(1)産婦人科ロボット手術の未来(万代昌紀)

ポスト ダヴィンチ?産婦人科ロボット手術の近未来

 先月,受けた健康診断の血液検査で遺伝子検索をした30 , 000 個の細胞の中から数個の癌細胞がみつかった.どうやら子宮由来らしい,といわれて慌てて会社の近くのラボで画像検査をしたら,やはり子宮の体部に小さな影があった.忙しさにかまけて昨年は健診を受けなかったのが悔やまれる.幸い,まだ初期らしく,転移はなさそうだ.紹介してもらった産婦人科の個人開業医師をネットで予約する.予約時間に自宅のコンピューターでアクセスすると画面の向こうに医師が現れる.A 医師,40 代男性.話しやすそうな,ちょっと好みのタイプ.血液検査と画像のデータはすでに直接,先方に送られているので,彼はそれをみながら,丁寧に説明をしてくれる.この大きさであれば子宮を残したままの手術が可能だろうと思うが,一部,筋層を侵しており,高度な技術が必要だ.いくつか選択肢を挙げてもらい,またまたネットをみながら,手術を受ける病院を探す.5 年ほど前まではまだ,おなかを切って手術をすることもあったらしいが,さすがに今は,婦人科の手術はすべてロボットによって行われているようだ.日本で使われているロボットは国産,外国製含めてざっと20 種類.各病院を比較しながら良さそうなところを探す.幸い,比較的近所のK 大学病院に最新のロボットがあることが分かった.婦人科手術にも向いている機種らしい.ちょっとお値段が高いのが難だが,命にかかわることなので,今年,予定していた自動運転車の買い替えを1 年,延ばすことにする.ネットでロボット手術の予約を押さえると,今度は術者を選ばないといけない.K 大病院では女医のS 先生の手術成績がよく,人気らしい.早速,S 先生に予約を入れると即座に手術チームを組んでくれた.「画像ガイド下」の手術になるので,その専門のT 大学のM 先生にも加わってもらうことになった.
 いよいよ手術当日,初めて病院に向かう.昔の病院らしさはなく,一見,商社のオフィスのようだ.案内された手術室でスタッフから簡単なチェックを受けたあと,主治医のY 先生と話をする.まだ,若い3 年目の先生だ.術者のS 先生は病院ではなく自宅から遠隔手術をするようで,いつものように朝のジョギングと筋トレを済ませて自宅のコンソールの前でスタンバイしているらしい.画面でみるとS 先生はタンクトップにトレーニングパンツといういで立ちで精悍な印象が頼もしい.一方,400 キロ離れたT 大学のM 先生もこちらは大学の自分のオフィスで待機している.手術室には私を手術してくれる国産ロボットJM- 200 をはじめ,様々な機器がずらりと並んでいる.Y 先生の指示でベッドに横になると,麻酔科のN 先生が「すぐに眠くなりますよ」とにこにこ声をかけてくれるので安心する,といっても麻酔も大部分はロボットが受け持つらしいが….いわれたとおり,だんだん眠くなってきた.事前の説明によると,おへそと腟から入れたロボットアームを2 人の先生がそれぞれ遠隔操作して,癌のある場所を画面に映しながら正確に切り取るそうだ.リンパ節も2 つ,あやしいのがあるが,これは今の技術では取ってみないと転移かどうか分からないらしいので,これも摘出して手術中に迅速DNA 診断してもらうことになっている.後はもう,運を天に,というかロボットに任せるのみだ.
 そして…結果がでる日,予約時間に彼氏とともにダイニングルームのコンピューターの前に座る.S 先生は相変わらず自宅.病院は嫌いなようだ.癌はきれいに切り取った.術中の検査でリンパ節に癌細胞の転移はなかった.術後2 週間の血液検査では10 万個の細胞中に癌細胞はゼロ,5 年間で再発する可能性は0 . 35 %と病院のコンピューターがはじき出した.万一,再発したら,あきらめて子宮移植ね,とS 先生は豪快に笑う.まあ,検診だけはきちんと受けよう,といっても,無痛の採血針で血を一滴取って送るだけなのだが.

 10 年後の癌診療を想像すると,こんな感じか? いや,もしかしたら,もっと進んでいるかもしれない.少なくともこの想像は決してありえない空想ではない.血中の癌細胞を検出するリキッドバイオプシー,AI による遺伝子診断,ロボットを用いた遠隔手術,ネットを通じた遠隔診療,などは,今,まさに医療の最前線に躍り出ようとしている技術であり,実用化が目の前に迫っているものばかりなのだから.
 手術ロボットの歴史は1950 年代に人類が遠隔操作による宇宙や海底の探査を試みたことに始まる.機器を用いた遠隔操作による手術システムの開発は戦場における負傷兵の治療を目的に軍学共同で進められ,やがてその技術は民生転用され,90 年代半ばには臨床応用可能な低侵襲手術ロボットにまで進化した.da Vinci® の初代機が発売されたのが2000 年で現在のXi で4 代目となるが,同機が導入された病院では子宮癌手術の大半がロボットで行われており,欧米では子宮癌手術の標準技術の1 つとして定着しつつある.
 米国婦人科腫瘍学会(SGO)のアンケート調査では,現在,米国の婦人科腫瘍医の97%がロボット手術を行っており,多くのロボット手術医育成プログラムが稼働している.かつてはロボットの欠点といわれた,費用・手術時間も最近のレビューでは腹腔鏡よりも優位であるというデータさえ出つつある.多くの医師がロボット手術に参入し経験を積むことで,欠点が克服され優位性が鮮明になりつつあるのが欧米諸国の現状である.振り返ってわが国の事情をみるとまだ,ロボット手術医育成プログラムの稼働は一部の診療科に限られる.日本の婦人科腫瘍医は,腹腔鏡に続いてロボットでも周回遅れを走るのだろうか? それでも明るい兆しもある.現在,少なくとも2 つの国産手術支援ロボット開発プロジェクトが進んでおり,5 年以内により安価で高性能の日本人向きの手術ロボットが市場に投入される可能性が高まっている.多くの産婦人科医が身近なものとしてロボット手術を行えるようになれば,日本においても急速にこの技術が広まり標準技術となる可能性を秘めている.