日産婦医会報(平成22年2月号)妊婦と温泉
医療対策委員会委員・日本温泉気候物理医学会認定温泉療法医 岩永 成晃
「妊婦が温泉に行っても大丈夫ですか?」
結論から言ってしまうと、妊婦が入浴に温泉を利用することは、何ら問題ないことです。しかしながら、ここで出てくる「温泉」という言葉の意味するところに注意が必要です。一般に「温泉」という場合、その方の生活環境の違いから、
入浴に用いる液体としての「温泉」、
銭湯などの“公衆浴場”、
“温泉地”への小旅行、
などいくつかの違った意味合いで「温泉」という用語が用いられることがありますが、ここでは、“温泉浴”つまり“温泉を用いての入浴”ということでお話をします。
「妊娠していても温泉に入ってもいいのでしょうか? 妊娠初期や後期の妊婦には温泉は禁忌だと聞きました」
妊婦さんから、このような質問を受けることがあります。なぜこのような質問が出てくるのでしょうか?
確かに、温泉旅館や温泉浴場の多くに“妊娠初期や後期の妊婦には温泉は禁忌”とされている掲示を見かけます。
これは、日本の温泉に関する法令の中で、温泉の禁忌症に妊娠(初期と後期)が挙げられているからです。法令の一部を下記に抜粋してみます。
温泉法第十八条(温泉の成分等の掲示) 温泉を公共の浴用又は飲用に供する者は、施設内の見やすい場所に、環境省令で定めるところにより、次に掲げる事項を掲示しなければならない。1.温泉の成分、2.禁忌症、3.入浴又は飲用上の注意、4.前三号に掲げるもののほか、入浴又は飲用上必要な情報として環境省令で定めるもの。
温泉の一般的禁忌症(浴用) 環境庁自然保護局長通知(昭和57年環自施第227号)急性疾患(特に熱のある場合)、活動性の結核、悪性腫瘍、重い心臓病、呼吸不全、腎不全、出血性疾患、高度の貧血、その他一般に病勢進行中の疾患、妊娠中(特に初期と末期)
さて、お気づきになりましたか? “温泉の一般的禁忌症”として挙げられているものは、一般にお風呂に入る時に注意を要する病気の状態です。温泉だからだめですよ、というものではありません。妊娠を除いては、生活をする上でも困難があるものばかりで、温泉とは無関係なことが分かります。なぜ妊娠中(特に初期と末期)が含まれているのか、現在の温泉療法の学会(日本温泉気候物理医学会)でもその根拠については???でした。ただ、妊娠初期と後期では流産や出血や破水が起きやすかったり、脳貧血を起こしやすかったりするので、不特定多数を対象として温泉浴を提供する施設にとって面倒なものとして、他の病気と同列に挙げられているのであろうと想像しています。
温泉の泉質についても、日本にある放射能泉を含めたすべての泉質において、温泉浴そのものが妊娠に悪影響を与えることは考えられませんし、その根拠もありません。温泉の禁忌症と効能については、現在の法令で定められているものは、根拠が希薄なものがかなり含まれていますので、日本温泉気候物理医学会では、根拠に基づいたものへと改変するための作業が行われています。その中で“妊娠中(特に初期と末期)は禁忌”については、一般的禁忌症からは削除されることになりそうです。
さてもうひとつ、温泉地や公衆浴場などでの感染を心配する妊婦さんもいます。温泉の入浴で、腟内や子宮内感染を起こすなどと記載されていることがあります。しかし、温泉に入浴することが、外陰・腟および子宮の感染を助長するとは言われておりませんし、それを否定する国内の学会報告もありますので、温泉浴そのものが感染の原因になることはないと考えられます。ただし、一般的に共同浴場での一部の感染についての可能性は否定されていませんし、“毛じらみ”などの感染については、脱衣場での感染をむしろ積極的に心配する必要はあります。しかしながら、これは温泉とは全く無関係のことですから、説明に当たっては注意が必要でしょう。
ちなみに筆者の岩永レディースクリニックは別府にありますので、昭和39年以来、妊婦さんの入浴と赤ちゃんの産湯は温泉を使用しています。温泉は妊婦さんにとっても赤ちゃんにとっても素晴らしい自然の恵みです。