も多いので最後まで目を離さないことも肝要である.
日医賠償保険は,いわゆる医療事故に対する補償であり,施設事故に対応していないことも知っておく必要がある.
4.法的視点
医療機関での施設事故を完全に防止することは不可能と思われるが,本事例のように法的責任を問われないためには何が必要か?張り紙?声かけ?
本件のような転倒事故のほか,医療機関では,ベッドや窓などからの転落,入浴中の溺死,誤嚥,褥瘡管理,院内感染,治療中の自殺など,患者の管理や施設管理に伴う事故は多岐にわたる.いずれも,医療機関の法的責任の有無は,予見義務に裏付けられた予見可能性を前提とした結果回避義務に反しているかにより判断される.
例えば転倒事例であれば,転倒リスクが高い患者であることを認識してトイレ介助が必要と判断していたにもかかわらず,患者が介助を断ったために介助せず転倒して骨折した事例では,医療機関の責任が認められている.他方,入院中の日常独力歩行に支障がなかったが夜間に転倒し骨折した事例では,夜間に独力で歩行することの困難性を具体的に予測することはできず観察義務はなかったとして,医療機関の責任は否定されている.
このように,医療機関内で何らかの事故が発生したというだけで直ちに管理体制が不十分であったとされるわけではなく,具体的に,事故発生が予見でき事故発生を回避できたにもかかわらず適切な措置をとらなかった場合には,責任が問われることとなる.
したがって,例えば本件事例であれば,多数の患者が往来する外来でマイクのコードにつまずくリスクは予見できたと考えられ,そもそも長いコードを設置すべきではなかった.コードを設置せざるを得ない場合であっても,つまずくのを防ぐような何らかの有効な注意喚起の方法(例えばカラーコーンや案内板での警告,目立つ色付きのテープで固定,声掛けなど)をとっていた場合には,医療機関側の過失が否定されたものと思われる.