陣痛促進時の胎児機能不全に対して損害賠償が認められた事例 〈H 地裁 2016 年8月〉
1.事案の概要
原告(妊娠 40週)は,2008年6月,9時30分に陣痛発来のため被告A医院に入院した.その後,原告が強い痛みを訴え,分娩の進行も不良だったため,21時20分に硬膜外麻酔を実施.21時30分にオキシトシンによる分娩促進が開始された.オキシトシンは2.5mU/分で開始され,30分ごとに2.5mU/分を増量した.翌1時30分頃より胎児心拍数が低下してきたため,酸素投与が開始されたが4時に中止された.4時46分頃からは高度遅発一過性徐脈が反復し,7時16分頃に基線細変動が減少した.7時23分頃から高度変動一過性徐脈が発生する状態であった.高次施設への母体搬送を考慮したが,帝王切開に1時間以上を要するため分娩進行を期待して経過観察を継続し,8時3分に経腟分娩に至った.
児には,重症新生児仮死があり,気管挿管などの蘇生処置が施された.その後,保育器に収容し観察を続けたが,38 度台の発熱・呻吟・痙攣様の体動が持続したため,16時頃に高次施設へ新生児搬送した.搬送先では低体温療法などが実施されたが,その後,低酸素性虚血性脳障害による脳性麻痺と診断され,体幹機能障害1級の身体 障害者と認定された.
2.紛争経過および裁判所の判断
出生児とその父母が,陣痛促進薬を慎重に投与すること,胎児の状態を改善して急速遂娩を実施すること,児の出生後に脳保護療法を行って高次医療機関に搬送することを怠ったとの注意義務違反があるとして,児に対する損害賠償金1億4,000万円,父母に対する慰謝料各550万円を求めた.
裁判所は,次のように判示して,児に1億4,000万円,父母に慰謝料各165万円の損害賠償を認めた.
オキシトシンの添付文書において,2mU/分以下から開始し,30分以上経過を観察し1~2mU/分の範囲で増量することが記載されており,本事例は初期投与量および増量時の点滴速度において基準を逸脱しており,被告に過失がある.また,原告の胎児心拍数波形では,遅くとも4時45分頃の時点では既にレベル4の状態にあり,それ以前からレベル3ないしレベル4の波形が観察されている.遅くとも4時46分頃までには急速遂娩(緊急帝王切開)の準備に着手すべきで,かつ,レベル4が続いていて胎児心拍数波形がレベル5に至った5時30分頃においては,速やかに緊急帝王切開を実施すべきであった.さらに,出生前の低酸素状態よる新生児仮死の状態で児は出生しており,新生児管理を行うために速やかに高次施設に搬送されるべきであった.
3.臨床的問題点
硬膜外麻酔下では分娩が遷延することが多い.本事例では硬膜外麻酔開始後に分娩促進が行われ,添付文書の記載を逸脱した過剰なオキシトシン投与が行われていた. どの薬剤でも添付文書の用法・用量の遵守が基本的に必要である.出生した児に関しても,新生児蘇生が必要となるような場合は,状態が安定したとしても脳低体温療法 を含めた新生児集中治療の可能性を考慮して,高次施設での管理を考慮する必要がある.分娩中は適正に胎児心拍数波形を評価し,少なくともレベル4以上の場合には, 産婦人科診療ガイドライン産科編2020の記載に沿って,急速遂娩の準備を開始しなければならない.
本件の医師は,無痛も用い,経腟分娩にこだわっていた様子が窺える.おそらく人員的にも緊急の帝王切開をすることは不可能だったと考えられ,このようなジレンマを抱いている一次施設は少なくないと思われる.例えば東京都区内ではネットワークがあるものの東京近県でも搬送先が見つからないこともあるなど,地方行政の協力なくして速やかな搬送の実現が困難な現状もあるため,各地域の具体的状況に応じた搬送要請の判断が必要である.
4.法的視点
本件では,当時の医療水準に照らし,陣痛促進薬を慎重に投与すべき義務,急速遂娩を実施すべき義務,出生後速やかに高次医療機関に搬送すべき義務のいずれについても過失があると判断された.
一般に,診療当時のガイドラインなどに従わず,医療事故が発生した場合には,ガイドラインなどの記載に従わなかったことにつき特段の合理的理由がない限り,当該医師の過失が推定される.すなわち,ガイドラインなどの記載に従った医療行為を行わない場合には,その合理的な理由がなければ過失が認められる可能性が高くなる. したがって,今後,本件類似の事例が発生した場合には,産婦人科診療ガイドライン産科編2020の記載に従っているかどうかが,過失の有無にかかる重要な判断要素となり得ることに留意されたい.