(3)医療現場で人工知能がヒトに変わる?(澤 智博)
医療におけるIT の近未来活用
電子カルテの近未来は期待できるのか?
電子カルテやオーダリングシステムは普及が進み,診療においてPC を使用することは日常風景といってよいであろう.また,ビッグデータ,IoT(Internet of Things),AI (Artificial Intelligence)といった最新IT によって,スマホを用いた音声による応答や自動車の自動運転が可能になったり,囲碁でプロ棋士に勝利することができるようになったりと,IT の進歩は非常に大きなものがある.さて,世間で注目を浴びるこれら最新IT の活用と電子カルテなどの医療現場でのIT 活用とは同列に論ずることはできるのだろうか.決して便利になったとはいい難い病院情報システムに未来はあるのか.本稿で論じてみたい.
電子カルテ製品の現在とあるべき姿
診療ではコンピュータを使用するが,日常生活でスマートフォンを使用するようには驚きも便利さもない.それはなぜであろうか.病院情報システムでは最先端のITが十分に活用されていないことに起因している.日本の電子カルテ製品の多くは,医事会計システムと会計補助を目的としたオーダリングシステムにその起源をもつ.このため機能の中心は,伝票のやり取りの電子化にとどまってることが多い.コンピュータの基本的な機能を,データの蓄積,通信,(画像・音声などの)入出力,処理,に大きく分けて考えると,日本製の病院情報システムではデータの処理,例えば,人工知能に必要とされるような高度なアルゴリズムを適用するなどの機能が十分ではないことに課題がある.現在の病院情報システム製品の延長上にはワープロがかつてたどったような単なる事務用品としてのコモディティ化が待ち受けているであろう.病院情報システムが診察机に備えつけられた事務用品となるのか,医学・医療の発展に寄与するイノベーションに不可欠な存在となるのか,日本の電子カルテ製品はその岐路に立たされているといえよう.
IT 活用により医学・医療を発展させるには
医学・医療をIT の活用により発展させるためには,データ,テクノロジー,サイエンスの3 つの軸でとらえていくことが必要と考えている.「データ」については,量(Volume),種類(Variety),速度(Velocity),つまり,ビッグデータ分野で重視されるこれらのV について着目しながらデータの扱いを考える必要がある.「テクノロジー」については,ハードウエア,ソフトウエア,データベースなどのミドルウエアの技術進歩を最大限に活かして適用することが不可欠である.極論するとテクノロジーは,購入するなどして「他から入手」できる製品を活用することと理解してよい.最新のテクノロジーをいち早く入手し使いこなすことは重要である.「サイエンス」は,アルゴリズムや数理モデルなど,それらを活用するには,他から入手することは困難で,自らがプログラミングなどの手段によって実装する必要があるものを指す.日本の医療のIT 化において最も必要とされる要素である.
IT の活用が期待される3 つの領域
これまでの医学・医療は,医療機器や薬剤などの新技術や新製品にその発展を支えられてきた.一方で,IT は業務上の課題を解決してはいても医学・医療の本質的な発展に寄与してきたとはいい難い.しかし,これから紹介する3 つの領域において,それらの発展にはIT の活用が不可欠であると考えられている.
1 つ目の領域は,ゲノム医療の領域である.Precision‥Medicine(精密医療)のキーワードに代表され,近年の発達が目覚ましい.図50 に示したように,今日の医療機器,例えば,心電図やX 線画像に示される結果は,人間が目でみて判断することが前提となっており,それら検査の対象は臓器や組織である.次世代シークエンサーやゲノムワイド関連解析などのゲノムレベルの検査では細胞や分子が対象となり,検査結果についてもコンピュータがデータ処理・解析した後に人間が視認しやすい形で提示されることになる.複数のゲノムデータとフェノタイプデータを組み合わせたり判断したりする際にも機械学習や人工知能の支援が不可欠である.従来,1 つの疾患として分類されていたものが,予後や治療への反応に応じて再分類されることで疾患分類の再構築がなされ,より効果的・効率的な診療がなされることが期待されている.
2つ目の領域は,生活圏でのIT活用である.従来からライフデータやPHR(PersonalHealth Records)といった生活圏での患者データの活用が期待されていた.近年になり,IoT(Internet of Things),つまり,人間が操作するPC を通じてデータ通信するのではなく,モノからダイレクトにデータの送受信や処理がなされる技術が発達してきている.また,クラウドシステム上にもIoT を対象としたサービスが提供され,機械学習・人工知能もIoT データの処理を対象として日々新たな技術が開発されてきている.これにより家庭向け健康機器類は場所や時間を問わず人手を介さずに連携できることとなり健康機器は新たな価値を生み出しつつある.早期退院や複数施設での連携ケアが主流である現在の医療においては,IoT 技術と生活圏のデータを活用することで医療の質を担保した状態でケアの場を移動することが可能となるであろう.
3 つ目の領域は, 医療の現場, つまり, 医療施設におけるIT 活用である.Learning Healthcare System は,医療情報システムを活用することで,日々の診療活動をすべてデータ化し,それらデータからエビデンスや新知見を抽出し,医療安全やイノベーションを導くという概念である.医療の実践は,つまるところ,良い結果,普通の結果,悪い結果に分類される.個々の医療実践のデータを基に良い医療実践のエッセンスを抽出し,それをシステムとして実装する.また,悪い医療実践においてはその再発防止策をシステム化する.このことで良い医療実践はより効率的に多くの医療現場で実践されることになり,悪い医療実践はどの医療現場でも発生することがないようなシステムを構築する.ここに医療情報システムの真の活用法がある.
近未来のIT 活用には医師の参加が不可欠
数年前に大きな注目を集めた「データサイエンス」を覚えておられるだろうか.主にビッグデータを対象として数学・統計学を駆使してデータ解析し,新たな知見や成果を得ることを目的とする領域である.データサイエンスには,3 つの要素が必要といわれている.それは,数学・統計学の知識,プログラミングの技能,そして対象分野の業務知識である.医療情報における「対象分野の業務知識」とは,医学・医療の知識のことである.このとき,数学者やプログラマが医学・医療の知識を獲得するのが効率的なのか,あるいは,医療者が数学やプログラミング技術を獲得するのが効率的か,という議論になる.かつて,医師が分子生物学の技術を獲得し医療を大きく進歩させてきたように,プログラミング技術を身に着けた医師が新たな医療を切り拓くことが期待される.米国では2013 年より医療情報学の専門医制度が確立している.わが国でも社会医学系専門医制度が確立され,医療情報学の専門分化が期待されるところである.
近い将来には,IT スキルを武器とする若い産婦人科医が一定の割合で存在するようになり,基礎や臨床領域と連携しながら産婦人科学を推進していくことを期待したい.