17.妊孕性の低下

(1)妊孕性(fertility,fecundity)とは

・ 妊孕性は生殖機能とほぼ同義とされ,男女における妊娠に必要な臓器,配偶子,機能をいう(表33).

・ 妊孕性温存には 2 種類ある.縮小手術や神経温存によって臓器,配偶子,機能の障害を軽減するものが従来の妊孕性温存(fertility sparing)であり,臓器,配偶子,精卵の凍結保存は,近年の生殖医療技術の進歩によってもたらされた新しい妊孕性温存(fertility preservation)である.
・ がん・生殖医療(oncofertility)とは,妊孕性温存そのものを意味するだけでなく,「がん患者の診断,治療および生存状態に鑑み,個々の患者の生殖能力にかかわる選択肢,意思および目標に関する問題を検討する生物医学,社会科学を橋渡しする学際的な1 つの医療分野」であり,がんサポーティブケアの領域の1 つとされている(図32).
・ こうした医療の対象となる小児・AYA 世代がん患者は,最新のがん統計によると小児(0~14 歳)で約 2,100 例,15~19 歳で約900 例,20 歳代で約4,200 例,30 歳代で約 16,300 例,全体で年間 23,500 例と推計されている.

(2)妊孕性の低下とは?

・ 卵巣中の卵子(原始卵胞)は胎児期(妊娠 5 カ月頃)をピークに減少し,閉経に至るまで増加することはないとされる.そして,卵巣の中に残っている卵子数の目安を「卵巣予備能」という.
・ 卵巣予備能には数十倍の個人差があり,これを反映して閉経年齢にも 40 歳未満から60歳まで20年以上の個人差があるとされている.加齢によって卵巣予備能は徐々に低下するが,卵巣毒性物質(シクロフォスファミドなどの抗がん薬)や放射線に曝露されると卵巣中の卵子数は一挙に 数分の1 に低下するとされる.
・ 曝露をうけた時点での卵巣予備能の個人差により,早発閉経のしやすさ(閉経までの時間)にも個人差があると考えられている(図33).

・ シクロフォスファミドなどの抗がん薬が有する卵巣毒性は,小児がん経験者の曝露内容(抗がん薬の種類と量)と卵巣機能不全の相関から疫学的に推定され,シクロフォスファミド等量(CED:cyclophosphamide equivalent dose)で表すことができる(表34).抗がん薬曝露量の総和が7.5~8.0g/m2 CED を上回ると,早発閉経のリスクが高いと考えられている.

・ 以上のように月経の有無は卵巣予備能やCED と密接な関係があるが,妊孕性は相関が低い.すなわち,男性の妊孕性は精子数と相関するが,女性の妊孕性は卵子数(早発閉経リスク)だけでは決まらないことにも留意すべきである(表35).40 歳未満で閉経したがんサバイバーでも 30 歳までの妊娠率は低下しないという報告もあるが,31 歳以上では妊娠率が低下するということなので,一般にはCED ≧ 8(思春期前),≧ 4(思春期以降)で妊孕性が低下すると考えられている.

(3)妊孕性温存療法の実際

・ 若年の女性がん患者の妊孕性温存には 表36 のような方法がある.
・ わが国では,費用や実施しやすさの観点から受精卵・卵子凍結が選択されることが多く,化学療法までの猶予が2 週間未満の場合や思春期以前の場合に卵巣組織凍結が実施されることが多い.
・ 妊孕性温存療法を実施している施設は 120 余りあり,日本産科婦人科学会のホームページ(http://www.jsog.or.jp/facility_program/search_facility.php)で検索できる.

・ 凍結卵巣には様々な利用法が想定されているが(図34),現時点で臨床応用されているのは自己移植のみである.移植後の卵巣で卵胞発育が再開し,卵巣機能が回復するには 2~9 カ月を要する.
・ 同所性移植では残存卵巣や広間膜内に組織片を移植し,異所性移植では腹直筋や前腕などに移植する.最近のレビューでは 130 例以上で生児が得られているが,同所性移植によるものがほとんどである.

・ 卵巣組織の自己移植では,移植する組織に腫瘍細胞が含まれている(MRD:minimal residual disease)可能性も指摘されている.エビデンスは未だ十分とは言えないが,これまでに再移入による再発を認めた症例は報告されておらず,悪性腫瘍の種類や進行期を考慮すれば安全に施行できる可能性が高い.凍結卵巣組織の融解・移植にあたっては,患者への十分な情報提供とともに,あらかじめ移植組織の一部を対象として,病理組織検査,免疫染色,PCR 法や次世代シークエンサーなどによる変異遺伝子の検出などで MRD の有無を評価すべきとされている.
・ 卵子・卵巣凍結より簡便な妊孕性温存療法として,化学療法に対する卵巣保護作用を期待してGnRH アナログ製剤による偽閉経療法も従来行われてきた.乳癌に対しては卵巣機能や妊孕性に有意な改善効果を認めたというメタ解析もあるが,その他の腫瘍に対しては有意な効果は得られておらず,妊孕性温存の手段として用いることは推奨されていない.

(4)わが国のがん・生殖医療の課題

・ 乳癌や子宮内膜癌などのエストロゲン依存性腫瘍に罹患した患者に対する排卵誘発では,aromatase 阻害薬であるletrozole を併用して血中エストラジオール濃度の上昇を避けることが一般的である.
・ 一方,エストロゲン非依存性腫瘍の場合は様々な排卵誘発法が施行されており,最近では月経周期に関係なく排卵誘発を開始する「ランダム・スタート法」(図35)の実施数が増えてきている.最近の報告によると,ランダム・スタート法では卵巣刺激期間が 1~2 日程度長くなり,これに伴い排卵誘発剤の投与量が増加するが,採卵数は同等と考えられる.妊娠率に関しては,不妊症症例では同等だったとの報告もあるが,通常の排卵誘発法と妊娠率を比較した報告はまだ少なく,妊孕性温存症例での報告はないのが現状である.

・ がん・生殖医療では原疾患の治療成績を悪化させないことが大前提である.最近の報告では,基準を満たした 337 例の乳癌患者において,妊孕性温存を施行した120例と妊孕性温存を施行しなかった217 例を比較したところ,再発率や生存率に有意差を認めなかった.しかしながら,がん・生殖医療としての排卵誘発・ART を施行した症例のがん治療成績に関する報告はいまだ乏しいため,適応やガイドラインを慎重に議論しながら症例を登録・追跡し,がんの予後だけでなく妊娠予後を含めた更なる解析・検証を継続していくことが不可欠である.
・ 多くの国では症例登録制度があり,患者の管理や予後調査などに生かされている.わが国では 2016 年1 月からがん登録制度が開始され,各学会では臓器別がん登録制度を運用している.日本産科婦人科学会では 2007 年から国内におけるART 全例を対象としたオンライン登録システムが構築され,2015 年からは妊孕性温存としての卵子凍結を,2017 年からは受精卵凍結を一般不妊症とは別に登録することになっている.しかしながら卵巣組織凍結と精子凍結は登録対象となっていないため,日本がん・生殖医療学会(JSFP)は日本がん・生殖医療登録システム(JOFR:japan oncofertility registry)を 2018 年に設立し,卵子・精子・受精卵・卵巣組織の凍結などの妊孕性温存治療の内容の他,カウンセリングのみを施行した患者も登録し,予後や生殖機能などを記録・追跡することとしている.また,凍結保存された卵子,精子,受精卵,卵巣組織などが長期間保存される際に所在不明とならないよう,トレーサビリティ(追跡可能性)の確保のためにも重要な制度である.