2.精神症状の治療とケア
(1)がん患者に生じる精神症状(不安,抑うつ,せん妄)の対処方法
1 )がん患者に生じる精神症状
・ がん患者の約半数に何らかの精神症状が認められ,不安や抑うつが多い.また,手術後や終末期にはせん妄の頻度が増加し治療や安静の妨げとなる.
・ がん患者の自殺率は一般人口に比べて約 2 倍であり,日本ではがんと診断を受けて1 年以内の自殺は 24 倍にも上る.特に女性では男性に比べてうつ病,うつ状態の患者数が 1.5 倍と多く,10 代後半や 60 代以上でより多くなる.月経前症候群や更年期障害による性ホルモンの変化も抑うつや不安に影響し,患者 1 人ひとりの生活や家庭の事情などの心理社会的要因も影響する.女性がん患者にとって精神症状は頻回に認める苦痛であり,見逃さずにケアを行わねばならない.
・ 精神症状のケアにまず必要なのは,患者の訴えを受け止め,よく耳を傾け,いま目の前の患者が,なにを悩みどう苦しんでいるのかを共感的にとらえることである.精神疾患ではないレベルの正常な心理的変化であっても,苦しんでいる患者にとって必要なケアを探して実施し,心のつらさが重症で精神疾患と診断されるレベルであれば,専門家の治療につなげる判断が必要になる.
・ がん患者のうつ病に影響を与える要因(表43)は多様であり,ケアを行うにあたり何ができるかを考えるためには,多方面からの情報を基に要因を探ることが必要である.
2 )不安
・ 不安は,がんの告知や予後の宣告など,はっきりしたストレスに対して起こったり,突然,恐怖感や落ち着かなさが沸き上がったり,動悸,めまい,呼吸困難感といった身体的症状として現れることもある.また,医療者や家族への依存や怒りとして現れることもある.
・ 患者に「なにかつらいことはありませんか」とオープンクエスチョンで質問し,何らかの不安があると感じたら,共感的思考(図40)で訴えを理解し,なぜそう感じるのかを探り,その不安は理解できるものだとフィードバックする.この過程が支持的精神療法となる.そこで判明した不安の要因に合わせて,身体的な治療や生活支援の相談などのアプローチを行う.
・ 焦りや落ち着かなさが強かったり,身体化した自律神経症状が続いたりと,早期に改善が必要な場合は抗不安薬を用いる.アルプラゾラム0.4㎎錠や,やや効果が強いが肝機能への負担が少ないロラゼパム0.5㎎錠が用いられ,最初は必要時に 1 日 1~3 回程度,症状が続くなら定期投与とする.また特定の場面で不安に陥りやすいことが分かっていたら,その直前に内服して不安を予防することも有効である.
3 )抑うつ
・ 抑うつを疑ったら,① 1 日中気持ちが落ち込んで憂うつでないか,②何もやる気がしない,生活に支障があるかと質問し,当てはまるようなら抑うつを疑う.
・ 希死念慮を訴える場合も,訴えをしっかりと聴取し,なぜそのように感じるか教えてほしいという共感的態度で接する.
・ 抑うつの原因となる負担(表43)を身体治療や生活支援相談で軽減しながら,本人に指導や評価を押し付け過ぎず,支持的精神療法を続ける.
・ 薬物療法では抗うつ薬は効果が出現するまでに数週間を要するため,最少投与量から始めて漸増しながら継続し,即効性のある抗不安薬を併用する.表44 に現在用いられている代表的な抗うつ薬を示す.
・ 患者の身体状態や副作用を考慮して選択する.特に化学療法を実施中には薬物相互作用に十分注意をはらう.これまでに,抗うつ薬のパロキセチンによるCYP2D6阻害作用が,乳癌患者においてタモキシフェンの効果減弱をもたらしたことによる死亡事例が報告されている.
・ がん患者に対し「がんになったから心がつらいのは自然なこと」と考えて,うつ病を見逃さないことと,生活に支障がないレベルでうつ病の診断を満たさなくても,心のつらさに寄り添い共感的姿勢を貫いて,今できるサポートを考えることが重要である.
4 )せん妄
・ せん妄は独立した精神疾患ではなく,意識障害により脳の機能が低下して起こる多彩な精神症状の集まりである.
・ 転倒や徘徊,興奮など行動の問題が目立つせん妄は,活動型と呼ばれすぐに気付くが,低活動型と呼ばれるせん妄は,一見,不眠や抑うつのように判断され,効果的なケアができていないこともある.せん妄が続くとがん治療が停滞し,本人の意思決定も妨げられてしまう.せん妄を認めたら,原因や症状を増悪させている要因をアセスメントし,それらを取り除くことが第一の治療となる.
・ 図41 に示したように,意識,脳機能へ影響し得る身体症状はすべてせん妄の原因となり得る.薬剤ではベンゾ系睡眠薬や抗不安薬,オピオイドが原因になりやすい.脱水で意識が混濁して反応が鈍った低活動型や,肝性脳症や薬剤の影響で過剰に興奮している活動型などはイメージしやすい.それらの原因にて脳機能の認知機能が低下している状態に,がんであることの心理的ストレスや入院,術後といった環境やライフサイクルの変化が影響して,様々な混乱した言動や行動の問題がみられる.
・ がん患者では,オピオイドの使用や脳腫瘍そのものなど取り除くことが困難な原因によるせん妄が多く,終末期では意識が低下していくためほぼ全例にせん妄が起こり得る
・ せん妄による混乱,不安焦燥などの興奮を抑制するために向精神薬を正しく用いることが必要とされ,第一選択は抗精神病薬が用いられる.図42 に抗精神病薬の選択アルゴリズムを示す.薬剤選択の判断は,身体状態に対してより副作用が少ないことを優先する.最少用量を不穏時,不眠時に用い,症状が続くようなら定期投与とするが予防効果の有効性は示されていない.また,低活動性せん妄に推奨される第一選択薬は一定の見解がない.
・ せん妄の原因が脳腫瘍や脳出血などの脳器質的損傷による場合は,てんかんのリスクもあるので,てんかん閾値を下げる恐れのある抗精神病薬は避け,抗てんかん薬を用いる.しかし抗てんかん薬の副作用として意識障害が発生する場合があるので注意する.このようにせん妄への向精神薬投与は対処療法であり原因や身体状態による選択が必要で,また適応外使用であるため,家族への説明も十分に行う必要がある.
・ せん妄の治療は抗精神病薬の投与と単純に覚えていると,トータルの苦痛から鎮静が必要な時にも,抗精神病薬にこだわり不十分な鎮静に固執してしまうこともあるので注意が必要である.せん妄の治療の第一は原因の除去であり,その上で,状態に合わせた対処療法としての薬剤選択をすることが大事である.
(2)精神症状の治療とケアのまとめ
・ 薬物による対応は,患者本人が訓練したり,苦痛に耐えたりという負担を少なくし迅速な効果を得るには役立つ.しかし,心のつらさをすべて薬物でコントロールすることは困難であるだけでなく,副作用の危険もあり苦痛を増やすことにもなり得る.精神症状をどうとらえるかで同じ薬剤が有効であったり,有害であったりもする.よって,抑うつだからこの薬を使う,せん妄の時はこの不穏時指示を行う,と一問一答式のように対応してはならない.
・ 常に支持的な態度を守り,共感的思考により患者のつらさを理解しようと努め,多様な要因を整理するためには医師のみでなく,心理師,看護師,薬剤師,栄養士,作業療法士,理学療法士,ソーシャルワーカーなど多職種の専門家と意見を出し合い,今,目の前の患者に提供できるケアを考えていくことが必要である.