(2)医療訴訟対策

1 )応招義務

①背景

 近年,訪日外国人数が急増しており,それに伴い,外国人患者受け入れ経験の乏しい医療機関にも外国人患者が訪れるようになった.問題となるのは,わが国を訪れる外国人は,中国・香港,韓国,台湾からが約60%を占め,タイ,シンガポール,インドネシアなど,東南アジアからが約10%おり,英語を母語としない者が多数を占めている点である(「外国人患者受け入れのための医療機関向けマニュアル」平成30年度厚労科研「外国人患者の受け入れ環境整備に関する研究」研究班).
 当然のことではあるが,適切な診療を行うためには,患者の病態を正確に知ることが極めて重要である.カタコトのやり取りの結果,誤診をしてしまうと,場合によっては,患者の生命・身体を損なうこともある.医療通訳など適切な体制整備が求められるが,わが国の現状はまだ十分とはいえない.
 一方,医師には応招義務(医師法19条1項)が課せられており,正当な事由なく診療を拒否することは医師法違反となる(ただし,医師法19条1項には罰則規定はない).その結果,医師は,言語の問題で問診などが適切に行えないおそれのある患者が来院した場合,前にも後ろにも進み難い状況に陥ることとなる.

②外国人患者の診療拒否

 しばしばみられる誤解として,医師は医師法19条1項(応招義務)があるから,コミュニケーションをとることが困難な外国人患者であっても診療を断ってはならない.言い換えると,医師は,医師法19条1項によって,外国人患者診療につき,特別の負担を負っているというものがある.
 しかし,日本国憲法14条1項では,「すべて国民は,法の下に平等であって,人種,信条,性別,社会的身分または門地により,政治的,経済的又は社会的関係において,差別されない.」と示しており,また,わが国が批准している,国際人権B規約26条,人種差別撤廃条約第1条にも同様の記載がある.
 したがって,診療契約だけではなく,あらゆる私人間の契約においても,外国人であることのみを理由とする拒否は,不法行為に該当するとされている.実際の司法判断においても,外国人であることを理由に宝石店の入店を拒否した事例(静岡地判平成11年10月12日),ゴルフクラブの会員登録を拒否した事例(東京地判平成7年3月23日),入浴を拒否した事例(最判平成17年4月7日),賃貸マンションの契約を拒否した事例(京都地判平成19年10月2日)など,業種を問わず,外国人であることを理由に拒否した場合には,日本国憲法14条1項,国際人権B規約26条,人種差別撤廃条約の趣旨に照らし,不法行為に該当するとしている.
 すなわち,たとえ医師法19条1項がなかったとしても,外国人であることのみを理由として,診療を拒否した場合には,不法行為責任を負うこととなるのである.

