平成9年5月5日放送

低分子ヘパリンと産科のDICの最近の考え方

聖マリアンナ医大教授 雨宮 章

 本日は産科DICに対する低分子量へパリン療法についてお話致しますが、その前にアンチトロンビンIII療法とへパリン療法について簡単に御説明致したいと思います。

 産科DICに関しましては、先生方は十分に御理解いただいていると思いますので、細かいことは申しあげませんが、DICの本態は「血液凝固性の異常亢進」が原因となって発生するということであります。従って、凝固の抑制が治療の基本となる訳であります。凝固亢進が高度になりますと、それを追いかけるように線溶活性が激しく起こって参ります。一般に産科DICを起こす基礎疾患は、胎盤早期剥離、弛援出血、前置胎盤などでお分りただけますように、大出血を伴っていることと、急激に発症してどんどん進行するとが特長です。出血が止まらず、出血性ショックからDICになりますと、その時にはもう激しい線溶活性が起こっていますので、私共は止血のために抗線溶剤をしばしば投与致します。しかし内科などの他の科のDICでは、むしろ抗線溶剤は禁忌になっています。このように産科DICは他の科のDICとは著しく異なっている点がありますが、凝固抑制という基本的治療方針は違っておりません。

 血液中で凝固抑制の主力として働いてるものはアンチトロンビンIIIです。アンチトロンビンIIIはトロンビンが血液中に発生しますと、1:1のモル比で不可逆的に結合して不活性化致しますが、同時に活性化されている第X因子も阻害して、この両方の阻害で効率良く凝固抑制を行っています。この時にトロンビンとアンチトロンビンIIIの複合体が血中で増加してきます。これはトロンビンアンチトロンビンIIIコンプレックスTATと呼ばれておりまして、この検査は凝固亢進を判定する指標のひとつとして臨床的に広く用いられております。アンチトロンビンIIIの血中正常活性値は80%以上ですが、DICで大量に消費されますとこの活性値が低下して参ります。このアンチトロンビンIIIの低下は、凝固抑制力の低下を意味しておりまして、DICを増悪させる方向に働きます。このような情況でアンチトロンビンIIIを補充することは、最も合理的な治療法となります。先程病名を挙げました急性DICには勿論のこと、慢性DIC状態にある重症妊娠中毒症に対しましてもアンチトロンビンIII療法の有効性は確認されています。アンチトロンビンIII製剤は体重プロキロ1単位の投与で血中値を約1%上昇させるといわれております。一般的に1日1500〜3000単位を3日から7日間の点滴静注で使われています。血中半減期は60時間と長いので、持続点滴は必要ありません。製剤にはアンスロビンとノイアートの2種類があります。

 内科領域の白血病や敗血症などによるDICでは、従来からへパリンがファーストチョイスで使用されてきました。ヘパリンは平均分子量l0000〜l5000の酸性ムコ多糖類で、分子量の異なるものの複合体です。へパリンは血中でアンチトロンビンIIIと結合して、本来のアンチトロンビンIIIの凝固阻害作用を何百倍にも加速・速進させ、瞬間的にトロンビンを失活させます。その後ヘパリンはこの複合体から離れて、再びほかのアンチトロンビンIIIと複合体を形成するといった触媒的な作用を行ってます。つまりヘパリンはへパリン自身に抗凝固作用はなく、抗凝固作用はアンチトロンビンIIIに依存している訳であります。ですからDICで血中アンチトロンビンIIIレベルが非常に低下した状態では、ヘパリンの有効性は殆ど期待できなくなります。そのうえヘパリンには血小板凝集亢進作用がありますので、血小板減少を引き起こすことがあります。こうなりますと大出血は更にエスカレートするという結果になりますので、一般に大出血のある産科DICには、へパリンの使用は良くないと考えられています。ヘパリンの適応は、大出血のないDIC、基礎疾患が取り除けないDICの場合に使用することが原則になります。へパリンの投与量は最近は大量に使わない傾向になってきておりまして、使用する場合は1日10000〜15000単位を点滴静注致します。

 次に低分子量ヘパリン、これは低分子へパリンとも呼ばれますが、そのお話に入りたいと思います。低分子量ヘパリンはへパリンの分子量4000〜6000の低分子分画の製剤であります。作用機序はヘパリンと変わらないわけですが、低分子化されたことによって、普通のヘパリンとは異なる幾つかの臨床的に優れた利点が出てきた訳であります。先ず最も大きな特徴は、勿論アンチトロンビンIIIと結合するのですが、トロンビンとの結合が非常に弱く、そのため抗トロンビン作用が非常に少ないため、凝固阻害作用は主に活性第X因子の阻害作用ということになります。ヘパリンは抗トロンビン作用が強力で、APTTの延長などで示されますように、血液本来の凝固能の低下をきたします。しかし低分子量ヘパリンでは、抗トロンビンン作用が弱いので、本来の凝固能の低下が少なくて凝固阻害作用や抗血栓効果を発揮するということになります。つまり出血を助長する危険性が少なく、凝固抑制作用を示すということになります。その他低分子量ヘパリンには「血小板凝集作用が少ない」とか「血中アンチトロンビンIIIレベルが低くてもへパリンより十分な抗凝固作用を示す」とか「 DICの臓器症状の改善度が高い」とか「血中半減期がヘパリンの約2倍長い」とかいろいろな利点があって、DICの治療にはヘパリンよりも安心して使える製剤と考えられます。外国では、低分子量ヘパリンは術後の血栓症に対する予防や治療に広く用いられておりますが、残念ながら我国では血栓症の予防や治療には保険がききません。

 低分子量ヘパリンの製剤は、現在我国ではフラグミンとう名称で発売されております。1アンプル中に5000抗第X因子活性国際単位を含むもので、DICではプロキロ75単位ぐらいを基本として、生食で希釈して点滴静注します。つまり我国の女性では1日量が大体4000単位前後とうことになります。また半減期が長いので、予防的投与の場合、1日1回の皮下注射もできます。

 DICが発生して、それが重篤化してフィブリノーゲンをはじめとする凝固因子も激減して、アシチトロンビンIII活性も50%以下、患者さんは重症ショックで生きるか死ぬかの状態ということになりますと、DICからの離脱が非常にむずかしくなります。細菌感染ではなるベく早期の抗生物質投与が極めて有効性が高いと言われておりますが、DICの場合も全く同様で、DIC初期の凝固性が高まった時期に低分子量へパリンなどで凝固抑制を行うことは、理論的にもDICの進展に急ブレーキをかけることになりDICの改善につながります。DICにおいても矢張り早期発見、早期治療が大切なわけであります。