1.生化学的妊娠(Biochemical pregnancy)の扱い方

(1)生化学的妊娠(biochemical pregnancy)とは

○わが国では化学妊娠(chemical pregnancy),化学流産(chemical abortion)とも呼ばれる.
○尿中あるいは血液中にヒト絨毛性ゴナドトロピン(hCG:human chorionic gonadotropin)が一時的に検出された後で,臨床的妊娠の超音波検査で胎囊を認める段階には至らず,妊娠が終結してhCG が陰性化する状況と定義される.
○妊娠検査薬測定キットによる尿中hCG の測定感度の上昇や,不妊治療の普及に伴う妊娠早期のhCG 検出機会の増加により,従来は認識されていなかったごく初期の妊娠が生化学的妊娠として確認されることも多くなった.
○何の異常もない若く健康なカップルでも30~40%に起こる頻度の高い現象である.
○ただちに病的な状態と捉えて原因精査や治療行う必要性は低い.

(2)診断上の注意点(図20)

○妊娠反応が陽性で,最終月経や排卵日あるいは体外受精における胚移植日の情報から推定される妊娠週数が妊娠5 週以上であるにも関わらず,子宮内に胎囊が確認できない場合は,生化学的妊娠の他に月経周期の不順による排卵日のずれ,異所性妊娠,流産による胎囊排出後,胞状奇胎を含めた絨毛性疾患などを鑑別しなければならない.
○それらの鑑別に当たってはhCG の定量検査を行い,その時間経過に伴う変化をもとに判断を行う必要がある.
○正常な妊娠経過ではhCG の血中濃度が1,000~2,000 IU/ℓ(Discriminatory zone)を超えた段階で子宮内に胎囊が確認されるとされており,そのため血中hCG の値が2,000 IU/ℓ以上を示す場合は,生化学的妊娠は否定的である.
○hCG が2,000 IU/ℓを超えておりかつ胎囊の自然排出のエピソードがなければ,異所性妊娠を念頭に置いた超音波検査等による精査が重要である.

(3)反復・習慣流産との関係,治療について

○日本における定義では,生化学的妊娠は流産の回数に含めない.
○生化学的妊娠を臨床的流産と同様の病的なものと捉えるのは,現時点で一般的とはいえない.
○米国生殖医学会(ASRM:American Society for Reproductive Medicine)も,生化学的妊娠は流産回数に含まないとしている.
○一方で,欧州ヒト生殖医学会(ESHRE:European Society of Human Reproductionand Embryology)の妊娠初期に関する研究グループ(ESHRE Special InterestGroup, Early Pregnancy)では生化学的妊娠を含めて,画像で妊娠部位を特定できないままhCG が低下する妊娠の終了(Non-Visualized pregnancy loss)についても臨床的妊娠の流産と同様に回数が増えるほど生児獲得率が低下するとしている.
○体外受精を含めた不妊症の治療において生化学的妊娠を繰り返して臨床的妊娠に至らない患者が存在するが,そうした状態が反復・習慣流産と共通した機序を有するのか,また別の病理機序を持つのかについては不明である.
○現時点では反復する生化学的妊娠の原因は解明されておらず,そのため確立した治療法はない.
○反復・習慣流産を含めて不育症の治療においては,抗リン脂質抗体症候群の患者に対して低用量アスピリン・ヘパリン併用療法が生児獲得率を高められる治療法としてコンセンサスが得られており,未分画ヘパリンの在宅自己注射が保険適用となっている.
○着床障害や生化学的妊娠を反復する患者において抗リン脂質抗体検査が陽性であったとしても,(それらは流産と数えないため)抗リン脂質抗体症候群の診断基準には合致しない.そのため,そうした患者に対して低用量アスピリン・ヘパリン療法を行う根拠は現時点では乏しい.
○これらの理由から,生化学的妊娠を反復する患者に不育症患者と同様の検査や治療を行うことは,副作用のリスク,経済的負担,自己皮下注射の心理的・身体的負担を考慮すると慎むべきであろう.
○ただし,生化学的妊娠を繰り返す患者においても精神的ストレスは高いことを考えると,不育症患者との共通点として,精神的支援(supportive care)を重視した臨床的な対応に留意することが大切である.