③拒否し得る「正当な事由」

 一方,医師法19条1項は,「正当な事由」があれば,診療を拒否しても構わないとしている.前述判決も,禁止しているのは,外国人であることのみを理由に拒否することであり,個別具体的な事例において,合理的な理由がある場合には,拒否することを許容している.そして,診療を拒否し得る「正当な事由」について,厚生労働省からこれまで複数の通知がでている.医師法第十九条にいう「正当な事由」のある場合とは,「医師の不在又は病気等により事実上診療が不可能な場合に限られる」とした昭和30年通知であり,その文言の強さゆえにしばしば引用され,不要な混乱を呼んでいる.
 しかるに,厚生労働省が「事実上診療が不可能な場合」という表現で示した意図は,「社会通念上健全と認められる道徳的な判断」(昭和24年通知)と同義である.分かりやすい証左となるのが,昭和49年通知である.同通知では,「休日夜間診療所,休日夜間当番医制などの方法により地域における急患診療が確保され,かつ,地域住民に十分周知徹底されているような休日夜間診療体制が敷かれている場合において,医師が来院した患者に対し休日夜間診療所,休日夜間当番院などで診療を受けるよう指示することは,医師法第十九条第一項の規定に反しないものと解される.」としており,昭和30年通知の解釈を変更することなく,このような事実上不可能でない場合でも,正当な事由に該当するとしている.昭和30年通知に係る誤解は,自然科学である医学と人文科学である法学の言葉の用い方の相違によって生じているのである.
 ひるがえって,本稿の中心テーマである外国人患者の診療を拒否し得る正当な事由を検討するに,昭和49年通知が参考となる.すなわち同通知は,地域の救急医療体制が整備されている地域(医療機関側の要因)において,軽症患者が受診した場合に(患者側の要因),当該休日夜間当番病院などを受診するよう指示する(事後の対応)ことは,「正当な事由」に該当するとしている.
 このことは,外国人患者の受け入れにおいても同様に考えることができる.外国人患者受入れ拠点病院などの体制整備がはかられており,宿泊施設などを中心にそのことが,周知徹底されている地域において(医療機関側の要因),応急の処置が不要で,かつ,当該医療機関において意思疎通困難な外国人患者から診療を求められた場合(患者側の要因)は,当該患者に対して,理解できる言語で記載されたリーフレットなどで,外国人患者受入れ拠点病院を受診するように指示した際(事後の対応)には,診療を行わなかったとしても,「正当な事由」に該当するものと考えられるのである.そして,そのような具体的な状況においては,外国人患者であることのみを理由として,診療を拒否したのではなく,日本国憲法14条1項,国際人権B規約26条,人種差別撤廃条約の趣旨に照らしても,合理的な理由がある場合に該当すると考えられるのである.
 このように考えると,外国人患者の受入れについては,個々の医療機関の問題ではなく,地域における外国人患者受入れ体制などを整備することこそが重要だということが分かる.2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピックに向け,厚生労働省では,外国人患者受け入れに関する環境整備が急速に推し進められており,暫定的な内容ではあるが,「外国人患者の受入れのための医療機関向けマニュアル」も作成された.

2 )医療訴訟対策の注意点

①コミュニケーション

 外国人患者に対する医療訴訟対策といっても,根本となる方法論は日本人患者相手と同様となる.診療中の医師患者間の信頼関係があるか否かが紛争化に大きく寄与する点においても相違はない.
 ただ,外国人患者の場合,言語の問題でコミュニケーションをとることが容易でない場合があることから,医療通訳など体制整備が重要となる点は先に示したとおりである.さらに,口頭でのやり取りを補完するよう,多言語対応した問診票や同意説明文書など各種書式の整備も求められる.
 この点,現在厚生労働省HPより,英語,中国語,ポルトガル語,スペイン語の4言語に対応している「外国人向け多言語説明資料(https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000056789.html)」をダウンロードできるようになっており,各医療機関において参考にされたい.
 同資料では,診療科ごとの問診票や麻酔,輸血,手術,CTなど各種同意書といった診療に関する書式だけでなく,院外処方箋の説明や選定療養費制度について,高額療養費制度についてなど手続きや制度に関する書式も示されている.今後,韓国語版が追加される予定となっており,更なる充実が期待される.

②診療基本契約書

 医療訴訟対策において,もう一点,重要となるのは,診療基本契約書である.日本人患者においては,国民皆保険制度に慣れ親しんでおり,提供される診療内容についても健康保険法,保険医療機関および保健医療養担当規則などにより定められている.このことから,あえて診療基本契約書を作成する必要性に乏しい.言い換えると,法および慣習に従うという黙示の合意がなされているため,あえて書面により明確化する利点に乏しいといえる.
 しかし,医療制度は各国によってまちまちであり,外国人患者にとっては,わが国の医療制度や診療における慣習は知る由もない.それに加え,自由診療の場合には,健康保険法などの適用もないことから,黙示の合意による診療契約の基礎となる具体的内容が何もないということとなる.
 したがって,外国人患者の診療をするにあたっては,診療内容など必要事項が明記 された診療基本契約書を作成することが推奨される.

