Overview(吉村泰典)
生殖医療の進歩には目覚ましいものがあり,生殖現象の解明のみならず,ヒトの生殖現象を操作する新しい技術も開発されている.しかし,生殖補助医療(ART;assistedreproductive technology)においては,受精・着床といった生命現象の分化メカニズムの解明を待つことなく,臨床現場の不妊症に悩む夫婦からの切実な訴えに支えられることによって,実験的医療とも考えられる数々の試みが実施されてきた.生殖医療において忘れてはならないことは,クライエントが希望し,医療者が施術を提供できれば医療行為は成立するが,他の医療とまったく異なり,新しい生命の誕生があることである.たとえ自己決定に基づく生殖医療であっても,生まれてくる子どもの同意を得ることはできないことを,クライエントも医療提供者も十分に認識しておく必要がある.
近年,着床前遺伝子診断や配偶子提供さらには代理懐胎など,ART による新しい医療への臨床応用が試みられるようになり,これらは胎児の選別,親子や家族という社会の枠組みを改変させるような問題を提起している.生殖医療に携わる者にとって,ART により出生する児の長期予後を知ることは極めて大切である.子どもは医療行為がなされる時点では現存せず,問題が顕在化する時の状況は全く予想できないため,厳密な意味での事前のリスク評価は困難であるからである.現在,ART に求められる最重要課題は生まれた子どもの長期追跡体制を確立することであり,その検証は生殖医療に携わる者の責務であることを忘れてはならない.
がん診療の進歩発展には著しいものがあり,がん患者の予後は著しく改善された.一方で治療により生殖機能の廃絶に追い込まれることが多く,配偶子を温存して将来の妊孕能を確保しておく気運が高まってきており,がん・生殖医療(oncofertility)という概念が提唱されている.今世紀に入り,卵巣の凍結保存も臨床応用されるようになり,融解後の卵巣組織の移植による妊娠例が報告されるようになってきた.卵巣組織の凍結は,卵巣刺激操作や卵胞成熟までの日数を待つ必要がないため,原疾患の治療の開始を延期させなくてもよく,理論的には凍結可能な卵子数も飛躍的に多くなり,既婚女性を含めたがん患者の妊孕性保持のための大切な医療手段となり得る.
2014 年スウェーデンにおいて,26 歳の女性が子宮移植後1 年で胚移植を受け,妊娠し,健康な男児を出産している.しかしながら,子宮移植の臨床応用にあたっては,検討を要する医学的,倫理的,社会的な様々な課題が残されている.その中でもレシピエント,ドナー,生まれてくる子に与える負担やリスクは,最大限配慮されなければならない課題である.手術手技の困難性,組織適合性,妊娠中に使用する免疫抑制剤の胎児への影響など,医学的にも解決されなければならない問題が多い.様々な領域に跨る医療であり,産婦人科医や移植外科医のみならず,形成外科医,精神科医,小児科医,内科医,麻酔科医,移植コーディネーター,看護師,薬剤師,カウンセラーなどのサポート体制の基盤が構築された上で考慮されるべきである.
再生医学の生殖医療への応用を考えた場合,無精子症や早発閉経のような絶対不妊などの生殖機能障害をもつ個人から,ヒト胚性幹細胞(ヒトES 細胞),iPS 細胞(induced Pluripotent Stem cells)を樹立し,配偶子へ分化させることが可能となれば,精子や卵子の提供を受けることなく,子供をもてる時代が到来するかもしれない.ヒトiPS 細胞の作製と生殖細胞への分化誘導は,ヒト胚の廃棄を伴わないという点においてヒトES 細胞のもつ倫理的課題を回避しており,免疫拒絶が起こらず,同一人物や同性に由来する配偶子を用いて受精させることが可能である利点を有している.しかし,生殖医療は,他臓器の再生医療と異なり世代の継承に関与しており,個体にとどまらないという特殊性をもっていることを忘れてはならない.
今後,生殖医療をどのように発展させていくかは,人間の知恵が問われるところである.