③準拠法および専属的合意管轄

 診療基本契約書に記載される条項は,大きく分けると,双方の債権債務に関する条項と債権債務が予定通り履行できない時の取扱いについての条項に分けられる.
 双方の債権債務に関する条項としては,具体的な診療行為の特定(医療機関の債務)や治療費の支払い(患者の債務)が典型である.そして,債権債務が予定通り履行できない時の取扱いについての条項で最も重要となるのが,準拠法と専属的合意管轄の定めである.
 医療過誤,すなわち医療機関の債務不履行や,治療費の未払い,すなわち患者の債務不履行があった場合,診療基本契約書に通常記載される「双方誠実に対応する」旨の条項に従い,話し合いが行われる.しかし,話し合いにて解決できない場合には,裁判所を利用することとなる.その時,重要となってくるのが,準拠法と専属的合意管轄の定めである.
 民事訴訟法11条1項は,「当事者は,第一審に限り,合意により管轄裁判所を定めることができる.」とし,同条2項は,「前項の合意は,一定の法律関係に基づく訴えに関し,かつ,書面でしなければ,その効力を生じない.」としている.
 したがって,準拠法と専属的合意管轄条項が定められた診療基本契約書を作成しなかった場合には,当該外国人患者の母国での訴訟対応を迫られる危険があることに加え,例えば,米国法が適用された場合には,懲罰的損害賠償を認められる危険すら生ずることとなる.

3 )法律上の権利放棄書の法的意味

 かつて手術同意書や入院時の誓約書などにおいて,「如何なる事態が生じても一切異議を述べない」旨の記載をし,患者・家族に署名させるという実務運用がみられた.
 これらの権利放棄書の法的位置づけについては,理由は複数あるものの,いずれの裁判例においても法的効果はないとされている.
 権利放棄書の法的効果についての判決1(静岡地判浜松支部昭和37年12月26日下級裁判所民集13巻12号2,591頁)
「然し右誓約書は単なる「例文」の類と認めるが相当であつて急迫した病苦に喘ぐ患者から斯かる誓約書を徴して自己の過失の責を免れんとするのは失当であるから法律上右誓約書に被告がその使用人である医師の過失行為に基いて負担すべき損害賠償責任までも免責するが如き効力を認めることはできない.」
 権利放棄書の法的効果についての判決2(東京高判昭和42年7月11日下級裁判所民集18巻7・8号794頁)
 「右誓約書は開胸手術を受けようとする患者が手術の直前に病院に対し,差入れたもので,たといその中に第一審被告主張の如き文書の記載があるとしても,これを以て当該手術に関する病院側の過失を予め宥恕し,或いはその過失に基く損害賠償請求権を予め放棄したものと解することは,他に特別の事情がない限り,患者に対して酷に失し衡平の原則に反すると解せられるから,第一審被告は右誓約書を理由に損害賠償の責任を免れることはできないものというべく,第一審被告の右主張はもとより失当といわなければならない.」
 そして,本問題は,平成13年に施行された消費者契約法により決着がついている.すなわち,消費者契約法上,個人開業も含む医療機関は,「事業者」であり,患者は「消費者」であると定義されており(同法2条1項,2項),医療機関と患者が締結する診療契約は,「消費者契約」に該当する(同法2条3項).
 そして,同法8条1項は,「次に掲げる消費者契約の条項は,無効とする.」と定め,「事業者の債務不履行により消費者に生じた損害を賠償する責任の全部を免除する条項」(1号(不法行為については3号)),「事業者の債務不履行(当該事業者,その代表者またはその使用する者の故意または重大な過失によるものに限る.)により消費者に生じた損害を賠償する責任の一部を免除する条項」(2号(不法行為については4号)と示されている.
 したがって,先に示したような,「如何なる事態が生じても一切異議を述べない」旨の記載は消費者契約法8条1項により無効となる.